第六十話 神はその身体を
「……ん……」
目が開けられる。まず視界に入るのは、灰色の天井。
耳にも何らかの声が聞こえてくる。最初はハッキリとしなかったが、次第に聞き取れるようになってきた。
多数の人の声。喧噪とも言うべきか。このざわめきが、目を開けた本人に疑問を抱かせる。
ここは、どこなのか?
「社長!! 目を開けたのですか!!」
「……?」
横からの声。ゆっくりと顔を振り向かせると、老人の姿があった。
整備責任者、薩摩龍馬である。その人だと確認した如月梓は、やがて周りを見渡す。
ベッドに横たわった、包帯姿の人間。歩き始める白衣の人間。座る人間。まるで野戦病院だ。
「……ここは……?」
「ああ、仮病院です! イクサビト襲撃の後、社長が重傷を負って……二日も寝てたんですよ!」
「…………」
そうだ。避難をしている最中、イクサビトの襲撃に遭ってしまったのだ。その後の記憶がない。
この病院の負傷者は、そういった経緯で傷を負ったのだろう。イクサビトという、人間が生み出してしまった災厄によって……。
「……美央達は……」
ふと、脳裏によぎっていく妹的存在。
神塚美央。ある日の実験以来、狂気に囚われてしまった少女。例え自分が負傷したとしても、彼女の事をいつも案じている。
「あの子達は最終決戦に向かったそうだ。いつ終わるのかも分からない……」
「……そうですか……」
最終決戦。イクサビトとの最後の生存競争という事か。
やはり心配するのは、彼女達が生きて帰って来れるのかという事だ。そう思うと、胸が締め付けられるような感触を覚える。
「大丈夫ですよ、如月ちゃん!!」
そこに発せられる明るい声。薩摩が、皺のある顔に笑みを浮かべていたのだ。
「神塚ちゃん達は必ず帰って来る! いつだってそうだったんじゃないですか! だから今回も信じましょうよ! 彼女達が元気に戻って来るって」
「……ええ……」
彼の笑顔が救いとなった。不安に満ちた如月の表情に、ほんの少しの笑みが浮かんでくる。
そうだ。彼女達は戻って来る。そして美央も、自分の元に戻って笑顔を向けてくれるはず。
だから如月は祈った。美央達が戻って来るのを。彼女達が、一人も死なずに戻って来るのを。
美央……待っているからな……。
===
『……増援もと……救助……も……少し……待……』
誰かが発しているだろう通信が、ほとんど聞こえなくなっていく。
護衛艦のほとんどが疲労しきっているかのように、装甲や甲板にいくつもの傷や歪みを形成させている。その上に乗っている人間のアーマーギア部隊もまたしかり――中には両腕をなくしている機体も存在していた。
「ハァ……ハァ……」
右腕をなくし、装甲のほとんどが剥がされたエグリム。そのコックピットにいる香奈が、激しい戦いによる疲労を味わっていく。
生物である人間には限界がある。彼女も、周りにいるアーマーローグもまた戦う気力が残されていない。それなのに、目の前の脅威は戦いをやめようともしない。
『……何匹……いやがんだ……』
飛鳥の通信にノイズが走っている。だが言いたい事が分かる。
甲板へとゆっくりと這い上がって来る、人型イクサビト。背後の海からはトライポッド型イクサビトが浮上し、敵である人間を補足している。
全個体がゆっくりと、香奈達に迫ってきた。対し弾薬も戦力を尽きた彼女達は、ただ異形の行進に後ずさるしかない。
死が向かって来る。そう分かった時、香奈の鼓動が早まる。
「……こんな所で……こんな所で……!!」
死が迫ると安らかな気持ちになる。よく言われているが、そんな事など全然なかった。
怖かった。溢れ出る憎しみよりも、死への恐怖が優先されてしまう。頭の中で繰り広げられる、自分がイクサビトに八つ裂きにされるビジョン――浮かぶだけでも吐き気を催してしまう。
そして実感した。自分には美央程の覚悟がなかったのだ。彼女が雅神牙を最期まで乗ると決めていたのだが、逆に自分はどうか――死が怖いだけの臆病者である。
美央にどう顔向けすればいいのか、この状況をどうすればいいのか。香奈の脳裏に浮かぶのは、そんな複雑な考えだった。
「…………?」
だが、様子が一変した。
迫って来たイクサビトが、不意に立ち止まったのだ。人型も、トライポッド型も、まるで時が止まったかのように。
香奈や、恐らく仲間達もしていく呆然の表情。そんな彼女達を尻目に、イクサビト全個体が行動を示す。
背後に振り返ったのだ。視線の先にあるのは、いつの間にか破壊された海底油田。
その場所を見つめるイクサビトは、一体何を考えているのだろうか。
