青結晶の洞窟⑱

「どうなってんだよ……」


 は洞窟の中で息を潜めるように呟く。まだ大した年齢でもない高校一年生。にも関わらずその手は血に染まっていた。


「そんなの知るかよ」


 隣にいた真下浩一郎がそんな言葉を返してきた。ワンドを震える手で握り岩場の影に隠れている。


 そんな真下に島田は思わず声を荒げた。


「ふざけんな、元々お前が誘ったことだろうが」

「はぁ? 乗ったのはお前だろうが。自己責任だよ」


 島田は「超簡単に稼げるバイトがある」と真下に誘われた。ダンジョンでモンスターを倒すなんて聞いた時は笑いそうになったが、アトラクション施設の試験か、ゲーム関連のものかとばかり思っていた。


 別に遊園地とかテレビゲームも嫌いではなかったので一応は引き受ける。真下とは付き合いは短くないので信用していたこともあった。


 だが結果は違った。誘った真下自身にとっても予想外のことだったらしい。


「何なんだよ、あいつは……」


 真下が苦々しい口調で言い放つ。

 今、二人はあるモンスターに追いかけられていた。


 


 ネチョリ、ネチョリ――汚らしい水と足音が重なって洞窟に響いてくる。


「来てる……」


 島田は息が浅くなっていくのを感じた。恐怖の感情が嘔吐物のように腹の底からこみ上げてくる。

 岩場の影からこっそりと音の方角を覗いた。


「!?」


 その時、島田の顔に何かが当たった。

 温い湿り気の感覚がすると、視界が塞がれる。生臭いが鼻孔を突いてきた。


 ――何だ、これ?


 そう思って顔に付着した物体を引き剥がす。ぬるりとしたそれはピンク色をした柔らかいものだった。


 プニプニとした感触。


「うわぁ!」


 数秒遅れてそれが人間の臓器だとやっと気付く。

 手に持ったそれを急いでかなぐり捨てた。


「オホホホホホ!」


 しわがれた笑い声が木霊する。


 老人がいた。


 木の杖を持ち、ひどく小柄でやせ細っている。はだけた黄土色の着物からは肋骨が浮き上がり、それに反比例するように腹だけが異様に出ていた。社会の教科書にある難民の子供のような外見である。


