青結晶の洞窟⑥

「おぇぇぇ――」


 日吉が洞窟の壁に手をついて盛大に吐いていた。


 別の場所では血の気の引いた顔の七瀬が静かに体育座りをしている。


 川蝉は下半身だけが残った京葉の体を見た。腹部から上がまるまるなくなっていたので面影も何もない。だがその物体は紛れもなくさっきまで川蝉達を先導してくれていた京葉だった。


『命を賭けてもらう』


 無惨な死体を見てと言う不気味な男の言葉が蘇る。


       *


 あの男と会ったのは一週間前のことだった。


 その頃の川蝉は毎日アルバイトを掛け持ちで早朝から晩までしていた。両親の自殺と親族の裏切りによって、川蝉は妹と二人きりになっていた。


 その妹は母が存命だった時から心臓の病気で、ほとんど病院のベッドで生活を送っているような状態だった。


 難病であり、まだ日本では治療法が確立されていない状況である。


 その治療をするには海外の医療機関に頼らなければならない。そしてそれには当然日本の保険は対象外なので治療費は法外レベルに高かった。一億は最低でも必要だと知った時には、頭が混乱したものだ。


 それにプラスして常時の入院費も稼がなければならない。


 その事情があって川蝉は高校には進学せず、働くことになった。残りの寿命も少ない妹のことを考えると普通には働けない。一日も休まず複数掛け持ちでのバイトが、短期的に見れば一番稼げた。


 それでも目標はあまりにも遠かった。そもそも入院費と自分の生活だけで精一杯なのが現実だった。


 そんな時、声をかけてきたのが黒業と言う男である。


 深い夜、川蝉が帰宅するとが自宅のアパートの前に立っていた。


 男が一人、白髪のオールバックで顔には深い皺が刻まれていた。黒いコートを羽織、頭部には深くハットを被っている。身長は高かったが、それ以上に痩せすぎているため亡霊のような印象を受けてしまった。


 夜よりも深い黒い瞳だったのをよく覚えている。あそこまで暖かみのない眼をしている人間は初めてだった。


「キミがお金に困っていると言う話を耳にした。妹を助けるために自分の将来すら捨てるなんて泣かせる話じゃないか」


 泣く気も感動する気も全くない事務的な口調で黒業はそう切り出した。


「だが妹さんの命もそう長くはない。今の状態で助けるのは不可能だ。それなのに必死になっているキミを見ているとあまりにも不憫でね、是非助けてあげたいと思っている」


 淡々と原稿でも読み上げるかのように言って、黒業は川蝉に名刺を渡してきた。そこには『内閣府エネルギー資源局事故対応室東京支部 支部長 黒業ウロ』と記載されていた。


「興味はあるかね?」


 普通ならこんな胡散臭い話は無視して家に入っていただろう。だがその時の川蝉は心が疲れ切っていた。終わらない道を全速力でいつまでも走り続ける生活を一年以上送っていたからかもしれない。


 それに打開策が全くないのは事実だった。金額もだが、時間がなさ過ぎた。せいぜい宝くじで一等を当てるくらいしか道はない。


 だから燃える火に入り込む虫のように、川蝉も惹かれていた。


 川蝉が頷くと黒業は歪んだ笑みを浮かべる。


「おそらく一年以内にキミの望む額は手に入れることはできるだろう。ただし当然リスクはある。残念ながらキミのような身分の者がただで大金は手に入らない」


 黒業はそこで一旦言葉を止めて川蝉の瞳をのぞき込んできた。


「代償として命を賭けてもらう。構わないな?」


 悪魔に魂を売ってでも成し遂げたい、そう思って首を縦に降った。



 黒業の言葉の意味がよくわかった。


 文字通りの死者を前にして、わからされたと言った方が正しいのかもしれない。


 このダンジョンで得られる金額は本来、社会人として何十年も辛い世間の中で耐え凌いで得られるものだ。


 それを何の取り柄もない中学卒業程度の者が手にできる環境なのだ。リスクがないわけがない。


 覚悟はしていたつもりだったが、認識が甘すぎた。


「ふう……」


 川蝉は顔を上げて天井を見る。さすがにモンスターの影もなかった。


 ジャケットのポケットからタブレットを取り出す。それで調べ物をしながら、仲間二人が落ち着くのを待つのだった。

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