第五十三話 人間のままで

『それ』は認識していた。自分の身体が拘束されているのを。

 両腕と尻尾を鉄の紐のような物で巻き付かれており、まるで磔のように思える。さらに頭上を見ると、刃が回転する鉄の塊がある。


 それは鉄の塊によって宙を浮いていたのだ。一体どこに行くのか、一体どうなってしまうのか……それ自身は何も知る事はない。


 


 ――戻したい。あの神の力を、自分の元に戻したい。




 何かがよぎったのを、それは感じる。

 音のようだが、具体的にどういった物なのか知る由もない。しかしその意味は分かっている。


 呼んでいる。かつてを付けた何かが呼んでいる音だ。


「ア゛アアア……ア゛アアアアアアアア……!!」


 それは、雅神牙が、動き出した。

 身体と尻尾を激しく動かし、唸り声を上げながら暴れていく。体勢が崩れていく鉄の塊。


『な、何だ!? 急に動いて!!』

『誰が乗っているのか!?』

『そんなはずないだろ!! とにかくワイヤーを切れ! 墜落する!!』


 音のような物が聞こえたが、やはり意味が分からない。それに理解しなくても困らない。

 音を発した何かをよそに、拘束から脱しようと身体をよじる雅神牙。その影響で、鉄の塊のバランスが崩れ、一緒に落下していく。


『うわああああああああ!!』

 

 落下。そして塊からの爆発。同時に音のような物は、嘘のように消え去った。

 爆炎の中で、雅神牙は目的地へと急ごうとする。しかしどういう事か、手足が固まったかのように動かない。


 どうやら呼び寄せた何かと一体化する事で、初めて動く事が出来る。

 

 それを知った雅神牙は、ひとまず動ける部位で何とかしようとした。それにより身体や尻尾を巧みに使い、ぬたくるように突き進んでいく。

 呼び寄せた何かの元へ、本能的に戻る為に。

 

 


 ===




 ――あれから数時間が経った。


 ビルに巨大な物体が倒れ込んでおり、倒壊している。戦旗部隊によって倒されたトライポッド型未確認巨大生物であり、今でも瓦礫や紙、機材が地面へと落ちていく。

 もはや動く事はない、ただの屍。それを見る者はもう誰一人いない。


 何故なら、次の戦いが始まっているのだから。


「オラアアアアア!!」


 新城が乗る戦旗。その右腕に鉈を、目の前の巨大生物へと振るう。

 狙い先は円盤部位を支える細長い脚。あの巨体だ――その一つでも切断させれば、重量でバランスを崩す事が出来る。


 しかし戦旗の目の前に放たれる、線状の光。


「チイイ!!」


 寸前で回避する戦旗。無機質な頭部で、線状の光が来た方向へと向いていく。

 そこにも、もう一体の巨大生物。一体目を倒した後に現れた増援であり、戦旗やアーマーローグ部隊の敵である。


 一体が危険な状態に遭ったら、もう一体が援護する。あるいはその逆と、二体が互いにフォローする事で、死角や奇襲を対応している。

 故に一体目のようには上手くいかない。例えミサイルを放っても、接近しても、すぐに対応されてしまう。


「……くそっ……」


 早くこいつらを倒さなければ……。新城に焦りが生じていく。

 それなのに、この巨大生物達はとっとと死んでくれやしない。しかもアーマーローグとアーマギアを見下ろす化け物共。


 あたかも嘲笑しているようで、怒りが湧いてくる。




「オオオオオオオオオオンン!!」


 突然の咆哮。そして新城の視界に入って来る、青白い光。

 光の筋が一体の未確認巨大生物に直撃し、爆発をもたらしていく。しかし大したダメージではなかったのが、黒煙を上げながら振り向く個体。

 新城や他の戦旗、二機のアーマーローグもまた、反射的に同じ行動をとっていた。


「……あれは!?」


 目を疑ってしまうとはこの事だろうか。とても信じられなかった。

 彼や巨大生物が見ている物。それはここにあるはずない物だったのだから。 




 ===




 戦場へと駆けていく二機の機体。それはエグリムと、ここにあるはずないであろう雅神牙。


 自ら操縦者の元に戻り、その操縦者と共にいる。戦旗部隊や他アーマーローグ部隊が驚愕するだろうが、それは無理もない。

 この状況の中、比較的冷静なのは雅神牙に乗る美央と、エグリムに乗る香奈だけ。美央がもう止められない、雅神牙から降ろす事は出来ない。そう悟った香奈は、美央に付き従うまでだ。


