青結晶の洞窟⑤
紅ガエルが日吉の腕を持って、その剛力で体を投げつける。
ゴミのように宙を滑空した日吉は壁にクレーターができるほどの衝撃で叩きつけられ、そのままぐったりと気を失った。
紅の悪魔がゆっくりと川蝉に近付いてくる。
それを阻止するべく、川蝉はワンドをモンスターに向けた。
空気を操り圧縮する。敵の首めがけて横一文字の風刃を撃ち放った。
空間を断する刃が直線に一閃する。
紅ガエルはひらりと、華麗な背面跳びでそれを避けた。五輪の体操選手のように鮮やかに着地を決める。
「くっ!」
当たらない。それに何より万が一当てても掠り傷しか与えられないのだ。
――どうすれば――
八方塞がりとはこのことだろう。
川蝉は苦し紛れにワンドのトリガーを引いた。できることは確かめなければならない。
今度の魔法は直接的な攻撃ではなかった。
「!?」
紅ガエルの体が風船のように軽く宙に浮く。
七瀬を救出した時に使用した魔法の応用だった。あの時は風力で七瀬の体を引き寄せた。
今度は風力で紅ガエルの体を浮かせたのだ。
――これは成功か。だが……。
宙には浮いた。無様に空中でじたばたと体を動かす紅ガエルの姿は滑稽で、少しは恐怖心も和らぐものである。
けれどそれまでだった。動きを止めただけで、それ以上はない。この力で紅ガエルを地面に叩きつけたとしても大したダメージにはならないだろう。
――逃げるか?
今の状況を唯一有効活用できるとしたらそれくらいしかない。
しかし考えれば考えるほどそれも無理だと気付かされる。気絶した日吉を起こして走らせるのはかなり難しい。七瀬も残った緑カエルと戦っている中でいきなり逃げることができるのかは疑問である。
それに何よりあの神速のような動きをする紅ガエルから、まともに逃走などできるとは思えなかった。
このまま魔法をどれくらい維持できるだろうか。初陣では己の力量すら判断が難しい。
紅ガエルは死んだかのように動きを止めていた。口をあんぐりと開けて宙に身を任せて回転する。
その瞳が川蝉を突然捉えた。
「!?」
赤紫の液体が口から吐き捨てられる。
咄嗟に川蝉は使用していた魔法を中断して、後方に跳躍する。
放たれた液体の狙いは正確ではなかった。しかし川蝉のいた辺りに万遍なく散らばる。
液体の付着した土が溶けた。まるで質量を失ったように地面は萎んで、凹みが生まれていた。あんなものが体にかかってしまえば一溜まりもない。
解放された紅ガエルは着地した瞬間、土煙だけをわずかに残して霞のように消え去った。
局所的な風速が全身に浴びせられる。
それが瞬きする間もなく、気が付けば川蝉の眼前にいた。まるで始めからそこに立っていたかのようにも思えてしまう。
「川蝉さん!」
七瀬の声が轟く。残っていたモンスターを全滅させられたのだろう。
そのワンドが紅ガエルに向けられる。空間に水の固まりがいくつも現れた。
そして水の鉄砲玉が撃たれる。魔の弾丸が疾走した。
紅ガエルはそれを見ても興味がなさそうに、右腕をガードするように掲げるだけだった。
それで十分だったのだ。
水の弾丸が紅ガエルに突撃していく。だが紅い体皮がそれを全て弾いてしまった。七瀬の魔法もその皮膚を少し歪ませるくらいしかできなかった。
「そんな……」
攻撃時の気概は完全に失せた七瀬が、光彩をなくした瞳で呟く。
紅ガエルの顔が再び川蝉に向いた。
「…………」
川蝉は最後の賭けにトリガーを引いた。
何も起こらない。
そして紅ガエルが余裕を以て川蝉のワンドを取り上げようと手を伸ばしてくる。
川蝉は一歩引いて、それを拒否する。
さして意味のない抵抗。時間稼ぎにもならない。
紅ガエルの顎が解放される。影で黒く染まった舌が蠢く。
――来る……。
あの京葉を葬った技。広範囲にぶちまけられればもはや逃げ場はない。
そして悪夢の時が落ちる。
カッ――と、高密度の地面すら溶解させるあの毒液が放たれた。
「っ!」
同時に川蝉は己の全神経を研ぎ澄ませる。
予め発動していた魔法を具象化させた。
風の防壁――透明の気流が渦巻く。赤紫の毒液が宙で制止し、スライムのように揺れた。
毒液とは言え、液体には違わない。ならばと考えた作戦だった。例え鋼鉄すら貫通する液体だろうが、風圧の壁には逆らえない。
「返すぞ」
そして風を通して毒液を自在に操り、前方に散らせる。
赤紫の毒液が逆に紅ガエルへ降り注がれた。
「ヴァァァァァァ!」
メタリックレッドの肉が焼けただれ、溶解する。いかなる外圧をも跳ね除けた鉄壁の体皮が崩れ落ちていく。
紅ガエルは後ろに倒れ込み、背中を何度もバウンドさせて痛みに悶えていた。
溶けた胸の位置に黒い直方体を見つける。
川蝉はワンドをそこに向けた。
引導を渡すべく、風刃を放つ。
黒を象ったコアは、音もなく真っ二つに裁断された。その壮絶な異形の命はあまりにもあっさりと幕を引く。
箱は黒い粒子へと変わっていった。破壊されたそれは固体から気体へ、煙のように消えていく。
生命の息吹が消失した。
川蝉は額から流れる冷や汗を拭う。
これで終わった――その実感がまだわかないほど興奮していたと気付かされるのだった。
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