最終章

第六十一話 十年後

 ――2064年11月3日。


 日本の首都、東京。いくつものビルが立ち並んだコンクリートジャンルが、この都市全体を覆い尽している。その下界には大勢の人々が歩き回り、喧噪な雰囲気を醸し出していた。

 何て事ない日常の風景である。人々もそれが当たり前のように活動をしており、疑問を一切持たない。良くも悪くも、平和を謳歌しているとも言っていい。


 ――この東京が、かつて災厄に見舞われた事を忘れて。


 その東京の外れに、一つの児童養護施設があった。名前は『三枝育児院』。事故死、放棄、親の蒸発……その他の様々な理由から孤児となった子供達の、いわば『家』と呼ぶべき場所。

 今、その子供達が広い部屋の中で座っている。彼らの視線の先にいるのは、エプロンを着た一人の女性。


「こうして邪悪なモンスター達が、お空へと遠く遠く逃げていきました。

 怪獣はもう大丈夫だと、僕達に言って海へと帰っていきました……おわりです」


 子供達に絵本を読み聞かせている女性――名前は光咲香奈。

 彼女の朗読が終わった後、子供達から拍手が送られてくる。全員、目を輝かせているのが分かって、香奈は嬉しく微笑む。


「おもしろかったぁ! これ先生がかいたの!?」

「そうだよ。まぁ、初めて描いた物語だから、ちょっと悩んだ所とかあったけどね」


 照れているのか、ショートボブの髪をかく。

 今の彼女は二十五歳。から一人前の大人となって、美しい女へと変わっていた。そんな彼女がこうして三枝育児院に勤務し、身寄りのない子供達と共に暮らしている。


 あの時から、全てが変わったのだ。


「でもさぁ、怪獣が味方っていがいだね。ふつうは敵だったりするのにさ」

「そうそう、何で先生そうしたの?」


 男の子から掛けられる質問。純粋な疑問が、香奈にやはりと思わせる。

 こういった質問が来るのは想定内である。それに彼らは五~六歳の身――を知らないはずである。


「これはねぇ、実話なんだよ。まぁ、色々とストーリーは変更しているけど、あの時はこの絵本のように不思議な体験だったよ」

「ええ~うそだ~」

「さぁ、どうだろうなぁ?」


 突然の男性の声。香奈や子供達が振り向くと、同じようにエプロンを着た男性が立っていた。

 流郷飛鳥。彼もまた三枝育児院に勤務しており、その姿は少年時から整った物となっていた。


「実は先生も同じ体験をしたんだよ。……まぁ、あまりいい思い出じゃないんだけどな」

「そんな事を言われて信じるバカはいないよぉ」

「よう言ってくれたな。今さっき作ったドーナッツ、全部食べてやる」

「ああ!! ずるいいい!!」


 子供達からブーイングの嵐。しかし飛鳥は涼しげな顔で、背後へと指差した。


「冗談だよ。ほら皆、食堂に移動な。食べる前の手洗い忘れるなよ?」

「「「はーい!!」」」


 子供達が部屋から出ていく。残った香奈と飛鳥が見送った後、互いに顔を見合わせた。

 

「しかしよく書けたな。あまり辛い思い出だからやらないと思ってたけど……」

「まぁ、最初はそう思いましたよ。でも些細な事でもいい……少しでもが生きた証を残そうと思って……」

「……光咲らしいな」


 二人は、かつて機械仕掛けの獣を使役した者同士である。

 十年前の2054年。かつてイジンと呼ばれる災厄との戦い……二人は『アーマーローグ』と呼ばれる獣を操り、イジンを退ける事が出来た。


 全てが終わった後、香奈は防衛軍から退役したのだ。激しい戦いから来た心身の疲労……そして自身が人を守る存在と相応しくないという判断。

 何もかもが燃え尽きてしまった。それで香奈は自ら武器を捨て、馴染みのあった三枝育児院に勤務している。


 飛鳥も防衛軍関係以外は、香奈とほぼ一緒の経緯いきさつだ。元々この施設に世話された身であり、恩を返す為に日々子供達の世話をしている。

 お互いに満喫をしている。こうして無垢な子供と過ごすのは、機械兵に乗って戦うよりかはよほどマシなのだから。


「香奈ちゃん、飛鳥君! 見えて来たよ~」


 部屋にある人物が顔を出してきた。育児院院長である三枝恵美である。

 大人らしくない子供じみた容姿は、十年経った今でもほとんど変わっていない。彼女の言葉に、香奈達がすぐに出入り口へと向かう。


「すまない、遅くなった」


 出入り口の前に立つ、一人の女性。

 如月梓。武器製造企業キサラギの社長でもあり、かつてアーマーローグ計画に関わった者。十年前までは茶髪のセミロングだったが、今は長髪にして後ろに結っている。

 彼女の登場に、香奈が頭を下げていった。


「おはようございます、今日はお仕事は大丈夫で?」

「ああ、長居はしないからな。ただ薩摩さんとウィリス大佐が、用事とかで来れないのが……」

「ああ、それは新城さんも同じですよ。一佐の仕事は大変だって昨日電話しまして……」


 あれから馴染みになった新城淳は、一佐に就任している。同じく就任された岸田進と共に、正式量産された戦旗を駆っているとされている。


「では行きますか。流郷さんはどうします?」

「ん? 別にいいや。子供の世話もしなきゃなんねぇし」

「そうですか。じゃあ院長、ちょっと行ってきますね」

「ええ、神塚ちゃん達によろしく伝えておいてね」


 エプロンを飛鳥に渡し、外に出る香奈。

 彼女は如月と共に車に乗り込む。すぐに走り出す車の中で、香奈は窓の外を眺めていた。

 ビル、ビル、ビル。ありふれた東京の姿。しかし十年前までは、異形の存在によって壊滅状態になっていたのである。それが今となっては完全に復興され、平和が再び戻っている。