「! 美央さん!?」


 雅神牙が先行する。トライポッド型イクサビトから放たれる熱線。

 しかし雅神牙がビルの壁面へと跳躍し、熱線を回避。そしてあろう事か、壁面を垂直に走っていく。


 今までなかったあり得ない動きが、もう単なる機体ではない事を示唆するかのように。香奈はただコックピットの中で、静かな驚愕をするしかなかった。


『ハアアアアアアア!!』


 壁面から跳躍する雅神牙。その姿は損傷したイクサビトの胴体へと消え、そして暴れていくイクサビト。

 刹那、円盤状胴体を貫く光の刃。胴体を斬り裂き、断面から飛び散っていく大量の火花。


 香奈は見た。断面の間から見える雅神牙の姿を。右手からの四本爪から伸びている、光の刃を。


 破壊されたイクサビトが、一体目と同じようにビルへと倒れ込む。崩れていく壁面と落下していく瓦礫……それらが道路上にあった自動車を潰し、爆発させていく。

 火の手が上がる中、イクサビトは死亡。頭上で咆哮する、真紅の獣神。


『何が……戦旗部隊に任せればいいだ!!』

「……!?」


 無線越しに声が聞こえてくる。

 美央の叫び。それも……憤怒の叫び。


『何も出来ない癖に!! 勝手に雅神牙を捨てておいて!! それでこの様か!! 結局私がしなければ、雅神牙がいなければ、何も出来ないじゃないか!!』

「………………」


 岸田に言われた言葉が、美央の胸に刻まれているのだろうか。

 この言葉を意味するのは、美央が防衛軍をアテにしていないという証。もう彼女は、雅神牙という鎖に縛られてしまっている。


 返す言葉が、見当たらない。


「ブオオオオオオオオンン!!」


 残った一体が、雅神牙へと熱線を放っていく。

 回避しつつ、イクサビトから跳躍する雅神牙。しかし熱線を放った触手が伸ばされ、殴打されてしまう。


『グワッ!?』

「美央さん!!」


 飛ばされていく雅神牙。叫ぶ香奈。

 真紅の機体がビルの屋上へと消えていく。呼び掛けるのは香奈ではなく、キングバックに乗るフェイである。


『大丈夫!?』

『ええ、何とか…………うぐ……!』

「!? 美央さん!?」


 返ってきたのは、美央の呻き声。

 どこか負傷したのだろうか? それとも例の侵食か? 今の香奈には、彼女の状態を知る由もない。


 だが、いずれにせよ不安だ。もしこのまま戦い続けてしまったら……。


『平気……平気だから!! だから早く……!!』


 美央が叫んでいる合間、エグリムの頭上が暗くなってきた。

 見上げると、イクサビトの脚が迫って来たのである。すぐにホバー移動でかわすと、その場所に脚が落ちていく。


『ハアアアアアアア!!』


 エグリムを襲った脚に、バトルアックスを振るうキングバック。

 余程頑丈に出来ているのか、切断は出来ない。しかし大質量の攻撃が脚を折れさせ、イクサビトを転ばすのに十分であった。


 バランスを崩すイクサビト。この隙にエグリム香奈がもう一本の脚へと向かい、クリーブトンファーを突き刺していく。これで脚を切断――は出来なかった。

 やはり脚も強固されているようだが、よく見ると変異級のように隙間が生じている。だとするならば、クリーブトンファーではなくナイフでやるしかない。

 エグリムが腰にマウントしたナイフを取り出し、突き出していった。今度は――見事に突き刺さり、鮮血のように散る火花。


「喰らええええええ!!」

 

