第12話 魅惑の谷間?

 タイトルに惹かれておいでくださった方へ


 一応胸のお話です。ブラのお話です。男性にお読みいただいても、もちろんかまいませんが、セクシーなお話ではありません。あらかじめお伝えしておきますね。


 さて、ブラのお話の前に。ここ中国で暮らすにあたって日本人コミュニティはとても大事である。右も左もわからない異国では同じ日本人の助けがないと生活が著しく困難になると思う。みな程度の差こそあれ、不安を抱えて日本からやってきている。自分よりあとからくる人には自分の知っている限りの情報を惜しみなく教えてくれる。日本人学校、日本食を食べさせてくれる飲食店、日本の食材を取り揃えているスーパー。

 日本食スーパーへ行けばお客はほぼみんな顔見知りだ。日本語の通じる診療所へ行くと、待合室にも知り合いだらけ。小児科の先生は日本人学校で発症しているインフルエンザの患者数を正確に把握している。子供を連れて行く診療所はここだけだから。塾に通う生徒も全員同じ日本人学校の友達同士だ。日本のそれより恐ろしく狭いコミュニティだ。


 それから、日本人の国民性もあるのだろうが、ひとりがいいと思ったものに皆が追随するクセがある。日本人が日本人感覚でいいと認めたものなら信頼ができる。日本人が、それも一緒に食事をしたことがあるような友達が美味しいお店を見つけたと言えば、きっとそこは間違いなく美味しいだろう。安心できるお店だろう。大挙してお店に向かう。気に入るとそこにばかり通う。友達にも勧める。信頼できるのはガイドブックより何より身近な日本人コミュニティの口コミだ。


「すんごいブラがあるんだよ」

 ある時期そんな話が日本人ママ達の間で持ちあがった。とある市場の中にある下着屋さんだそうな。

「すんごい盛り上がるから!」

 いわゆる補正下着だそうだ。日本だと何十万もするような補正下着もあるでしょ? そんなのがすんごい安くて買えるんだよ、ほら、いつもよりあるでしょ? 私の胸、と彼女は文字通り胸を張って話してくれる。


 ワタシは友達ふたりとその店を訪れてみた。壁中にブラがかけてある日本でも見られるようなランジェリーショップだ。小ぢんまりとしているお店のオバサン店主が出迎えてくれる。


 んん? オバサンはいらっしゃいと言うでもなく、すでに最初に入った友達の胸を揉んでいる。うんうん、とうなずきながらハイコレと2種類のブラを彼女に渡した。次はもうひとりの友達。またもや2つのブラを持たせる。最後にワタシ。初対面の中国人のオバサンに胸を揉まれるワタシ。背中のお肉までつままれて、ハァーンとなんだか訳の分からない納得をしながら2つのブラを寄こす。ここまで恐らく入店から5分とかかっていない。


 な? なんなんだ? この店。ワタシ達ブラが欲しいだなんてまだ言ってない。ちょっと見に来ただけで買うとも言ってない。それでも完全にオバサンのペースで最初の友達を試着室へと連れて行く。当然のようにオバサンも入って行った。


 しばらくして試着室のカーテンが開いた。オバサンがほら見てみろとワタシ達を呼ぶ。友達はブラ姿で立たされていた。オバサンがほらどうだと言わんばかりのドヤ顔をしている。

 

 いや、どうだって言われても。いくら仲良くしている友達でも今まで彼女の下着姿なんぞ見たことがない。ゆえに普段より盛れているのかどうかも実は判別がつかない。けれどももうひとりの友達とおお~と歓声をあげる。それは盛れている! という感想よりは友達の下着姿を見てしまったという男子的な反応だったのかもしれない。次はアンタ、ともうひとりの友達も呼ばれた。また友達のブラ姿を拝見した。


 はい、じゃアンタとワタシが呼ばれる。日本と変わらないごく一般的な試着スペース。畳半畳ぶんくらいだろうか。はっきり言ってオバサンがいるので狭い。

 ほら、さっさと脱いでとオバサンにせかされる。私のブラを見てなにやら言っている。おそらくそんなブラだから駄目なのよ、なんていうことだろう。ニュアンスでわかる。そして落第点のブラを外され、オバサンおすすめのブラをつける。後ろのホックをとめてくれる。

 そこからである。脇から背中からお腹からお肉というお肉を胸へと寄せてくるのである。最後にストラップの調整をしてまたあのドヤ顔。

 ま、確かに。あれだけよそのお肉を集めれば普段のバストよりボリュームが出るのは当然だ。そしてまたまた友達にお披露目。なんなんだ、この店は。


「うちのブラをつけていれば、半年で脇肉が胸になる」

「2年間はサイズ管理をしてあげる」

 とうとうとオバサンのセールストークは続く。あの、ワタシ、着替えてもいいですか? まだブラ姿なんですけれど……。


 もう買わずに帰るなどという選択肢は小心者の日本人にはない。洗い替えのことを考えれば持たされたふたつを買うしかない。


「この柄あんまり好きじゃないんだけどな、あれがいいな」

 と友達が壁のブラを指さす。

「ダメっ! あんたの胸にはこれだけ」

 そう、オバサンが揉んではかったサイズはぴったりだったのだ。カップもアンダーバストも。メジャーなど使っていないけれど、試着したブラはまさに私のサイズだった。あれだけお肉をかき集められたけれど、窮屈さはなかった。カップとアンダーバストのサイズだけなら他のデザインのもあるのだが、それぞれの胸にはそのふたつのブラしかしてはいけないらしい。そういうもんなのか?


 結局3人ともそれぞれふたつのブラを買って帰った。もちろん他の友達にもこの話はした。みんな興味本位でそのお店へと行った。そのころから友達の胸元がやけに気になった。やっぱりみんな盛り上がっている気がする。あっという間にあそこのブラが日本人ママの認定下着となった。ハマった友達は夏用、冬用と買い揃え、本帰国時には相当数の買いだめをして旅立っていった。


 ただ、毎日身に着けながら思ったこと。

「あのオバサンがお肉寄せてくれたらなぁ」

 自分なりに寄せてはみるものの、オバサンほどは集められない。それでも以前よりは盛り上がった胸元に悪い気分はしない。

「半年で脇肉が胸になる」

 あれはウソだった。所詮本籍は”脇”なのである。昼間の住民票は”胸”になっても夜にブラを外すと本籍地へと帰っていくのである。ただ別の友達から聞いたこともある。毎日”あなたは胸なのよって自覚を持たせると脇肉が胸になるのよ”と。

 ……ホンマかいな。


 絶対日本では味わえない体験。日本であんなお店絶対ない。あんな接客有り得ない。でも笑える体験だった。さすがにあの頃買ったブラは寿命を終えたが、日本でも補正下着をつけている。今ではさほど高価でなくとも”盛れる”ブラもでてきた。みんなもまだ胸、盛ってるかな。あのオバサン、元気かな。



 魅惑の谷間?

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