第五十二話 狂気への後悔

 災厄が巻き起こる。


 瓦礫に埋もれた被災者の救助活動をしている、ある地域。その地面が、何の前触れもなしに揺れ出した。

 救助隊や被災者の足取りがおかしくなる。誰もが周囲を見渡して不安に思っている刹那、真下の地面に穴が開いていった。


 奈落の底。瓦礫も、自動車も、やっと助け出された被災者も救助隊も、全てが穴の闇へと吸い込まれていく。

 瓦礫の音でかき消される悲鳴と断末魔。なだれ込む瓦礫に潰されていく人間。理不尽な災害は、人々の命を簡単に消してしまった。


「ブオオオオンン!!」


 汽笛の如き轟音と共に、巨大な穴から這い上がる異形の存在。それは白銀をした円盤状の物体であり、前面には無数の赤い瞳を灯している。

 円盤状の物体から見える三本の脚。まるでタコを思わせるような細長い形状であり、地面に食い込むように立っている。


 三脚トライポッド型。その赤い瞳と白い体表が、未確認巨大生物である事を示唆している。五十メートルも及ぶ怪物が地上へと這い出し、足元を見下ろしていったのだ。


「逃げろおおおおおおおおおお!!」


 足元にいるのは、自分よりも小さな人間。異形の存在を目にした彼らは、ただ悲鳴を上げながら我先へと逃げ惑う。

 巨大生物にはどう映っていたのだろうか。それとも何を思っていないだろうか。思考が読み取れないおぞましい機械――その円盤状物体の側面が展開されていく。


 側面から現れてくるのは、先端が青く光る二本の触手。光が強くなった時、熱線として照射された。


「いやぁ……アガア……!」


 熱線を受けた人の身体が、蠟のように溶けていく。

 次々と熱線の餌食となる人間達。さらに生きている者へと狙いを定め、無差別攻撃を行う未確認巨大生物。

 狂気か、あるいは憎悪か。その蹂躙は、そのような負の感情に囚われているような行動であった。


 ――ドオオオオン!!


「ブオオオオンン!!」


 円盤状の身体に突如の爆発。汽笛のような悲鳴を上げ、崩れていく巨大生物。もたれかかれたビルが、無残に崩落していった。

 爆発はある場所から放たれた物だった。体勢を立て直した巨大生物が向いていくと、四機の人型機械が道路の上に立っている。


 防衛軍が開発した最新量産機――戦旗。今の攻撃は、この機体のミサイルだったのである。


「こいつを引き付けるぞ! 市民の避難を最優先だ!!」


 隊長である新城淳。彼の叫び声が、コックピット中に響き渡る。

 指示に従って、ホバーしながら下がっていく戦旗。同時にガトリングガンを発砲。


 閃光が円盤に直撃するも、目立ったダメージはなし。さらに光る触手から熱線が乱射。

 周りのビルが、熱を帯びながら両断される。崩れ落ちるビルからは、割れた窓ガラスの破片と鉄骨がばら蒔かれた。

 続けて発射される熱線。それは回避しきれなかった戦旗を、無慈悲に溶解していったのだ。


『萩野一尉!!』

「落ち着け佐藤!! 今はこいつを引き付ける事だけを考えろ!!」

『……分かっているわ!!』


 仲間の死を悲しんでいる暇はない。何としてでも避難している市民と、近くにある野戦病院から離さなくてはならない。

 例えこの身が滅びようとも、人々を守る為に。




 ===




「周辺を警備だ!! 奴が地面から現れたとなると、もう逃げ場所はない!!」

「戦陣全機、野戦病院から離れて警備に当たれ!!」

「急げ急げ!!」


 最初の叫びは、対イクサビト部隊を任せられた岸田進一佐の声。 


 戦陣パイロットの動きが慌ただしくなっていく。彼らに与えられた任務は、後方待機及びイクサビトへの警戒。化け物がいつ現れてもいいように、各々の専用機へと乗っていく。

 アーマーローグ部隊も例外ではない。この機体は未確認巨大生物へのカウンターであり、今ここで失ってはならない。戦旗部隊だけが殲滅に向かったのは、その為である。


 だが、一人だけ力を失った者がいる。


「神塚美央! 貴様は戦旗が来るまで待機だ! とりあえず私と一緒に来い!!」


 岸田進が声を掛けるのは、神塚美央。

 彼女が呆然とした表情を向けていく。感情も何もない、ただ無となった表情を向けて。


「…………戦旗?」

「ああ、川北司令の指示だ。貴様の雅神牙に何らかの危険性があった以上、そっちに乗った方がいいだろう」

「………………」


 ――何故戦旗なのか? 

 性能が高いのはよく知っているのだが、所詮はただのロボットである。人智を超えた力を持ち、イクサビトを滅ぼす事が出来るであろう雅神牙とは、雲泥の差がある。


 何故わざわざ戦旗を与えられなければならないのか。何故雅神牙を捨てさせなければならないのか。

 分からない。岸田や川北の考えが全く分からない。


「……今すぐにでもヘリに伝えて、雅神牙を戻してくれませんか?」

「……何?」


 戻したい。あの神の力を、自分の元に戻したい。


 美央が岸田へと詰め寄っていく。 

 その瞳にあるのは、獣如き狂気の眼光。


「雅神牙を戻して下さい……。あれさえあれば、イクサビトを倒す事が出来る……」

「……聞こえなかったのか? これは司令の命令だ。それに戦旗部隊なら、今の未確認巨大生物を殲滅してくれる」

「ですが……!」

「美央さん!!」


 背後からの怒声に、美央が振り返っていく。

 香奈と飛鳥、そしてフェイ。声を荒げたのは香奈であり、彼女が美央へと迫り来る。


 美央はこの時に知った……その顔に怒りが露わになっているのを。

 

