第五十一話 拭いきれない悲しみ

 一つのコックピット。それは昆虫型アーマーローグ――アーマイラの物だ。

 その席にはパイロットである流郷飛鳥が座っている。今、彼はタブレットを使用し、アーマイラのOS調整を行っている。


 何て事のないアーマーローグの整備作業。黙々とそれを行っている飛鳥だが、平常心で保っている訳でない。

 彼は苛立っていた。誰かに吐露したい、だがそれは絶対にならない。そんな感情が、頭の中で渦のように蠢いていく。


「……くそっ!!」


 愛機のサブモニターを、怒りのままに振り下ろす。

 鈍い音が発せられる。サブモニターは割れなかったが、飛鳥の拳は痛みで赤く腫れていく。


 痛みなど感じなかった。それ以前に頭の中の苛立ちが募り、偏頭痛を起こしてしまう。

 誰かに言いたかった。でも言いたくない。この感情をどうにかして消したかった。


「整備は終わったかな?」

「あん? ……あっ」

 

 苛立ちの影響で思わず声を荒げてしまう。そして後悔をしてしまった。

 コックピットへと顔を覗かせていたのは、戦旗部隊副隊長――佐藤千夏。年上で軍人である彼女の登場に、思わず尻込みになってしまう。


「あの……すんません……」

「ああ、怖い顔をした事? 別に気にしていないわよ。とりあえずアーマイラの整備はどう?」

「ああ、大体は終わったっす。強いて言えばサブアームの調整位かと……」

「そう……」

「…………」


 一旦、佐藤からタブレットへと目を落とす飛鳥。もう彼女に用はほとんどない。心の中で別の場所に行ってくれと願う。

 だが佐藤は、去る事はなかった。


「流郷君だっけ? 何か悩み事でもある?」

「……は?」


 思わず顔を上げてしまう。そこには微笑みを見せる佐藤の姿。

 綺麗でどこか母性的。思わず飛鳥の頬が温かくなってしまう。


「……何でなんですか?」

「顔を見れば分かるわよ。誰かに相談したい、でも出来ないって苛立ちとかが……」

「…………」


 この人はエスパーか……。思わず心の中で思ってしまう。 

 正直、この苛立ちを口にするのも面倒だった。ここで「何でもない」と言って追い払えば済む話だ。


 ただ、そうしたら失礼と考えてしまった。佐藤がここまで真剣に気遣ってくれている……無下には出来ない。


「……自分、最低だと思ったんっすよ」

「最低?」


 怪訝に思う佐藤。

 段取りが悪かったと、飛鳥はここで後悔してしまう。まず理由を明かさなければ……。


「黒瀬二尉が死んで……俺は悔しく思ったんす。あの時にフォローしてやれば、あんな事にならなかったって……。

 それで同時に思っちゃうんだ……。姐さ……神塚さんがいればあんな事にならなかったって」


 あの要塞型イクサビトを、雅神牙ならどうにか出来たはずだ。

 獣じみた機動性を持っており、何しろ熱線兵器であるレーザーブレスだってある。そのレーザーブレスで首を斬り落とす事だって……。

 だから思うのだ。あそこで美央が留まって、早い事倒せばよかったと。


「……分かっているんです。人のせいにしちゃいけないって……。でもどうしても神塚さんがいれば、神塚さんがあそこから離れなきゃと、無意識にあの人を責めているんです。

 そんな俺自身が、本当に憎いんす。ハッキリ言って責任逃れだし……神塚さんにどう顔向けすればいいか……」

「…………」


 思わず頭を抱えてしまう。こんな気持ちの吐露……産まれて初めてだった。

 黒瀬二尉が亡くなって、一気に感情が込み上げてきたのかもしれない。仲間の死がショックだっただけに、飛鳥自身もどこか変になっていく。


 こんなの、後にも先にもないのかもしれない。


「……確かに流郷君の言う通りなのかもしれない」


 抱える飛鳥へと、佐藤が告げる。

 飛鳥が顔を上げると、彼女が難しい表情をしているのが分かった。自身に対して怒っているのかそうでないのか、判断が付かない表情だ。


「……誰かのせいにしたいってのは、人間誰しもあるからね。こればっかりは私でも否定は出来ない。

