第四十話 一人にしてはいけない

 獣の中にいる。獣を操縦していた。

 その事実に息を吞む美央。もし自分が第三者だったら眉唾物だと軽んじる所だろう。


『……美央、大丈夫なのか? 降りられるのか?』


 呆然とした美央が、その言葉にハッとする。

 言ってきたのは優里だった。振り返ると、普段仏頂面をしている彼女に心配の表情が浮かび上がっている。

 そうなるのも致し方ないのかもしれない。この化け物に取り込まれているのではないかと思っているかもしれないのだから。


「多分出来る……格納庫で降りるわ……」


 ここにいれば誰かに見つかってしまう。一旦、神牙を格納庫の中に入れていく美央。

 神牙を屈ませた後、コックピットハッチを開放。軋み音を立てながらも、それは問題なく開かれていった。

 恐る恐るギアインターフェイスを外していく美央。外す際にこれといった異常は見当たらないのを知った彼女が、慎重な位に神牙から出ていく。


 この神牙が意思を持って動くのではないか。比較的冷静な彼女がそう考えてしまう程に、神牙の瞳はまるで生きているのかのような雰囲気を醸し出している。

 やがて降り立っていく美央。すぐに彼女は香奈達の元へと駆け付けていった。


「美央、大丈夫なのか?」

「う、うん……何とか……」


 如月に挙動不審ながらも頷く。

 その一方で、変貌した神牙を見上げていく香奈達や整備員。誰もが唖然と、異形の巨獣を前に立ち尽くてしまう。


 常世から来訪した神を、畏怖するかのように。


「……何だよこれ……本当に神牙なのかよ……」

「私も同意見だよ……一体何これ……」


 飛鳥は文字通り開いた口は塞がらない。フェイも彼の言葉を聞いて、疑念に満ちた顔へと変わっていく。

 ――その間、美央は確信した。この変異は、十中八九に関わっている。となると隠し立ては出来ないだろう。

 

 そもそも馬鹿である。説明する必要がないと黙っていたツケが回ってきたのだ。これは自分の自業自得である。

 

「……美央、海の中で何があった? 全部教えてくれないか?」


 優里が聞いてくる。彼女達は海の中の出来事を全く知らない。

 美央は頷き、薩摩に変異した神牙を任せる事にした。そして全ての事実を香奈達に伝える。


 急に神牙が発熱し、海の中で気絶してしまった事。海の中でイジンとアーマーギアの融合体と戦った事。

 その話を聞いているうちに、全員の顔が曇っていく。


「本格的にイジンがアーマーギアと融合を果たそうとしているのか……。これは今までのようにいかないかもな」


 全員が思っている事を、優里が代弁。

 生体ミサイルの複製となると、もしかすれば機関銃といった生体武器を造り出すのかもしれない。無数の遺伝子情報を持っているイジンならばそんな事など造作のないはずだ。


 もはやイジンとは呼べないだろう。全く新しい敵――全く未知の存在。


「ああいった個体が出た場合、イジンと区別する必要がある……。便宜上、『イクサビト』と名付けるわ」


 戦人イクサビト。戦いに赴く者を表す単語。

 アーマギアと融合し、戦闘能力を高めたあのイジンに相応しい……と美央自身は思っている。

 あくまで仮称なので、変更される可能性は無きにしも非ずだが。


「……まぁ、一応その名前で行こう。それよりも問題はあの神牙だ。一体どういう事なんだ?」


 名前など、優里達にとって重要な事ではない。重要なのは変異した神牙だ。

 美央が如月を見る。彼女が憂いに満ちた表情をしているのを確認した彼女は、ようやく口を開く。


 黙っていた真実を――。


「皆に黙っていた事があるわ。あの神牙にはね、他のアーマーローグにはない秘密がある」

「……だと思っていた。一体どんな秘密なんだ?」


 最初に尋ねる優里。彼女の鋭い瞳は、まるで美央を探っているかのよう。

 美央は息を整える。そして、口を開けた。


「イジンの元になったアルファ細胞は、アルファ鉱石を加工した装甲にある効果をもたらす。それは装甲の強度を維持したまま、形状記憶合金のような柔軟性を与える事なのよ。

 もう言わなくてもいいよね?」

「……神牙の装甲に、アルファ細胞が植え付けられていた……」

「……そういう事よ、香奈」


 香奈のその言葉が答えだった。

 神牙の獣じみた柔軟性の秘密。それは全装甲に、アルファ細胞を埋め込むという実験の産物であるのだ。これによりあの機動性を生む事に成功したのだが、それがあの結果になるとは美央ですら思ってもみなかった……。


「もちろん、他アーマーローグにはアルファ細胞は埋め込まれていないわ。アルファ細胞は父の研究所に残った物を培養した物。その効果もドールの第6研究セクションが解析させた結果。

