狭間の日常④
七瀬とJRの駅まで二人で並び、歩いた。
どうにもダンジョンの話題が出し難いせいで、会話はあまり弾まなかった。
たぶん七瀬にあの体験はかなりショッキングだったのだろう。あまりトラウマを呼び起こさないため、川蝉はあえて何も言及しなかった。
駅の改札を通って電光掲示板を見る。八王子方面行きの電車はもうすぐ出てしまうようだった。
「七瀬はどっちの方面なの?」
「ええっと……」
何故か七瀬は言葉を濁す。
「か、川蝉さんはどちらで?」
「俺は八王子の方だ」
「じゃあ私もそっちっす」
「そう」
川蝉は、「じゃあ」ってどういうことだ? と思いつつも深く突っ込むのはやめた。きっと七瀬なりの事情があるのだ。
それにおそらく七瀬も西東京の人間ならば八王子方面に行くのもそこまで怪しいことじゃない。こっちには横浜線もあるのだ。
二人で駅の階段を下りホームに出ると、ぴったりのタイミングで電車がやってきた。
「これに乗るんすよね?」
「そうだけど。何か問題が?」
「いえ、何にもないっす!」
七瀬は首をぶんぶん降って勢いよく台詞を強調した。
挙動が変なのは彼女の普通なのだろうか。
――そう言えば七瀬のことは何も知らないんだよな。
ダンジョンで一緒に行動したとは言え、あんな極限状況で普通がわかるわけがないのだ。
そう考えると、七瀬とは本来こういう人間なのかもしれない。
中央線の電車に揺れること十分と少し、川蝉の目的地である西八王子に到着した。
そこで川蝉は降りる。そこで七瀬も同じように降りてきた。
「七瀬もここに住んでいるのか?」
「えっと……まあ……」
歯切れの悪い返しがくる。川蝉は生まれてから大方ここに住んでいるが七瀬を見たことはなかった。
七瀬は川蝉の目から見ても結構な美人だ。それでいて身長の低さに反比例するように胸は大きく目立つ。それでも印象はなかった。
だが学校や学年が違えばそう言うものかもしれない。八王子市の人口約80万人、決して人が少ない市ではないのだ。全員を覚える方が無理であった。
川蝉は駅の南口からエスカレーターで降りる。
七瀬もその後ろに付いてきていた。
そしてバス停を抜けて、駅の線路に沿って西へ歩いていく。
そうすると二分もしない内に自宅のアパートの前になった。
雨が降る前に帰れてよかった。川蝉はほっと胸をなで下ろす。
「じゃあ俺はここだから」
「はいっす」
「また今度、立川で会おう」
次はダンジョンに挑む時に会うことになるだろう。
そう思ってエントランスの方を向き、足を一歩踏み出した。
「あの川蝉さん!」
七瀬にぎゅっと服の袖を掴まれる。振り返ると彼女は泣きそうな表情をしていた。
態度が急変している。何かひどく緊張していた。
「どうした?」
「じ、実はお願いがあるんす」
プルプルと鬼気迫る様相で七瀬は川蝉のことを見上げてくる。
「あの……しばらく川蝉さんの家に居させてもらえないでしょうか?」
「え?」
全く予想外の提案だった。川蝉も混乱して思考がフリーズしてしまう。
「それはまたどうして?」
「それは――」
ぐ~~~~――と、遠慮のない腹の鳴る音が響いた。
その音源である七瀬は顔を茹で蛸のように真っ赤にしてしまう。
それで川蝉の混乱による緊張が解けた。
「お腹、空いているの?」
七瀬は気まずそうにこくりと頷く。
「それなら一緒にご飯でも食べに行こうか」
*
急いで洗濯物を片づけた後、七瀬と近くのファミリーレストランに入った。
午後はすでに三時近くになっていたこともあり、そこそこ空いている。
そして窓際の席で食事を取った。
「………………」
川蝉は唖然とした光景に手が止まってしまっていた。
目の前にはがつがつと次々に料理を平らげる七瀬の姿があった。よほどお腹が空いていたのか、量もペースも女子のそれとは思えない。
しかも食べることに集中し過ぎて、まるで川蝉のことなど忘れている。
――まあ、よく食べることはいいことか。
圧倒されるのも慣れて川蝉も注文したトマトのパスタに手を付けるのだった。
そして十五分程で二人とも食べ終えた。川蝉の前には一皿、七瀬の前には四皿並んでいる。
「いやぁ、久々にまともに食事をしたっす。もう一週間ぶりくらいっすよ」
「デザートでも取る?」
「食べます!」
川蝉の提案に、七瀬は眼を輝かせて乗ってくる。
七瀬はアイスを頼み、それを待つ。
その間に川蝉は聞けることを聞こうと口を開いた。
「それで泊めて欲しいって言うのは?」
「あ、あのですね、大変申し上げにくいのですが……」
「お金がないと」
「うぅ、そうっす……」
何となく予想はできていた。
立川でのいざこざも援助交際か何かをしようとして、途中でビビって逃げたのだろう。男が身を引いたのも、そう言ったケースでは男の方が逮捕されるからだ。
ビビって逃げた以上、そもそもああいうことに慣れていないのだろう。
しかしそう言うことをしなければならないほど追いつめられていた。
ただ一つ気になることがあった。
「ダンジョンで得たポイントはどうしたの?」
川蝉ほどではないにしても、七瀬もそれなりに稼いでいるはずである。特に百匹近くのカワズと戦った時、二十体以上は倒していたと記憶している。
だから六百万から七百万は最低あってもおかしくはないのだ。
七瀬は肩を落として訥々と語る。
「あれは魔眼とかの手術代金返済に使っちゃったっす……」
「全部それに費やしたのか?」
「……はい。あの夜、川蝉さんが逃がしてくれたあと、もうとにかく恐くて。できるだけ早く解放されないとって思うと、その日のうちに速攻で返済に使っちゃったっす」
尋常でない体験であり、七瀬は尋常でない怯えようだった。ダンジョンで正常な判断を失ったまま、現実に戻ってもその状態でポイントを組織に対する借金返済に使ってしまったのだろう。
「それで本当は滞納していた家賃を支払う予定だったんすけど、できなくなっちゃって。大家さんもブチ切れで、とうとう部屋ごと差し押さえられて追い出されたっす」
「どれくらい滞納してたんだ?」
「半年……」
これは大家の怒りもしょうがない。半年分の滞納してようやく支払いがあると思ったら、駄目でしたである。
これで信用しろと言う方が無理だ。
状況を整理するなら、七瀬は家賃を払えないほど困窮している無一文と言うことである。
「他に頼る当てはないのか?」
「全然ないっす」
「だよね」
頼りがあればそもそも家賃を半年も滞納しない。しかも濃い時間を過ごしたとは言え、顔見知り程度の川蝉にそんなことは頼まない。
どうも七瀬も訳ありの人間のようだ。それに関しては川蝉も他人のことは言えない。
ここで放置すれば七瀬は本気で路上生活になってしまうかもしれない。
さすがにそれは放っておけなかった。それにここで見捨てては、とても嫌な気分になる。
それも見越してわざわざ付いてきたのだろう。打算は感じるが、それくらい必死な状況なのだ。
根本的に悪い人間でないことも知っているので、川蝉の答えは決まっていた。
「そう言うことなら仕方ないし、うちに泊まっていくといい」
「本当っすか!?」
「ああ、どうせ部屋も余っているし」
「ありがとうございます!」
七瀬が天にも昇る勢いで喜んでいると、食後のデザートがくるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます