第35話 夕暮れのタクシーはせつなくて

 これは中国に着いて間もない頃、夏休みの出来事。


 ワタシ達は8月に中国にやってきた。学校や幼稚園への編入は2学期からとなる。夏休みなので、まだ学校が始まっておらず、当然幼稚園も同様で、母子ともに友達ゼロの状態。

 オットはというと、今思えばサイコーに忙しく(サイコーにトラブってた?)、朝早くに出勤し、帰りは日付が変わってから。

 見知らぬ異国でほぼ母子3人きりだった頃……。


 ここの夏は暑い。気温は毎日摂氏40度前後。

 いくら元気な子供たちでも「外で遊びたい」とは言わない。

 仮にそう言ったところで、とても付き添えない。

 その日の午後も小学生のムスコと幼稚園児のムスメは自宅で遊んでいた。

 リビングでふたりでふざけあっていて、ムスメがしりもちをついた。

 しりもちをついた勢いで後ろへ倒れた。

 運の悪いことに、彼女の後頭部はテレビ台の角にあたった。


 見てる限り、さほど強い衝撃ではなかったが、頭を見ると血がにじんでいた。

 最初は「痛かったね~。大丈夫だよ~」などと平静を装いながらティッシュで頭を押さえていた。

 そのうち血も止まるだろう。


 が……、

 30分経っても血は止まらない。

 テレビドラマで見るような噴き出すような派手な出血ではない。

 何分かかけてティッシュを赤く染めていく。

 さすがに心配になってきた。


 でもここは中国。

 来てからおそらく10日も経っていない。

 中国語なんて話せない。

 母子3人で出かけられるところなんて、近所の日本食スーパーくらいだ。

 どこに病院があるかもわからない。

 相談できる友達もいない。

 とりあえずオットに電話してみた。

 あいかわらず忙しいらしく、加入している保険会社に電話をしてみろと言われる。

 会社が加入してくれていた医療サービスの会社で、日本語で相談ができる。


 電話をすると、中国人スタッフが流暢な日本語で対応してくれた。

 事情を話すと、市内にある市民病院で診察してくれるという。

 もちろん日本語の通訳もするので、タクシーで市民病院まで来てくださいと言われた。


 後日わかることなのだが、徒歩で行けるところに日本語で診察してくれる診療所があった。内科、小児科だけだけど。

 でもそのときはオットでさえ知らなかったのである。


「来たばかりで、タクシーにも乗れないんですけど……」

 と半泣きで言うと、タクシーに乗るときにもう一度電話をください、私が行き先を運転手に伝えます、と言ってくれた。


 中国で初めてタクシーを停めて、母子3人で乗り込み、ジェスチャーで「ちょっと待って」と言いながら、スタッフさんに電話をして行き先を伝えてもらった。


 暑かった1日もようやく終わりそうな夏の夕暮れ。

 見知らぬ市民病院に向かった。


 けど……、

 なかなか着かない。

 途中大きな病院があったが、通り過ぎた。

「今のところじゃないの? キレイな大きな病院だったよ?」

 と心の中で思うが口に出せず。

 ムスメは今は泣き止んでいるが、頭を押さえているティッシュはあいかわらず赤く染まり。

 ヒトゴトのムスコは眠り始めた。

 中国に来てまだ10日たらず。

 夕陽が暮れていく中、どこへ向かっているともわからないタクシーの中で泣きそうになる。


 市民病院がどこにあるかわからない。

 遠回りをされているかどうかもわからない。

 遠回りくらいだったらまだいい。

 もしかして……、

 このまま母子3人誘拐されちゃったら……。

「邦人母子、中国で誘拐」

 そんなセンセーショナルな新聞の見出しが脳内に踊る。

 臓器売買、なんて単語が頭をよぎる。

 どーしよー、どーしよー、「助けて~!」とさえ中国語で叫べない。

 ワタシ、奴隷みたいに働かされるの? 子供達は? どこかへ売られちゃうの???


 どうしよ、どうしたらいい? ワタシ。

 助けってどうやって呼べばいいの? 警察の番号さえ知らない。

 ワタシ的にはもう1時間ほどタクシーに乗っている気分だったが、実際には30分弱だったと思う。

 妄想が止まらなくなり、すっかり悲劇のヒロインになりきっていた頃、タクシーは停まった。

 着いたって。

 善良なタクシーの運転手さんは、遠回りせずにきちんとスタッフさんの指定した市民病院に連れてきてくれた。


 病院についたが、建物がいくつもある大きな病院でどこに行けばいいかわからない。

 結局通訳の人に迎えに来てもらった。

 どうやら外国人は(というか外国人向けの保険サービスに入っているからか)VIP専用病棟とやらへ連れていかれた。

 ちらっと通りかかった一般病棟の待合室は中国人の人たちであふれかえっていた。

 病院なんだから、みんなどこかしら具合が悪そうな人たちだ。

 あんな大勢の人たち、どのくらい待たないと診察してもらえないのかな。


 そこへいくとVIP病棟はソファに座らせてもらい、書類に必要事項を記入し、先生を待つ。

 ここは患者の症状にあわせて、専門の先生の方が診察に来てくれる。

 うちのムスメには、もちろん外科の先生が来てくれた。

 先生は中国語しか話さないが、通訳の方を通じて診察してもらう。

 血はもう止まるけど、念のため縫いましょうということになった。


 縫う前に破傷風の注射をして、いざ頭の傷を縫う。

 え? 麻酔ナシ? ちょっと、ちょっと、その釣り針みたいなその針で縫うの?

 消毒してある? ねぇ、ねぇ、大丈夫???

 聞きたいことは山ほどあったが、中国語はおろか日本語でも口に出せぬうちに2針縫い終わってしまった。

 もちろん、ムスメは泣いた。ワタシも泣きたくなった。


 傷口にガーゼをあてて白いネットをかぶせてもらい、明日消毒に来るように言われて、今日の診察は終わり。

 その日の帰りのタクシーも通訳の人に自宅を言ってもらって帰ったような気がする。


 その後、消毒、抜糸と何回か病院へ通い、ムスメの傷は完治した。

 おかげさまで、病院までのタクシーの乗り方はマスターした。病院の名前と住所を見せるだけであるが。帰りは自宅近くのランドマークと自宅マンション名が言えるようになった。

 ほどなく、日本より少し早く始まる日本人学校へムスコが転入した。

 同じマンションのスクールバス会に入会し、スクールバスで日本人学校へ通い始めた。

「初めまして」

 とみんなにあいさつしたとき、ムスメはあの白いネットを頭にかぶったままで……。

「どうしたの? そのアタマ」

「個性的な帽子ねぇ」

 なんて言われたっけ。

「それが聞いてくださいよ~。来てすぐにムスメが怪我をして……」

 と話ができたからつかみはOK? だったのかしら???


 それにしてもねぇ、

 初めてのお出かけが病院だったなんてねぇ。


 あの日はさすがにノウテンキなワタシも中国に来たことを後悔した。

 今は、思い出すとくすっと笑える中国での最初のエピソード。



 夕暮れのタクシーはせつなくて

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