第4話 壊れる家

 中国に住んでから、日本人ママがしみじみ言うこと。

「不動産会社選びは重要」


 日本で賃貸物件を借りるときも不動産会社のお世話になる。物件探しを一緒にしてもらったりはするが、契約してしまえば、次に連絡をとるのはその物件を出ていくときだろう。扱っている物件に差はあるかもしれないが、基本的にどこの会社も良心的で、不動産会社を選んでから物件を探すということはしないと思う。気に入った物件を扱っている会社を選ぶのが普通だろう。


 これが中国では大きく異なる。物件を借りてからも不動産会社とのつきあいは続く。というか好むと好まざるにかかわらず連絡をとりあう必要が多々あるのである。

 

「だって家が壊れるんだもんね~」

 明るくママ達が笑う。日本でしか住んだことのない中国ビギナーには言葉の意味がわからない。家が? 壊れるの? どうやって?

 そんな疑問はすぐに我が家の問題となって直面することになる。


 トイレの水が流れない。

 蛇口をひねっても水が出てこない。

 昨日まで見ていたテレビが映らない。

 

 ちなみにこちらの賃貸物件は家具付き、家電付きである。大家さんが用意してくれている家電を使うことができる。契約時にリクエストすれば新しく買ってもらえることもある。我が家はウォシュレットをリクエストした。良心的な大家さんで買ってもらえた。途中でボロボロになったソファもこちらの好みで買い替えてもらえた。とてもいい大家さんだった。他の家庭の例を挙げると、家電は日本製にしてほしい。蛇口にはすべて浄水器を付けてほしい。子供が多いので二段ベッドが欲しい。入居時に電球をすべて新しくしてほしい。などなど様々な要求をすることができる。もちろん通らない要求もあるが、こうした大家さんとの交渉をしてくれるのも不動産会社の仕事である。家賃について、つけてくれるサービスについて、大家と顧客の間に立って上手に折り合いをつけてくれる交渉力が不動産会社には問われる。

 

 さて、家がよく壊れるということは、修理の業者さんがよく家にやってくる。この業者を手配してくれるのも不動産会社の仕事だ。我が家は最初はオットの会社がそれまで利用していた不動産会社で今の家を紹介してもらい、契約をした。この会社はいわゆる日本人駐在向けの会社でなかったので、日本語のできる社員などひとりもいない。契約などはおそらくオットの会社の日本語のできる中国人スタッフがしてくれたのだろう。

 ワタシは中国語ができないので、直接不動産会社に連絡がとれない。顔の見えない相手との電話での中国語のやりとりなぞ不可能だ。顔を合わせていれば、ジェスチャーや筆談という技も出せるのであるが。オットの会社の通訳さんに事情を話して不動産会社に修理を依頼してもらう。何度か日程の調整も通訳さんを介して修理業者さんが来てくれる。当然日本語はできない。


 家の中で何か修理をしながらも、何事かワタシに中国語に話しかけてくる。

「は?」

 何を言っているのかわからないので、オットの会社の通訳さんに頼ることになる。彼女に電話をして、業者さんの言っていることを訳してもらう。

「鏡があるかって言ってます」

「はぁ? 鏡? ですかぁ?」

 その日は洗面所の天井から水漏れがするので様子を見にきてもらっていた。とりあえず通訳の彼女との電話を切り、脚立の上の業者に手鏡を渡してあげる。ウチの天井を外すと、おそらく上階の洗面所の水道管があった。そこで直接見えない配管の裏を鏡を使って見ている。またなにやら言ってきた。また彼女に電話する。

「ガムテープが欲しいそうです」

 何度もごめんね。ありがとうね、と彼女にお礼を言って電話を切る。ガムテープねぇ。首をかしげながらガムテープを渡す。


 そうしたら! なんと!! 水漏れしているとおぼしき配管にガムテープを巻き付け始めた! 耐水でもなんでもない文房具のガムテープだ。ウソでしょ? そんなことならワタシでもできるわよ? いいや、小学生のウチの子だって配管にガムテープ巻くくらいならできるわっ! というか、いかんでしょ、水の流れる管をガムテープでふさいだってさ。