出来ればそれが知りたかった。何を考えているのか分からないイクサビトだが、この時は何かに気付いているかのようだ。
「……なっ……」
刹那、イクサビトが甲板から降りていった。
海を泳ぎ、向かう先はトライポッド型イクサビト。円盤状部位にあるハッチへと入り込んでいき、やがて収容されるとその周囲の海が荒立っていく。
トライポッド型からスラスターを吹かしているようだ。一体どこに燃料があったのか……そう考える時間を与える間もなく、宙に浮かび上がっていく巨大な異形。
新たな攻撃か。香奈が操縦桿を握り締めるが、すぐに緩んでいった。憎む敵は何と、夜明けの空へとまっすぐ向かっている。
どの個体も……
『……イクサビトが……』
香奈が言いたかった言葉が、飛鳥が代弁する。
全イクサビトが向かっている先――それは空の彼方。そして空の奥にあるのは、無限に広がる宇宙。
イクサビトが宇宙に逃げているというか。寄生先のアルファ鉱石があった月……その月の周りにある宇宙へと。
それはまるで、敗走のようだ。
『……一体何が起きているんだ……?』
岸田が問う。しかし誰も答えられない。
確かに助かったのかもしれない。だが一番気掛かりなのは、何故イクサビトが宇宙へと逃げようとしているのかだ。
先程、崩壊した海底油田と何か関係あるのだろうか? あそこに一体何があるというのか……。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンン!!」
「!?」
空気を振るわす、禍々しい咆哮。
直後、海底油田から放たれる青白い光。それが一本の線へと変わり、空へと……逃げようとするイクサビトへと向かう。
一部が着弾し、切り刻まれた。あの巨大なトライポッド型が、瞬く間に赤熱した肉片となって飛び散っていく。
あの光から逃げようとしているのか。イクサビトの上昇するスピードがさらに速くなったのを、香奈はうっすらと感じた。
空の彼方へと消え去っていく人類の敵。あの熾烈を極めた生存競争の、意外な形となった結末。そして宇宙に逃げた以上、彼らはもう戻って来ないだろうか。
だが考えている暇はなかった。海底油田から放たれた青い光……あれは間違いなく……。
「……美央さん……」
海底油田に一個の反応。
燃え盛る鉄の城へと目を凝らす香奈。よく見ると、業火の中に一つの影が見えた。
――間違いなくそれは、雅神牙だ。
『あれは……雅神牙か? なら聞こえるか神塚ちゃん! もう全てが終わったぞ!!』
隣にいる戦旗。その機体を操りながらも、美央に通信を投げかける新城。
雅神牙が、青く光る眼光をもって睨んでいくのが見えた。それで香奈は二つ程知った。装甲の全部が剥がされて、本来の異形をさらけ出している事。
あの動きは……美央のそれではない事。
「……新城二尉……」
言いかけた。胸が張り裂けそうな感覚を覚えながらも、それでも言いたかった。
だがその時、青白い光が放たれた。正体はレーザーブレスであり、向かう先は香奈達がいる護衛艦。
護衛艦に直撃し、抉られる。ただでさえ強固な甲板が、船体が、瞬く間に熱量によって切り裂かれていった。
レーザーブレスは香奈達の間を通っていく。しかし全員が無事という訳ではなく、戦陣一機が光の筋に巻き込まれてしまった。
『!? 応答してくれ! 俺達は敵じゃあ……』
「やめて下さい、新城二尉!!」
大きく崩れていく船体。応答を呼び掛ける新城に対して、香奈は叫び出す。
もう分かっている。分かっているが受け入れる事は出来ない。だが、やはり現実は変えられない。
「美央さんは……神塚美央さんは……もういないんですよぉ!!」
神塚美央は、雅神牙に取り込まれてしまったのだ。
あそこにいるのは、自らの意思で動くようになった雅神牙。少女という生贄を喰らった、災厄の権化たる神。
もはや、彼女は帰って来ない……。
『全機、機体を放棄して海に飛び込め!! 破片に巻き込まれるなぁ!!』
誰かの声が聞こえた後、爆発をもたらす護衛艦。このままいたら余波を喰らいかねない。
各々の機体を放棄し、海に飛び込んでいく部隊。真っ二つに裂かれた船体が斜めになっている故に、海からの高さはそこまではない。
それを知っている香奈も、躊躇なくエグリムを放棄。破片が漂う海の中へと飛び込んでいった。
自身の身体が、海の中へと消える。海の中がどうなっているのか、目を開けられないので分からない。
それよりも護衛艦に巻き込まれないよう、遠ざかるしかない。香奈は海面に這い上がり、無我夢中で泳いでいった。