 そしてその移植を提案したのは……私自身なのよ」

「……何でそこまで……」


 香奈から疑念が問われる。

 美央は、ちゃんと答えを考えていた。


「……アルファ細胞を移植した装甲は柔軟性が高い。だからこそあの動きが出来るし、尻尾もしなやかに動く。

 でもアルファ細胞を埋め込むんだから、危険性があるのは当たり前。だから、私の神牙だけに埋め込む事になったのよ。その結果がこれだけどね……」


 美央が振り返った先にある、神牙が変異した『何か』。

 薩摩を含む作業員が恐る恐る装甲を調べている。もはや怪獣型ロボットではなくて本当の意味での怪獣になったのだから、恐れるのも無理はない。


「マンハッタンの戦闘で起こったイジンと装甲の接触……それが恐らく装甲内部のアルファ細胞を刺激させ、暴走とこの変異を促した。

 そして仮説だけど……神牙は自我を持っているのかもしれない」

「どういう事なんだ……?」

「――ギアインターフェイス」


 優里へと、その意味を教える。


「あれを装着した時、神牙の……念のような物を感じた。何て言っているのか分からなかったけど……確かにこいつの言葉みたいな物を感じたわ……。

 こいつは……私を必要としているのよ。自分の身体を動かす為の……人身御供ひとみごくうを」


 意図的ではないが、変異した神牙へと語りかけるような美央の言葉。

 刹那、神牙の瞳が不意に動いた。生物的で禍々しい眼光が見据えるのは、他でもない美央である。


 後ずさる整備員や香奈達。誰もが動くのではないかと警戒し、神牙の周囲には誰一人いなくなった。

 だが動かなかった。目だけ動いて、身体などの部位は一切動じなかった。まるで身体が硬直状態になっているかのようである。


 美央の推測通りのようだ。この個体は、自身で身体を動かす事は出来ないようだ。そして操縦やギアインターフェイスを使う事によって初めて動き出す。

 美央という人身御供を利用して……。


「……それよりも姐さん、どうするんよ?」

「……どうするって?」

 

 美央が飛鳥へと聞く。彼が神牙を見て、顔をしかめていく。


「……こいつ破棄するか、しないのか……。俺としちゃ破棄した方がいいと思うけどな……」

「…………」


 確かに、こんな怪物は破棄した方がいいのかもしれない。

 異形の存在を人は拒む。神牙を恐れ、破壊を望む意思があってもおかしくはない。


 しかし美央は……


「いや、イクサビトを倒した時に分かったけど、こいつは奴らの装甲を破壊出来る。殲滅に使わない手はないわ」

「あれを使い続けるって事ですか……」

「…………」


 性能は神牙とは比べ物にならない。例え化け物になったとしても、彼女はこの機体を操るまでである。

 だからだろうか。香奈が一歩前に出て、声を荒げるのだった。


「どうして!? そこまでしてお父さんのしてきた事を否定したいんですか!? あのような化け物を使ってまで!!」

「ええ、そうよ」


 興奮している香奈に対して、美央は冷静だった。

 無表情で、そして冷たい瞳をしたまま……。


「私は父さんも、イジンも否定したい。それが出来るなら、こんな化け物でもやってやるわ。

 それでも付いて来れないなら、去っても構わないから……」

「……」


 香奈は何も言わなかった。ただ口ごもり、目線を逸らしていくだけ。そして優里も飛鳥もまた、難しい表情で美央を見ている。

 美央はしばらく彼女達を見つめ返していた。その後、不意に薩摩へと振り向く。


「薩摩お爺さん」

「……ん?」

「こいつで戦う場合、世間にこの姿を晒す訳にはいきません。ですから周りに装甲を被せる事は出来ますか?」


 異形の姿を隠すならば、装甲を被せるしかない。それで外見だけならば単なるアーマーローグだと認識出来るだろう。

 

「……何とかやってみよう。社長の許可があれば」

「もちろん承認します。アーマーギア開発企業に知り合いがいますから、そこで掛け合ってみる。

 という訳でお願いします、薩摩さん」

「ええ、了解しました」

「……これでいいな、美央」


 同意を求める如月。対し、ゆっくりと頷く美央。

 神牙は自身の専用機であり、地獄の道連れ要員。先程に彼女が言ったように、もう手放す事は出来ないのだ。


 美央が神牙を見つめる。神牙もまた、禍々しい瞳で彼女を見つめていく。人と獣――言葉なき視線の交わし合いが、周囲を黙らせていく。

 その背後で、香奈達が互いに顔を見合わせている事に気が付かず……。




 ===



 

 ――三日月が闇に浮かんでいる。今は夜となっている。

 キサラギ社内のある廊下。異様な程に静けさを増したこの空間に、三人の男女がいた。

 香奈、飛鳥、そしてフェイ。美央の仲間達が、ある理由でここに来たのである。


「…………」

 

 香奈達が、ただ壁に寄り添って黙っている。

 誰もが思っているのだ。あの化け物で戦おうとする美央を、付いて行くか付いて行かないか。一応、優里がその事について川北に連絡している所だが、どうしても頭の中でそんな事がよぎっていく。

 

 香奈は前に、どのような事があっても信じると美央に言っていた。ただここまで来ると、さすがに動揺も出てしまう。

 化け物を使ってまでイジンを滅ぼすなんて、いくらなんでもやり過ぎである。

 