 業者はワタシに手鏡とガムテープを返すとスタスタと帰って行った。


 軽くめまいを覚えながらまた会社の通訳彼女に電話する。ガムテープはあんまりだと思うのよ。新しい水道管に替えてもらえるよう言ってもらえないかな? と。後日新しい水道管に替えてもらえることができた。言われればそれには応えてくれる。


 それからもテレビの修理やらトイレの修理やら何人もの業者が我が家にやってきた。基本的には直してくれる。ただ、日本の業者のようにご迷惑をおかけして申し訳ありません、という気持ちはない。どちらかというと、直しに来てやったぞというカンジである。日本では壊れないのが当たり前。中国では壊れるのが大前提。おまけにやたらと要求が多い。

「ドライバーはあるか?」

「ペンチはあるか?」


 ひととおりは持っていたので、それらを貸しながらワタシは日本語で彼らに問いかける。

「あのさあ、プロの業者だったらドライバーやペンチ持ってるでしょ? こだわりの自分の道具とかないわけ?」

「ああ???」

 もちろんワタシのボヤキの意味を解さない彼らは怪訝そうな顔つきだ。


 修理の依頼をするのも、ワタシ⇒オット⇒通訳の彼女⇒不動産屋に伝えなくてはならない。

「いつがいいですか?」

 不動産屋⇒通訳彼女⇒オット⇒ワタシ。

「いついつなら」

 ワタシ⇒オット⇒通訳彼女⇒不動産屋。

「では何月何日の何時ごろに」

 不動産屋⇒通訳彼女⇒オット⇒ワタシ。


 果てしなく面倒くさい。ワタシが中国語を話せるようになれば一番いいのはわかっているが、ワタシの中国語習得のスピードより家が壊れるそれの方が何倍も早く、いちいち面倒くさいことこの上ない。そのころには多くの日本人家庭は日本人駐在員向けの不動産会社を利用していると聞いていたので、同じ物件に住みながら不動産会社を変えてもらった。これも日本人ママのアドバイスである。


 幸いにも敷地内のマンションにオフィスを構えている会社があった。日本人向けの不動産屋なら日本語で対応してもらえるので、オットやオットの会社の通訳の彼女の手間をかけさせなくてすむし、何よりすぐに手配ができる。そしてここの会社は公共料金などの支払いの代行までしてくれた。口座振替などという日本では当たり前のシステムはない。慣れない外国で電気代、ガス代、電話代等払い込みにいくのはビギナーの私には相当なミッションだった。何より感動したのはそのオフィスにはメンテナンス担当の人が常駐していて、トラブルが起きるとすぐに来てくれる。おまけに自分の工具をつめた道具箱を持って。素晴らしい! エライ! エクセレント!! もうスタートがスタートなので、なんでも有難く思われる。


 そう、日本の常識は通用しない。日本では壊れたものを修理するのは当たり前だし、お詫びの言葉のひとつやふたつあるのも当たり前。

 中国では、壊れたものは直してはくれる。でもなんだか日本でしてもらうそれよりも有難みを感じてしまうのもまた事実なのである。


謝謝シェシェ(ありがとうね)」

 彼らを送り出すときには日本人のワタシはこう言う。こう言っても大概の人は何も言わずに帰って行く。

不用謝ブゥヨンシェ(お礼はいいですよ=どういたしまして)」

 なんて言ってもらえたらこちらが嬉しくなるくらいだ。いやいや、こんなことで喜んでいる場合ではないのだ。そもそもは壊れなければいい話なのだ。家が。ガムテープで水道管を巻かなければいい話なのだ。


 みんなちがって、みんないい……。かなぁ?

 世界は広い。



 壊れる家。

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