「……何でそこまで雅神牙にこだわるんですか……。今、アレにこだわるよりも……自分の身体の事をこだわった方がいいんじゃないですか!?」

「……香奈……」


 香奈が自分の身を案じている。怒りの中にある憂いの表情が、そう物語っている。

 飛鳥もフェイもまた同じ表情をしていた。どんな事があっても、雅神牙には乗らせたくないという想い。


 美央にはちゃんと届いた。届いたのだが……それでも彼女は、


「そんなの……」

  

 自身の想いを、重い口から開こうとした。 

 だがそれが、遠くの方の爆音によってかき消されてしまう。音の方へと振り向く一同が見たのは、ビル街の中で立ち込めていく黒煙。


 同時に、岸田の無線機から声が聞こえてくる。


『こちら戦旗部隊、一体目を倒したのだが、同時に二体が出現!! 応援を求む!!』

「二体だと!? よし分かった、ただちにアーマーローグ部隊をそちらに寄越す! それまで持ちこたえるんだ!!」


 無線に指示を下す岸田。彼の目が美央……ではなく、香奈達へと向いていく。


「聞いた通りだ。今すぐにでも新城二尉達の援護しに向かえ!!」

「「「……了解!!」」」


 香奈達の返事。そして各機へと向かっていくその姿。

 美央は黙っているしかなかった。途中、香奈が物惜しそうに振り返っていくも、掛ける言葉が見当たらない。

 アーマイラとキングバックが去った後、視線の交錯が終わっていく。次第に募っていく美央の悔しさ。


 あの雅神牙があれば、あの神の力があれば、今すぐにでもイクサビトなど滅ぼせるのに。自分の目的が果たせるのに。



 悔しい、悔しい、悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい……。



 雅神牙のない自分など、存在する意味がないというのに……。







 


『な、何だ!? こっちに向かってるぞ!?』

『何であの機体がこんな所に!?』

『止まれぇ! 止まれええええ!!』

 

 岸田の無線機に、無数の声が聞こえてくる。

 突然の出来事に、美央達が疑問に思う。『機体』『こんな所』……どう聞いてもイクサビトの襲撃ではない。


 一体、何が来たというのか?


「何だ……?」

「オオオオオオオオオオンンン!!」


 岸田が呟いた直後、それは響き渡った。

 荒ぶる獣の咆哮。美央にとっては、何度も聞き慣れたこの雄叫び。


 そして、起こった。


「うわあああ!?」


 近くにあったビルの壁面が、突如として崩壊していった。

 大小の瓦礫が襲い、身を屈ませる美央達。エグリムに乗り込もうとした香奈が悲鳴を上げる中、美央は瓦礫の中から目撃する。


「……雅神牙!?」


 太陽光に反射する、雅な真紅の装甲。荒ぶる神獣を模した姿。間違いない、雅神牙だ。

 まるで蛇をぬたくるように、手足を利用しないで蛇行するその機体。美央が呆然としている間にも、雅神牙は主の元に辿り着く。


 わざわざ腹のコックピットを開けて。まるで主が乗るのを求めているかのように。


「……ハハ……ハハハ……」


 一体どうやってここに来たのか。雅神牙が自力では動けないのを知っている故に、乾いた笑みが出てしまう。

 しかし美央は歓喜する。雅神牙が戻って来た。自身に狩りをする好機チャンスをくれた。神の力で、イクサビトを一掃が出来る。


 口角を狂気的に歪ませ、躊躇なくコックピットに潜り込もうとする。


「神塚美央! 乗るなぁ!!」


 岸田が制止しようと向かって来る。だが彼の前に尻尾が振り下ろされ、衝撃で地面にへたり込む。

 美央は一瞬彼に振り返るも、死んでいない事が分かったのですぐにコックピットへと向いた。今はこの雅神牙で……。


「美央さん!!」


 その足が、不意に止まった。


「…………」


 狂気の笑みが消え、声がした方に振り向いていく。

 香奈だ。香奈がいつ暴れるか分からない雅神牙へと、美央へと向かってきたのだ。


 そして小柄な身体ながらも、美央の両腕を掴んだ。


「もうやめて下さい……これ以上、雅神牙に乗る必要なんてないじゃないですか!! 死にそうになってまで……目的を果たす事はないじゃないですか!!」 

「…………」

「……美央さんまでいなくなったら……あたし……あたし……! もうあんな目に遭うのは……たくさんなんですよぉ!!」


 泣いている。瞳から大粒の雫を垂らし、頬に一筋を流している。

 黒瀬優里を失ったからこそ分かる、その悲しみ。もう香奈は、誰かが死ぬのが怖くて、耐えられなくて、苦しかったのだ。


「……香奈……」


 ――分からない訳がなかった。優里を失った気持ちは、もう十分に味わったのだから。

 しかし、それでも止まる事が出来なかった。


「……私は……雅神牙がないと生きている意味がないの……」

「…………」


 理解出来ていないのか、それとも理解したくないのか、香奈が呆然とした表情を向けていく。

 美央は腕を掴む彼女をそっと離した。未だ立ち尽くす彼女へと、優しい微笑みを見せていく。


 先程の狂気とは違った、母性のある笑みを。


「負の遺産を滅ぼす為に生まれた……私はそういった存在なの。だから……この命をその為に使うしかないの。

 ……それが神塚美央……私なの」

「…………」


 香奈は何も答えない。泣き顔のまま、美央を見つめていく。

 彼女の姿を見て、美央の拳が握り締められる。決意を胸に秘めたのに、後悔が膨れ上がっていく。


 仲間に安心させるよりも、目的を優先する自分が……憎かった。

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