第四十一話 核攻撃
暗い世界だ。水に満たされた世界。
ここは深海――生身の人間が決して入り込む事が出来ない、闇の世界。宇宙と同じく過酷であり、なおかつ生存競争が激しい世界。
その深海生物の生存競争は、宇宙から来た外来種によって上書きされようとしている。今でも人間に認知されていない巨大な新種イカが、異形の手によって掴まれていった。
手の主はイジン。赤い瞳を光らせる化け物がの口を開かせ、イカを放り込んで咀嚼していく。喰らった後の満腹感を抱いているのは間違いないが、おぞましい頭部からはその感情を窺う事は出来ない。
なおこの個体だけではない。背後には三体の同族……いやそれ以上の数がいる。この闇の中で、無数のイジンが縋りつくように集っていたのだ。
この深海一帯が、もはやイジンの巣窟となっている。ある一体が突然海底でうずくまった直後、前触れもなく身体が膨れ上がっていく。
中から押し込まれるように、蠢いていく皮膚。それが突き破られ、現れてくる複数の腕。
無性増殖。とても生物とは思えない繁殖の仕方。やがて一体から複数の幼体が生まれ、急速に成長していき、増殖する。
この無限のサイクルを止められる者は誰もいない。やがて無数と化した怪物達は、腹を満たす為に陸地に上陸し、好物を纏ったアーマーギアと人間を喰らう事だろう。
だがこの時、イジン達は気付いていなかった。アーマーギアの要であるアルファ鉱石を使っていないが故に、感知する事がままならなかった。
十キロメートル遠くにいる、巨大な黒き円筒を……。
===
神牙が変異してから、二週間は経っているだろうか。
太陽の光が差し込む巨大格納庫。そこでは実に騒がしい音が鳴り響いていた。
「そっち!! そっちを持ってくれ!!」
「装甲を装着したな!! 皮膚には傷付けるなよ!!」
「なぁ、不意に動き出すって事はないよな?」
「神塚さんが操縦したっきり動かないんだ!! それよりも手を動かせよ!!」
整備員達の怒声に似た叫び。今彼らは生物と化した神牙に群がり、新しい装甲の装着を行っていた。
装甲の色は、血に塗られたような黒味のある真紅。その装甲を青黒い皮膚へと付け足し、工具の力で固定していく。
これは、異形となった神牙を隠蔽する為の作業だった。このような姿を世間に晒したらどんな事が起こるのか――誰の口から言わなくても明らかである。
作業の中に美央と香奈、飛鳥がいた。三人とも作業服を着て、装甲の装着及び出力を高めるHEシステムの点検を行っている。その点検を行っている飛鳥が愚痴を漏らした。
「ああ、やっぱ面倒くせぇ……」
「その割には率先してやってくれるのね」
「……空気を読めって俺の心が言ってんだよ」
美央が苦笑して返すと、彼の顔がそっぽへと向く。
仲間達が率先して神牙の作業を手伝ってくれたのだ。それで自分もやった方がいいだろうと思ったのか、普段は整備をやらない飛鳥も(渋々だが)こうして作業をしている。
別に無理に手伝わなくてもいいのにと、美央は思っている。それでも仲間達がこうしてくれる事に、彼女は心の中で感謝をしている。
目的の為ならば異形の力を使うという狂気を知った、歪な関係。だが今は共にアーマーローグを乗る仲間達――彼女はそれで十分だった。
「皆~サンドイッチ作ってきたよ~」
「ホットサンドです。暖かいうちに食べて下さい」
格納庫に戻って来たのは、優里とフェイだった。
二人とも割烹着と三角頭巾を身に纏い、大きな皿を二つ持っている。そこには綺麗に焼かれたホッとサンドの山がどっさりと積み込まれていた。
「あっ、ありがとう二人とも。じゃあお爺さん、そろそろ休憩にしましょうか」
「おっ、そうだな!! ここらで休憩するぞ!!」
薩摩の指示で、整備員や美央達が手洗い場に向かっていく。油まみれになっている以上、そのまま食べる訳にはいかないのだ。
戻ってきた美央達がテーブルに置かれたホットサンドに一口。中身はトマトとレタス、そしてベーコンであり、それらの旨味が口に広がった。
「うーん、美味しい。フェイさん達、料理が得意なんですね」
「ああ、実は私って料理下手だから、ほとんどは優里がやったんだけどね」
「別に言わなくてもよかったのに……」
意外や意外。フェイが料理下手で逆に優里が上手かったようだ。
まだ会ってから月日が経っていないフェイはともかくとして、優里がそうだと美央は気が付かなかった。普段から食堂で済ましているからだろうか。
そんな優里だが、途端に神妙な顔つきで改修途中の神牙を見つめていった。
「後もう少しといった所か。やはり重量は上がるだろうか?」
「それはもちのろん! ただアルファ鉱石の性質のおかげで、そこまで重いといった感じじゃないがな」
月で採取された、どの金属よりも軽くて強固なアルファ鉱石。
もしこの性質がなければ、このような追加装甲を付けるというプランはオジャンになっていた所だろう。
それよりも真紅の装甲を纏われた神牙が、その禍々しい瞳で見下ろしている。作業に不思議に思っているのか、それとも訳の分からない装甲を付けられて不快感を示しているのか――怪獣の考えは、人間である美央達に分かるはずもない。
