第33話 爆竹には愛をこめて

 中国に住むようになって出会った音と風習。

 爆竹である。


 厄祓いである。

 爆竹を鳴らす由来は神話の時代にまでさかのぼる。

 人と獣の距離が近かったこのころ、人々は襲われないように夜に爆竹を鳴らした。

 獣が寄ってこないように。

 人や畑を襲わないように。

 そうした風習からやがて爆竹は厄払いの意味を持つようになった。

 新しい年を迎える大晦日や春節(旧正月)には特に多くの爆竹が鳴らされる。

 結婚や転居などの慶事にはその人たちの門出を祝って鳴らされる。

 合わせて昼には音と煙の花火が、夜には光の花火が打ち上げられる。


 春節の夜通しの爆竹は確かにうるさいのだが、普段のよそ様の爆竹はその人達の幸せを祈ってのことなので、さほど苦にはならなくなってくる。

 今日も誰かの門出なんだと。

 誰かの幸せを願っての爆竹なんだと。



 ワタシ達駐在員やその家族は期間限定で中国ここに住んでいる。

 期間の長さに差はあれどいずれ皆ここを離れる。

 日本人学校の児童・生徒もほぼ全員が転校生だ。

 転入してきて転出してゆく。

 それは日本人学校の先生方も同じことで、現地採用の先生をのぞけばほとんどの先生が3年で日本人学校ここを去ってゆく。


 以前にも書いたが、先生と子供たち、保護者との結びつきは日本でのそれとは比べようもなく強い。

 日本人学校ここしかないのである。

 日本人学校ここだけが居場所なのだ。

 どうか子供が馴染みますように。

 どうか子供が楽しく日本人学校ここで過ごせますように。

 祈りにも似た思いで子供を日本人学校ここの先生方に託す。


 子供にしてみても知らない国での慣れない生活。

 親の事情で慣れ親しんだ地元を離れ、仲の良かった友達と別れ、不安や戸惑いだらけでくぐる日本人学校ここの門。

 でも出迎える児童・生徒たちは温かい。

 そう、誰もがそうやって日本人学校ここにやってきたから。

 今教壇の前で「転校生です」と紹介されている光景はかつて自分も経験したこと。

 そんな中で始まる異国での小さな日本の学校生活。


 その心のよりどころでお世話になるのが先生方だ。

 文部省の難関といわれる試験に合格した先生だけが世界中の日本人学校へ派遣される。先生と子供の心の距離も日本のそれよりも近い気がした。担任や教科を担当していなくても先生方はすべての児童・生徒のことを知ってくれている。


 日本へ戻ったときに困らないように日本の学校で行われるであろう行事は網羅されている。

 学習面でも文部省から教科書が送られてきて日本と変わらない授業を受けることができる。

 変わらないどころか、意識的に日本より学習速度を早めてどこへ帰っても授業についていけるように指導される。

(逆に日本人学校へ編入した際に国語と算数が1単元すっぽりと抜け落ちており補習してもらった)


 そんなお世話になった先生が帰国するときは華やかだ。

 学校での離任式はもちろんあって、親も参加できるが、それとは別に先生が帰国される日にご自宅まで見送りに行くのである。


 日本とは違い、先生方もワタシ達と同じ地域に住んでいらっしゃる。出発の日にご自宅のマンションに親子で向かう。

 3年間のあいだに担任をしていただいた子供とその親たちでマンションの中庭がごったがえす。同僚の先生方も集まる。子供たちは最後に先生と写真を撮ったり、プレゼントや色紙を渡したりして別れを惜しむ。

 いよいよ出発となると、爆竹と花火の登場である。

 けたたましい音とともに車が発車する。

 自然発生的に誰かが校歌を歌いだす。

 ゆっくりゆっくり進む車から先生も手を振ってくださる。

 子供たちが歩道を追いかける。

 やがて大通りに合流し、車は通常のスピードになる。

 それでも子供たちも全速力で歩道を走りながら叫ぶ。

「ばいばーい」

「せんせーい」

「げんきでねー」


 こうした見送りは先生のみならず日本人が本帰国するときにも行なわれる。

 何度も何度も見送りに行った。

 爆竹や花火は仲の良かった人たち有志で準備する。

 帰国する本人が「○月△日◇時に出発します」などとは大々的には知らせない。

 子供たちが聞いてくることもあるし、その人に近しい人に聞くこともある。

 年中転入してきて転出していく子がいるが、やはり年度の切り替わる春3月の出発は多い。1日に複数の見送りをしたこともある。


 我が家の出発もこの時期だった。

 日本での転入の準備のためにオットより先に母子3人で帰国することになった。

 赴任時、中国ここのマンションの中庭に来たときには知り合いも友達もゼロだった。

 その同じ中庭に子供たちとワタシの友達が数え切れないほど集まってくれた。

 事前に「見送りに行くからね」など誰からも聞かされていない。

 集まってくださったみんながサプライズ。

 大勢でワタシ達の門出を祝ってくれ、盛大に爆竹を鳴らしてくれた。

 花火を打ち上げてくれた。

 あの車の中から見た中庭の光景はワタシ達家族の宝物。

 あのけたたましい爆竹の音はみんながワタシ達を想ってくれている音。


 確かにうるさい。環境にもいいことではない。

 日本でも同じことがしたいとは思わない。

 けれどもあの日ワタシ達のために集まり鳴らしてくれた爆竹には感謝しかない。


 きっとこの春もたくさんの爆竹が鳴らされる。

 中国語での「さようなら」は「再見ツァイツェン」。

 また会おうね。

 ありがとうね。

 元気でね。


 いつまでも友達。



 爆竹には想いをこめて。

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