 でもそんな自分が許せない……君は優しい子ね」

「……優しいって……」


 別に優しさなど関係ないだろうと、飛鳥は顔を背ける。

 一方で、佐藤が言葉を綴った。


「だったらさ、許せない対象を変えればいいのよ。黒瀬二尉を殺したのは誰?」

「……イク……未確認巨大生物……」

「そう、紛れもなくあの化け物が彼女を殺してしまった。別に奴らを恨んでも誰も止めないだろうし、奴らを憎む気持ちは私にでもある

 悪い言い方になるけど、奴らのせいにするのよ。神塚さんが悪くない……奴らが憎いって……」

「……物騒な事を言うんすね……」

「憎しみや復讐は、人間が生きる上でどうしても芽生えてしまう感情よ。それを否定する人なんて別にいないわ」

「…………」


 てっきり美央のせいにしてはいけないと言われるのではと思ってしまった。

 意外にも佐藤は、イクサビトを憎めと大胆に告げているのだ。こんな物騒な事を言えるのも、彼女が防衛軍だからだろうか。


 だが一理あるのかもしれない。飛鳥は神塚美央という人間を嫌っている訳ではない。彼女と争っている場合ではない。

 イクサビトを滅ぼす。まずすべきなのは、その実行だ。

 

「……それにしても何で神塚さん、戦線から離れたんだろう?」

「…………」


 佐藤は美央が離れた理由を知らない。他の防衛軍も同じ疑問を持っている事だろう。

 だが飛鳥は知っている。十中八九、あのが関与している……あの機体が美央を操るなり何かしたのだろうと。


 飛鳥の視線が、佐藤からある方向へと向いていく。そこにあるのは、美央をああさせた機体。

 その両腕が、軍人達によってワイヤーが巻き付かれていく。




 ===




 あれから、美央は香奈達の元に戻ろうと歩いていく。

 やはり負傷者の数は多い。うめき声も聞こえ、時には痛みを表現したような悲鳴も。後者は恐らく、骨を折ったなどの重傷を負っているに違いないだろう。

 その声は、美央の耳には届いていなかった。おぼつかない足取りで進み、目も虚ろになっている。今、彼女の脳裏にはある言葉が駆け巡る。



『黒瀬優里二等陸尉であります。もしかすると、お前があの怪獣型の……』



 最初会った時の、優里の言葉。

 彼女を見て、美央は堅物な人間と思っていた。実際に交流を続くと堅物の印象は拭えなかったが、次第に仲間想いの人物であると知る。


 友達として好きだった。一緒に買い物をして、一緒に食事をして、一緒にプールに行って、一緒に怪物狩りをして……。 

 なのに……もう彼女が、どこにもいない……。もう二度と会えない……。


「………………」

 

 ふらついた身体が壁に寄りかかっていく。顔がうなだれ、垂れ下がる長い黒髪。

 黒髪の間から覗かせる……透明な雫。


「……美央さん?」

「……!」


 声がしてきた。すぐに目をこすり、顔を上げていく。

 立っていたのは光咲香奈。美央自身の仲間であり、大切な友達。


「……香奈……」

「…………」


 気まずい空気が、一瞬よぎっていった。

 どちらから話せばいいのか、少し迷ってしまう。それは香奈も同じか、その小さい口をごもらせていく。

 自分から言おう。その口をゆっくり開けていく美央。


「……私の身体の事、知っていたのね……」

「……はい……」

「……どう思う……?」

「…………………………」


 どう思うと言われて、口には出来ない事だろう。

 何となく分かっていた。だから、別の内容に置き換える事にした。


「……じゃあ、皆は?」

「……この建物の隣の駐車場にいます、アーマーローグも……。今、そこに案内しようと思いまして……」

「……分かったわ」


 香奈と共に歩いていく。この負傷者の山の中を。

 その間、会話は特になかった。二人共々前を向き、ただ歩くという事をするだけ。


 なんて話しかければいいのか、美央は忘れてしまった。


「おとうさああああんん!! おとうさあああああんん!!」


 空間に木霊する泣き叫び。あまりにも聞こえやすいその声に、美央達が振り向かせていった。

 