「……こう言っちゃ何だけどよ……姐さんって狂っているって思うな……」

「飛鳥!」


 突如として零れる飛鳥の独り言。そこにフェイが凄みを利かせる。

 飛鳥は口ごもり、そっぽを向く。


「わりぃ……でも、何もあの怪獣を使う必要なんてないだろう……。ドールに頼んで新しいの造ってもらえば……」

「……多分ですが、美央さんはそれで納得しないと思いますよ」

「あ?」


 答えたのは、香奈自身である。

 最初に美央の仲間になった彼女は、美央の性格を多少ならば理解している。だからこそ先の推測を口にしたのだ。


「アーマーローグを造るのに時間が掛かる……その間にイジンが蹂躙するの……あの人は許さないでしょうね」

「……それも……そうだな……」


 納得をする素振りを見せる飛鳥。

 その様子を見た香奈が、次にフェイへと尋ねる。


「フェイさんは……どう思います……?」

「……私は……付いて行く」


 彼女が、ハッキリと自分の意志を告げたのだ。

 意外だと内心思う香奈。そこに寄り添っていた壁から離れ、香奈達の前に立っていくフェイ。


「あの子には私達が必要なんだよ。孤独にさせちゃいけないと思う。だから……どんな事があっても付いて行こうと思うんだ」

「…………」

 

 どんな事があっても付いて行く。かつて、香奈が美央へと告げた意志と同じ。

 やはりそれしかないのかもしれない。神塚美央はあらゆる意味で一人にしてはいけない……仲間である香奈達が寄り添う事で、彼女は人間でいられる。


 一人になってしまったら、彼女は破壊をもたらす獣に成り果てるのだから。


「遅くなった。すまない」


 空間に響き渡る靴音と声。振り向くと、優里がこちらへと向かって来る。

 どうやら連絡を終わらせたようだ。すぐに香奈が尋ねる。


「川北司令は何と……」

「……『何が起こるのか分からないから監視を続けてくれ』。我々は引き続き、神塚美央を監視するのだ」

「…………」


 やはりそうなった。香奈は納得の感情を示す。

 美央は、やはり一人にしてはいけないのだ。 




 ===



 

 人気がなくなった格納庫に、静寂が増していく。アーマーローグ三機も、左腕が戦旗仕様に換装された戦陣改も、操縦者がいない故にただ静かに鎮座しているだけである。

 変異した神牙もまた例外ではない。生物的なのにただ座っているその姿は、ある種の恐怖が湧いてくる。


 機体の前に、美央が立っていた。彼女が携帯端末を片手に電話をしている。


『そうか……神牙がそんな事に……』


 電話の相手はドール社長の矢木栄蔵。彼は神牙の変貌を聞いて、そこまで驚いていなかった。

 まるで最初からこうなる運命だと思っていた台詞。装甲にアルファ細胞を埋め込むと聞かれた時は、難儀を示したのだから無理もないか。


『それでも君はやるんだな、その機体で』

「もちろんです。あの機体は私の身体同然になっていますからね。それにあの力があれば、イジンに対抗だって出来る……」

『なるほど……まぁ気を付けたまえ。ああ、それとエミリーがどうやら裏切ったようだ』

「……はっ?」


 いきなり何言っているのだろうか? 唖然としている間にも矢木は続ける。


『アーマーローグのデータを持ち去ってAOSコーポレーションに行ったらしい。どこか胡散臭い所があったから、何となく察してはいたのだが……』

「……何で止めなかったんですか……?」

『どうせ彼女が止めても他の者がそうするだろう。別に構いはしない』

「…………」


 やはりこの男は苦手である。どこまでふざけた精神をしているのか……。

 それを言いたかったのだが、言葉が喉に詰まってしまって言うに言えなかった。


「……分かりました。何かあったら連絡して下さい」

『ああ、それでは』


 電話を切り、端末をポケットにしまう美央。

 彼女の視線が神牙を見上げていく。相変わらずその青い瞳だけ動き、美央を見下ろしている。

 おぞましいの一言しか思い付かない。それでも、美央は獣へと苦笑を漏らすのだった。


「よほど暴れたいって視線ね。そんなに私が必要なんだ? まぁ、奴らが来たら好きなだけ血を浴びせるけどね」


 ギアインターフェイスで繋がっているから分かる。この神牙には破壊本能しかない。

 あらゆる物を、あらゆる生物を、何かも破壊し、無に帰す存在。だが今は、美央なしでは動く事は出来ない。


 だからその瞳は、いつも美央を見つめている。自分の身体を動かす為の人身御供として。


「……美央さん」


 背後から声がしてきた。

 振り返ると香奈達が立っている。皆、神妙な面相で美央を見つめており、何かを訴えようとしている。

 美央は察している。自分に付いて行くか付いて行かないのか――それを言いに来たのだと。


「……答えは出たかしら?」

「……はい……」


 ゆっくりと小さい顔で頷く香奈。

 そして美央は聞いた。彼女達の、その意志を。

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