 白髪の長い髭と眉毛を蓄え、老人は大きな蝦蟇ガエルの上に乗っている。イボが全身を覆う蝦蟇ガエルは退屈そうに舌を出し入れしていた。


 その老人の腕にはあるものが抱かれていた。


「タケちゃん……」


 友人の小山健人の上半身である。すでに息はなく、ただの屍同然であった。そこから垂れ流される血液を老人は美味しそうに啜る。


「おい浩一郎、どうすんだよ!」

「こっちのことはバレバレなんだから、やるしかないだろうが! このバカが」


 いつもなら罵倒されれば言い返す島田であったが、今回ばかりはそんな気にはなれなかった。


 ――やっちまった……。


 涙が出るような後悔ばかりが頭を支配する。


 最初の戦闘で危険だとはわかっていた。しかし何だかんだうまくやれていた。リーダーの小林と言う大学生を中心にモンスターにやられるどころか怪我一つしなかった。


 それでポイントが貯まって、それが大きなカネになると知るとむしろ楽しくなってきていた。気分は一種のスポーツを楽しむような感覚だったのだろう。


 ヤドクとか言う紅くてそこそこ強い奴が来ても、四人で協力すれば問題なく倒せた。


 それでうまくいってしまったから、再生能力のせいで誰も大して傷つかなかったからこそ、感覚が麻痺していた。


 これがだと言う感覚が。


 ここまで追いつめられて、痛い思いをして、友人を殺されて、それでようやく気付いたのだ。自分は今、大変な場所に来ている、と。


 もっと早い段階で痛い目をみるべきだった。そうすればとっくにそこそこの資金を得てターミナルで帰り、今頃はベッドで寝ていたかもしれない。


「あぁ……」


 目の前にいるモンスターは言葉にできない程強かった。島田の眼からは一筋の雫が流れてくる。


「うぉぉぉぉぉぉ!」


 半狂乱の真下がワンドを老人に向ける。威勢だけは一人前だった。

 そして虚空から、。真下の氷の魔法である。


 それが続々と増殖していき、撃たれた。

 真下がワンドを軽く振るうと、氷塊達はその角を頭に老人へ一斉に飛びかかっていく。


 不意に蝦蟇ガエルの体が沈むようにその場で萎む。


 すると大量の油が地面から浮かび上がってきた。その油が放たれた氷塊にまとわりつく。


 それにより氷塊は運動エネルギーを失って、一斉に地面に落ちていった。それらは地と衝突しガラス細工のように粉々に砕けていく。


 それだけではなかった。


「あぁぁぁ!」


 地面に広がっていく油は、生物のように動いていく。そしてそれが触手のように伸びて真下の足に絡み付いた。


「うぁ、うぉ!」


 足を取られた真下は背中を地面に打ち付け、一気に油の海に引きずられていく。


「くそ、こんなもの!」


 真下は自棄になってワンドのトリガーを引こうとした。


 発火。

 油が前触れもなく引火したのだ。真下のワンドごと腕だけが器用に焼かれていく。


「熱い、熱いぃ!」


 油で宙に釣り上げられた真下が踊るように苦しみ出す。


「オッホッホッホ」


 老人は小山の死体を酒のつまみのように食べて、その様子を楽しんでいた。


 あれだ、あの油が危険なのだ。それが島田達のグループを壊滅させたのだ。縦横無尽に動き、灼熱の劫火を神出鬼没に発生させる。四人がかりでやってもまるで無駄だった。


 リーダーだった小林は頭部以外を焼かれ死ぬまで胃液を吐きちらし苦しみながら、老人に喰われた。小山は油によって四肢を限界までゆっくりと引っ張られ千切られ、芋虫のような姿で糞尿を垂れ流しながら死んだ。


 無惨でまともな人間の死ではない。


 ――嫌だ。


 共通しているのはどちらも長い時間苦しんだこと。そして死体があまりにも惨たらしいことだった。


「おい!」


 涙混じりの怒鳴り声が聞こえてくる。


「さっさと助けろよ、助けろって!」


 必死の形相で真下が島田に向かって叫んでいた。顔は油まみれで今にもゲロを吐きそうな雰囲気である。


 あんな風にはなりたくない。悲惨な死に方はしたくない。


「ふ、ふざけんな……」


 自分でも意外なほど冷たい言葉が出てきてしまった。


「俺はお前に巻き込まれたんだ。助ける義理なんてあるわけがない」

「頼む、死にだぐねえんだよ!」


 真下が油に飲まれながら手を伸ばしてくる。

 だが島田は一歩引いて、それを拒否した。


「カワイソカワイソ」


 老人が二人の様子を見て、ケラケラと笑い始める。


 遊ばれている。本当は真下のことなんていつでも殺せるのだ。それでも人間の恐怖を楽しみたいからわざと生かしている。


 そんな化け物から救いだせるわけがない。


 ――むしろこれは罠なんだ。手を出せば俺までやられる。


 釣りだ。それに簡単に引っかかるほど島田はバカではないと思っていた。


「助げでぐれぇ、親友だっだだろぉ!」

「知らねえ、俺はそんなの知らねえ。俺は俺はな……」


 言い訳――それを島田は真下に言っているのか自分に言っているのか、よくわからなかった。


 島田は老人の顔を見る。ただニヤニヤするだけで殺意は感じなかった。


 きっと今から真下を楽しむのだ。

 ならば今なら――


「俺は被害者なんだよ!」


 島田は体を回転させ、走り始める。


 下を見ながらひたすらに加速し続けた。人生で一番気合いを入れて走った時だったと思う。スタミナが尽きる感覚すら忘れて走った。


 遠くでは呪怨の籠もった真下の声が轟いてくる。島田の名前を何度も何度も叫んでいた。


 恨みの籠もった呪詛を聞きたくなくて島田は自分の耳を塞ぐ。


「ふざけんな……」


 出口のわからない迷宮を、走り続けるのだった。

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