 小さい幼女と母親らしい女性がいる。どちらも襲撃に遭ったのか、服が少しだけ焦げている。

 その幼女が泣いていたのだ。目から大粒の涙を流し、目の前の担架を必死に揺らしている。その担架にいるのが父親らしき男性。


 動いていない。目も固く閉じており、息もしていない。すなわち男性は死んでいるのだ……妻子を残して。

 娘はそれに悲しんでいる。きっと仲が良かったであろうその父親が、もう動かない事を悟って。だからこそ、あんなにも泣き叫んでいる。


「うわああああああ!! あああああああああんん!!」


 そんな娘を母親が抱き締めていく。彼女も静かに嗚咽を漏らしながらも、娘を必死に慰めていったのだ。

 優里を失った美央といい、あの幼女といい、イクサビトを大切な物を奪われていった者達。彼女達だけではない、他の皆もそうに違いない。


 イクサビトの災厄は、何もかも失わせていくのだ。


「行きましょう……」

「ええ……」


 幼女には同情はあるものの、美央は悲しむ感情は示さない。

 そういった優しさが美央自身にはなかったのだ。優里の事で精一杯なのか、心が壊れてしまったのか、自身でも分かっていない。


 やがて彼女達は外へと出ていく。まず目にするのは瓦礫の山であり、次に仮病院の隣にある巨大駐車場。

 そこに向かっていくと見える、鎮座された複数の戦陣。鋼の巨人の合間を大勢の防衛軍軍人が行き来し、弾薬の補充や整備、修理を行っている。


 美央達がその中を潜り抜けていく。作業を虚ろな目で見渡す美央だったが、その動きが不意に止まる。

 戦陣の中に紛れている各アーマーローグと飛鳥達。そして今、空を飛び立とうとする一機のヘリコプター。


「……雅神牙……?」


 ヘリから垂れ流している数本のワイヤー。その先には、未だ損傷している雅神牙が巻き取られていたのだ。

 ヘリによってその機体が宙を浮かんでいく。やがてヘリ共々駐車場から消えていくのを、ただ見つめてしまう美央。

 何故、雅神牙を運んでいるのか? 雅神牙をどこに運ぶ気なのか? 美央が疑問を抱きながら向かうと、フェイがこちらへと気付いた。


「あっ、美央……」

「フェイさん、雅神牙をどうするつもりなんですか?」


 疑問をぶつける。どうしても答えを聞きたい。

 しかし、フェイは顔を逸らして黙ってしまう。ならばと隣にいる飛鳥へと向くが、やはり同じ事をするだけ。

 なぜ黙るだろうか? 再び問いかけようとした時、


「雅神牙を海に投棄するつもりだ」


 答えたのは、横から現れた男性。

 戦陣部隊隊長――新城淳。その隣には、副隊長である佐藤千夏がいる。


 その新城が、苦い顔で美央に告げるのだ。


「上からの命令があってな。理由は分からんが、あの機体を戦線に出さない事に決定したのだ。それで君には戦旗を提供するのだと」

「…………」


 雅神牙を投棄する。

 そうなると、川北の指示という事に。


「……神塚ちゃんには悪いと思う。でも上には逆らえなくて……だから謝らせて……」


 佐藤が謝罪をする。それでも無言。

 何て言えばいいのか分からない。何て反応をすればいいのか分からない。いきなり雅神牙を放棄させると言われても、ただ混乱をしてしまう。


 あの力は、イクサビトを滅ぼせるのに……。


「神塚ちゃん……」

 

 ――だがその時、地響きが鳴り出した。

 予想しえない事態に、美央達一同がふらつき始めていく。その中で美央は聞いた。

 

 まるで汽笛のような轟音を。

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