 叫びと共に、ナイフで大きく抉る香奈。すると脚が切断され、イクサビトがビルへと倒れ込む。

 壁面に埋もれる円盤部位。そこに放たれる火器の雨。戦旗部隊のガトリング、キングバックの二連装キャノン、アーマイラのミサイル。


 爆発、閃光、火花。強固な装甲を持つイクサビトと言えども、これだけの攻撃となると大きく怯むしかない。

 悪あがきとばかりに放たれる熱線。しかし人間側へと狙いを定める事はなく、明後日の方向へと飛ばされていく。それらが回りにあるビルも、道路も、車を両断してしまう。


 ホバー移動をこなし、迫り来る熱線を回避するエグリム。そして熱線器官である触手に向かって、頭部のマシンキャノンを照射。

 運よく直撃して爆発。汽笛のような悲鳴がイクサビトから上げられる。


 その直後だった。


『皆、離れろ!!』


 必死さを思わせる怒声。その声がしたと思うと、雅神牙がビルから跳躍した。

 その時、背ビレが青白く光った。いや、背ビレからレーザーブレスのようなプラズマを放っているのだ。

 あれが雅神牙の人智の越えた力。香奈がこの目で認識した時には、雅神牙が身体をくねらせ、背ビレのプラズマでイクサビトを切断。


 荒ぶる神が持つ光の翼が、神になりきれなかった異獣を断罪する。二つに分かれたその身体は、ゆっくりと地に伏せてきた。


「うわっ!!」


 倒れた時の突風と衝撃波。車や瓦礫はおろか、エグリムですら吹き飛ばす。

 舞っていく土煙。瞬く間に戦場は、視界なき世界へと変わっていった。


「……痛……」


 土煙の中で、立ち上がるエグリム。

 パイロットたる香奈が打った頭を抑え付ける。反転した視界が元通りになっていくにつれて、周りの光景が判明してきた。


 土煙に覆われた一面。まるで霧のように、ビルや地面を覆い尽している。

 その土煙が次第に晴れていく。そして目の前に姿を現す、異形の影。


『……大丈夫?』

「……美央さん……」


 雅神牙だった。真紅の怪物が、異形の腕を差し伸べてくる。

 恐ろしい姿。腕を掴むどころか、恐れをなして逃げてしまう程。しかしそのパイロットは、仲間である美央。

 だからこそ香奈は、躊躇なくエグリムの腕を伸ばした。


『……う゛うう!!』


 だが腕を掴もうとした時、雅神牙が倒れていった。

 両腕で地面に付けるも、立ち上がる事はない。ただ聞こえてくる美央の呻き声が、尋常ではない状態を意味している。

 香奈に緊張が走った。必死に叫ぶという行動しか考えられなかった。


「美央さん! しっかりして下さい!! 美央さん!!」


 やはりこの機体は危険である。香奈は雅神牙のおぞましさを改めて知る事となる。

 それでも美央はこれに乗っている。先程の雅神牙の力――あの神の力を見れば、こだわる理由を理解出来もなくない。しかしそれを操るには相応の代償がある。


 その代償を、美央は受け入れているのだ。香奈だったら到底受け止められない。


「美央さん!!」

「……ハアアアア……ア゛アアアアアア……」


 香奈の耳に聞こえる、この寒気をする何か。美央の声ではない。自然現象の音ではない。

 ――雅神牙自身の唸り声だ。その雅神牙がゆっくりと、そしてぎこちなくエグリムへと振り向いていく。


「……美央さん……?」


 蛇に睨まれた蛙の如く、香奈は固まってしまった。そこには美央の意思は見当たらない。ただあるのは、全てを破壊する獣の意思。


「……オオオオオオオンンン!!」


 突如として伸ばされる獣の腕。香奈が認識するよりも早く、エグリムの首が掴まれてしまった。

 香奈などどうでもいいとばかりに、地面に大きく叩き付けられる。突然の乱暴が、香奈を驚愕へとさせてしまう。


「美央さん!? どうしたんですか!?」

「ウウウウウウウ……オオオオオオオンンン!!」


 美央の返事がない。返って来るのは殺気溢れる咆哮。

 香奈は混乱するしかなかった。一体何が起こったのかも分からない。分かるのは、雅神牙の顎部が向かって来る事。


 狙いはコックピット。エグリムが雅神牙の頭部を押さえ付けるも、徐々に迫って来る。


「ア゛アアアアアアアアアア!!」

 

 目の前にいるのはもはや美央ではない。破壊を求める、理性なき荒神あらがみの化身。

 制御しきれぬ力が、香奈へと襲い掛かっている。彼女に出来るのは、美央へと叫びだけ。


「美央さん……あなたがしたいのはこんな事じゃないんでしょう!! イジンを一匹残らず滅ぼしたい!! いつもあたし達にそう言ってきたじゃないですか!!」


 二機の背後から、アーマーローグ部隊と戦旗部隊が駆け付ける。立ち尽くすアーマーローグに対し、携帯武器を掲げていく戦旗。

 香奈に何かあれば、すぐに発砲するようだ。


「これが……これがあなたがしたい事なんですか!! 本当にこれでいいんですか!!




 答えろぉ!! 神塚美央ぉ!!」

「ア゛アアアアアアアアアアアアアアア!!」


 エグリムの両腕が跳ね除けられる。雅神牙の牙が香奈へと真っすぐ……。

 香奈は目を閉じた。反射的に、そして死を覚悟して。出来れば、痛みは一瞬にして終わらせたかった。

 











 しかし、痛みは来なかった。

 

 

「………………」


 恐る恐る、目をゆっくりと開ける香奈。

 彼女の視界に飛び込んだのは、地面へと噛み付いた雅神牙だった。突飛な行動に、香奈は驚きを隠せない。

 まるでそれは、香奈から牙を逸らしたかのように。


『……そうね……私は……その為に生きている』


 美央が、語り掛けてくる。

 正気を取り戻した。そう認識するのに、香奈は時間が掛かってしまった。


『……香奈。死にそうになってまで、目的を果たす事はないって……そう言ったよね……?』

「…………」

『その通りかもしれない……この化け物に侵されると……自分という存在がなくなっていく……。こんな思いをするなら……人間のままでいいって思ってしまう……。

 それでも私は、こいつを手放す事が出来ない……』

「……美央さん……」


 言いたかった。『何でそんな事を口にするのか』と。

 しかし、何かに封じられたように、言葉が出てこない。


『私は雅神牙を必要としている……雅神牙が私を必要としている……。もう断ち切る事は出来ない……。

 だからね……私は……』


 美央が語る。その決意を。


『……人間のまま、死んでいくわ……』


 ――香奈は、何も口する事は出来なかった。

 その決意は、死への覚悟だったのだから……。

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