「ねぇ、これって改修機みたいもんだよね?」
「えっ? まぁ、そんな感じですね」
フェイへと自信なさそうに答える美央。
これは装甲を纏わせる事で、異形の姿を隠す偽装でもある。ただ色々な調整を加える予定なので、フェイの言葉を借りるならば『改修』だろう。
つまりこの紅い神牙は、ある種の改修機あるいは後継機と言っても差し支えない。
「どうせならさ、名前を変えない? やっぱ後継機って言ったら名前変更だし」
「……名前ですか……」
確かに名前を変えても罰は当たらないだろう。美央は顎に手を当てて考え始める。
神牙という名前は残す事にする。自分で付けたゲン担ぎみたいな物なので、どうしても外す訳にはいかない。
ならば、神牙に何らかの言葉を入れた方がいいだろう。という訳で美央は改修途中の神牙を眺めていく。
真紅の装甲に包まれた神牙……汚れのない真紅が太陽光に反射され、美しい輝きを見せる。それが『
――決まった。我ながらいい名前だと、美央は確信する。
「『
「へぇ、雅神牙……いいじゃん。皆はどう思う?」
「まぁ、いいじゃないですかね?」
フェイも香奈達も納得している。美央はこの名前で行く事に決めた。
雅神牙。雅な装甲を持つ神牙に相応しい名称。これからはそう呼ぶ事にする美央。
「……まぁ、お前にとってはあまり変わらないでしょうけどね」
「あん?」
「ああ、何でもないわ」
小声が飛鳥に聞かれたので、苦笑しながら首を振る。
今は神牙……改め雅神牙への言葉である。どうせ自分の言葉が理解出来ないだろうが、それでも何か話しかけたくなる。
機械ではなく本当の生物になったからもしれない。相棒というよりは、もう一つの身体と言うべきだが。
「……ん、電話」
ちょうどその時、着信音が発してきた。
携帯端末を取り出すと、相手は如月だと分かった。彼女はすぐに電話に出る。
「もしもし梓さん、どうしたの?」
『美央、光咲さん達を連れて今すぐに来てくれ』
「? どうしたんですか?」
『いいから早く来るんだ』
それだけ言った後、如月の方から勝手に切ってしまった。
怪訝に思う美央であるが、ひとまず香奈達を連れて社長室へと向かっていく。しばらく経ってその場所へと入ると、壁の巨大モニターを睨めんでいる如月の姿があった。
「おお、やっと来たか。見てみろ」
美央達へと振り向く如月。彼女がモニターへと指差すので、美央達が一斉に画面を覗いていく。
ニュースだ。海を模したような図と黒い円筒が見える。円筒には『
その正面には――無数の赤い点が点滅していたのだ。
「……まさかこれ……」
「ああ。アメリカの原子力潜水艦がイジンの巣窟を発見したらしい。赤い点がイジンだそうだ」
――どよめき。香奈達にそんな空気が漂う。
捜しても全く見当たらず、果ては撃沈までされたイジン巣窟捜索計画。それがこの映像の中で繰り広げられている。
内容からしてリアルタイムのようだ。つまり巣窟をどうにかするまでの経緯を、この映像で刻々と刻まれるという訳だ。
「今から潜水艦が発射弾道ミサイル……要は核ミサイル攻撃を行うだそうだ。それもイジンに破壊されても構わない捨て身攻撃でな」
「……そこまで……」
何という神風。何という刺し違え。この潜水艦のクルー達は、今まさに捨て身の覚悟でイジン達を葬り去ろうとしているのだ。
射程距離に入ろうとしているのか、潜水艦が着々とイジンの巣窟へと近付いていく。あまり他人には無頓着な美央でも、そこまで近付かなくてもいいのにと思ってしまう。
そして、イジンの反応が動き出した。
「あっ……」
声を漏らしたのは香奈だった。
イジンの集団が潜水艦に群がろうとする。それは巣に入り込んだスズメバチを撃退しようとするミツバチの如く――ゆっくりと潜水艦の周囲を取り囲んでいき、破壊しようとしていた。
息を吞む瞬間を、美央は感じた。これさえ失敗したらイジンが場所を変える可能性がある。つまり
だがその時、放たれた。潜水艦から二本のミサイルが。
直後として潜水艦の反応がイジンに埋もれる。それでもクルー達の魂が宿っているかのように、二本のミサイルはまっすぐにイジンの巣窟へと向かっていく。
無数のイジンに変化が起きる。逃げようとする集団、留まる集団、ミサイルを止めようとする集団。そんな事をお構いなしに、集団の中にミサイルが入った。
そして、爆発が起こった。
「…………」
美央は見た。巨大な爆発がイジンを飲み込もうとするのを。跡形もなく全てを消滅しておくのを。
人類がもたらした福音にも災厄にもなりえる核の炎。それは放った潜水艦すらも巻き込み、その映像を焼失させた。
潜水艦が消滅した事で、その反応もろとも焼き尽くしてしまったのだ。
「……全滅……したでしょうか……」
長い沈黙の中を破ったのは、他ならぬ香奈。
誰もが答えを出そうとしない。ただ消失した映像を、その無垢な瞳で見守るだけである。
それは美央も、同じだったのだ……。
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