 あれから十年間、様々な事が起こった。


 宇宙に逃亡したイクサビト……いやイジン。それらは地球外圏から姿を消したのか、十年を経っても再び現れる事はなかった。

 化け物どもがああした行動をとったのは、恐らくは雅神牙という存在が決め手になったのだろう。あの存在が種族レベルの脅威になる……自分達を滅ぼす存在となる。故に恐れをなし、滅ぼされる前に宇宙に逃げたという事だろう。

 今頃何をしているのだろうか。未だ宇宙をさまよっているか、それとも新天地を発見したのか。そう考えた香奈だったが、今はもう結果を出すのを諦めていた。


 それよりもアーマーローグを開発したドールは、全てが終わった直後に倒産。代表取締役である矢木栄蔵は逮捕――終身刑に服しているとされている。

 そしてAOSコーポレーション。バハムートを生み出したラスベガス支社は潰れたものの、本社自体は未だに継続している。

 何でも米軍との癒着があるので、簡単には倒産する事はないらしい。またバハムートの件も営業本部長であるカーター・レーランドの独断として、彼をスケープゴート扱いにしている。いわゆる死人に口なしだ。


 そのような紆余曲折うよきょくせつが経て、築かれた秩序。もう人類を脅かす怪物もいない、それらに対抗する機械仕掛けの獣もいない。

 そして、その怪物を退けた者を知る者もいない。


 


 やがて二人は電車の中に座っていた。会話はあまりなく、香奈に至っては惰性的に前を見つめている。

 目の前に座っているのは、母親とその娘だろう少女。黒の長髪をし、整った顔つきをしており、静かに絵本を読んでいる。

 

 ――似ている。その容姿を見て、ふとそう思う香奈。あの長い黒髪が、かつて異形と戦った少女に……。

 

「着いたぞ」

「……!」


 如月の一言が、香奈に現実に引き戻す。

 開かれるドア。手にしている花束を持って、如月と共に出ていく香奈。やがて着いた先は、青い海が広がる海岸である。


 日本海に面した場所であり、そこに岩で築かれた崖がある。よく見ると岩ではない『何か』が、崖の上に寂しく置かれていた。


「行きましょう……」

「……ああ……」


 崖へと、ゆっくりと向かう。

 近付いて分かる『何か』の正体――それは石碑だった。長い事晒された影響か、凹凸おうとつのない表面に傷ができ、寂れた印象を抱かせる。


 表面に文字が刻まれていた。それは数多くの人名……かつて十年前イクサビトと最後の戦いをし、散っていった戦士達の名前である。


「美央、それに黒瀬さん達、久し振り。元気にしているか?」


 如月の目が、三つの名前を見つめている。


『黒瀬優里』。かつて香奈と共に防衛軍に就き、香奈を守ったヤングエリートの名前。

 次に『フェイ・オルセン』。その優しさで、仲間達に元気を取り戻した女性の名前。

 そして『神塚美央』。かつて獣を操り、異形と戦った少女の名前。荒ぶる神を呼び寄せ、その生贄とされた人間。


 香奈が石碑の前に花束を置く。その間にも、石碑へと語り掛ける如月。

 さながら、目の前に美央達がいると思っているように。

 

「十年経ったな……あの時の出来事が、まるで昨日のように鮮明に覚えているよ……。本当によく頑張ったよ、お前も……黒瀬さん達も……」


 日本という祖国を守る為に奮闘した少女。優しい性格を持ちながらも、大事な仲間と共に敵と戦った少女。

 そして父親の業を背負って生きてきた少女。その業は何とか消え失せたのだが、代償として神に魂を奪われてしまった。


 様々な想いを胸に、異形との戦いに散っていった戦士達。彼女達の魂は、この母なる海の中で眠っている。


「……美央さん……」


 如月に続き、香奈が伝える。

 ただ、言葉をよく考えていなかった為に一瞬だけ詰まった。どう言えばいいのか、何を伝えればいいのか……。

 それでも言いたかった。美央と何か話したかった。

 

「……今にして思えば、結構自分勝手な一面がありましたね……結構振り回されたものですよ……」


 彼女は目的の為なら手段を選ばなかった。それに翻弄された記憶が、今でも鮮明に残っている。


「……あなたの考えがまるっきり分かんなかった……でも今になって……やっと分かったような気がします……。

 あなたが目的を果たす事で、普通の人間になりたかった事を……」


 単なる推測だと思っている。しかし美央は、自身の呪いを振り払って『普通の人間』になりたかったのではと思っている。

 呪いも、狂気も、荒ぶる神から離れた普通の少女として。彼女はその姿を、心から望んでいたのかもしれない。


 だからこそ、神に魂を喰われたのが本当に悔しい。


 異形を全滅させた後、彼女には真っ当な人生を送らせたかった。そんな彼女と人生を歩みたかった。

 香奈はそれが、一番悔しかった。


「……もし生まれ変わる事があったら……いつでも孤児院にいらして下さいね……。あそこは親がある子供との交流会がありますし、思い存分歓迎しますし……。ですから……その時には言いたいですね……」


 目頭が少しだけ熱くなってしまう。もしかしたら涙が出ているのかもしれない。

 それでも、彼女に言いたかった。


「『お疲れ様でした』……って」


 もし美央が生まれ変わったら、ぜひともそう言ってあげたい。

 それが光咲香奈の願い。彼女が来るまで、孤児院を辞める訳にはいかない。




 いつまでも、待ち続ける……。

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