何か巨大な物体に触れたようだ。それにしがみ付いて目を開けると、奇しくも愛機であるエグリムだという事が分かった。
仰向けになり、コックピットハッチを開けているエグリム。故に無線が、否が応でも香奈の目に届く。
『岸田一佐……!!』
『報告にあった通り、取り込まれたんだ!! 全機、雅神牙を攻撃!!』
『うわああああああああ!!』
視線を海底油田へと向ける。
業火の中から放たれる、数十本のレーザーブレス。見境なしが如く、周りの護衛艦を両断する神の雷。
無事だった護衛艦もいた。だが目を付けたのだろうか、海底油田から黒い影が跳躍。甲板の上に、戦陣部隊の前に着地する。
青黒い体表、背中から生やした剣山如き鋭い棘、三つに分かれた鉤爪を持つ長大な尻尾、そして三つ目を持つ頭部。
雅神牙。真紅の装甲を剥がし、本来の姿をさらけ出した荒ぶる獣だ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンン!!」
『撃てぇ!! 撃てぇ!!』
戦陣部隊が一斉射撃をしているのを、エグリムにしがみつく香奈は見た。
閃光が雅神牙へと直撃。だが銃弾は体表を抉る事なく、無意味かのように跳ね返されてしまう。そこを一機がありったけのミサイルを放つと、回避する事なく受けてしまう。
漂っていく黒煙だが、すぐに中から現れる雅神牙。やはりと言うべきか、その身体に傷はない。
『た、助けぇ……ギャアアアアアアァ!!』
『アアアアアア!!』
甲板を覆い尽す青白い光。雅神牙の背ビレからプラズマが放たれ、周囲を蒸発させていく光だ。
浴びせられる戦陣が爆発する。隊員の悲鳴もまた、比例するように消えてしまう。
「ウウウウウ……オアアアアアアアアアアアアアンン!!」
爆発する護衛艦。高らかに叫ぶ雅神牙。
元々は、装甲に異形の細胞が植え付けられた機械。それが転生を果たし、何者の制御を受け付けない怪物へと成り果てていた。
そしてあの中に、美央が取り込まれている。死んでいるのかも分からず、意識があるのかも分からない。
ただ、無事でいるはずがない。
「……美央さん……」
いつしか、自分の仲間だった少女の名前を呟く。
それで雅神牙が正気に戻ってくれたら、どれ程よかっただろうか。しかし名前を呼んでも、美央が戻って来る訳がない。
荒ぶる神の暴走は、誰にも止められない。
『こち……増援……隊!! 未確認……を確認!!』
その時だった。九時方向の海に、無数の戦艦が現れる。
先程の通信でうっすらと聞こえた増援及び救助隊。その彼らが駆け付けたのだ。
その彼らが雅神牙を目視し、放たれる無数のミサイル。回避する間もなく、喰らい続ける雅神牙。
「ア゛アアア!! オ゛ア゛アアアアアアアアア!!」
雅神牙が悲鳴を上げていく。無数のミサイルには敵わず、ただ翻弄されるだけ。
だが喰らっていながらも、レーザーブレスを放つ雅神牙。一隻が直撃を受けて撃沈するが、人類側の猛攻は止まらない。
ミサイルの雨に巻き込まれる。レーザーブレスをがむしゃらに放つ。己が傷付いても、抵抗をやめない。
あれが、力を求めてしまった神塚美央の成れの果てだというか……。彼女が今までしてきた事への、罰だというのか……。
あんまりだ。こんな事など、彼女自身も思ってなかったというのに……。
「ア゛アアア……アアアアア!!」
木霊する悲鳴。雅神牙が最後のあがきとばかりに、戦艦へと跳躍する。
まるで空を飛んでいるかのように、かなりの高さを円描いて。しかし、そこに迫って来る、空飛ぶ弾頭。
互いにぶつかり、そして爆発する。
「…………」
香奈の視界に映る、巨大な爆発。その下から見える、巨大な怪物。
雅神牙が、広大な海へと消えて行こうとしていく。猛威を振るった荒神の身体を、海が抱擁するように受け止めていく。
その最期を見て、美央が帰って来ないの感じて、香奈は嗚咽を漏らすしかなかった……。
===
暗い海を、一体の獣が沈む。
その獣は未だ輝きを失わない三眼で、光こぼれる海上を見つめている。何思うのか……それは彼しか分からない。
彼は青黒い右腕をゆっくりと伸ばした。まるで海上へと届きたいかのように、海から脱したいかのように。しかし身体は次第に、深い底へと消えてしまう。
鳴き声も発した。だが幾度の戦いの末か掠っており、よく響かない。すぐに静かな海の音に飲み込まれてしまった。
徐々に闇へと消えていくその身体。彼が残していくのは、身体に纏わりついていた泡だけ。
誰も、最期を見届けようともしなかった……。
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