第八章 復讐編
第四十四話 憎しみ
火の海が、広がっていた。
並び立っている高層ビルも、綺麗に植えられた樹木も、人々が賑わっていた数多くの店も、地獄から舞い上がったような業火に包まれている。
業火の中に歪な物があった。切れ端の布を纏った黒焦げた物体――かつて人だった、憐れな死体。
死体がそこら中に転がっている。道路にも、ビルの下にも、爆発した車の中にも、どの場所にも。日常ではあり得ないこの光景――それは『地獄絵図』という名に相応しかった。
この世の終わりとはこういう事だろうか。この世界には、もう生きる者はいないのかもしれない。いたとしても生と死の狭間にいるのかもしれない。
「ハアアアアアア……」
いや、業火の中に巨大な存在があった。
人に似ているだろうか。いや、人に似ながらも、その姿はまるで異なっている。鋭い牙が生えた顎部、血のような真紅に染まった身体、鉤爪のある両腕、長くしなる尻尾――まるでそれは、荒ぶる獣神を模した猛る姿。
顎部の上にある、三つの青い瞳。それから発する禍々しい眼光が、遥か彼方へと捉えている。
眼光の先にあるのは、折れ曲がった一つのビル。断面から火を吹かし、破片を零していくその姿は、まさに文明の崩壊を象徴しているかのようである。
だが荒ぶる獣は、ビルを見ているのではない。視線の先にあるのは、そのビルの上に立つ異形の存在。
蒼かった。身体中が蒼で染まっている。その姿は伝承に伝わる竜人のようであり、あるいは両腕の翼状の鉤爪から、
真紅の獣は見た。竜人の無機質な瞳がこちらを見つめているのを。まるでそれが、獣へと嘲笑しているかのように見えるのを。
獣の唸り声が上がっていく。やがてそれは、天を震わす咆哮となる。
「オオオオンンン……オオオオオオオオオオオオンン!!」
荒ぶる神の叫び声が、この燃え上がる都市に反響する。
そして蒼き竜人へと、その獣の脚で向かっていくのだった……。
===
アメリカ合衆国ラスベガス。合衆国の中でも最も有名な都市であり、合衆国になくてはならない存在である。
相変わらずの高層ビル。その壁面にはあらゆる広告の看板が飾られている。バスケ、美貌を持った女優、アクション映画、英語の羅列。
そして今は夜である為か、ネオンがこの都市全体を包み込んでいる。煌びやかな光は、まさしく文明の象徴と言っても過言ではない。
しかし、その光が消え失せようとしていた。
『こちらバトルマン第三部隊!! 応援を! 応援をおおおお!!』
『た、助け……!!』
都市の下界には装甲する人型機械。米軍がかつて主力兵器として使用していた量産アーマーギア『バトルマン』である。
その二機を見ると装甲が剥がれ落ち、所々火花を散らしている。それに尋常じゃない速度のバック走行――まるで痛みから逃げているようである。
刹那、二機に迫って来る飛行物体。バトルマンの走行をも超える速さで接近し、下部からミサイルらしき物体を放った。
バトルマンから湧き上がる悲鳴。だが虚しくもミサイルが二機に着弾。爆発ではなく、緑色の血しぶきが二機を破壊していった。
スプラッターにも似た、奇妙なミサイルの爆発。それを放ったのは人間が操る戦闘機でも、巨大な鳥でもない。
都市の上空を旋回する、菱形をした白き怪物だった。
『こちら第一部隊!! アーマーギアと融合した未確認巨大生物が侵攻中!!』
『第三が全滅!! 応援を頼む!!』
『くそおお!! 化け物め!!』
『た、助け……!! アアアアアアアアアアアア!!』
入り乱れる英語の無線。中には断末魔まもでが、虚しく響き渡る。
その一方で、ラスベガスが炎に包み込まれようとしていた。拡散されていく業火の海から逃れようと、必死の思いで逃げ惑う都市の住人。
だが、一人目に風穴が開いた。続けて二人目、三人目……一人残らず、ただの言葉を喋らない肉塊へと成り果ててる。
人を即死させたのは銃弾だ。誰が撃ったのか――それはビルの上に立っている、異形の機械だった。
白い装甲と赤い単眼が特徴的な、イジンとアーマギアの融合体。その右手から剣が生えており、さらには根元には銃口らしき物がある。そこから己で生成した銃弾を放ったのだろうか。
融合体が両肩からミサイルを放つ。辺りに着弾し、作られる血みどろの世界。爆発によって吹っ飛ばされた人間は、赤い血と緑の血によって染まっていくのだった。
『早く逃げろ!! 逃げろ!! ここは俺が何とかするから逃げるんだ!!』
青い鉄の巨人スターフレイムが、逃げ惑う人々を守るように立っていた。
手にしている銃剣ソードライフルで、人型融合体へと火を噴かせる。白い装甲の前では弾かれる銃弾だったが、運よく一体の単眼に直撃。戦闘不能にさせる事が出来た。
だがそれだけだ。残りが剣を持って向かって来る。ソードライフルの刃で応戦していくスターフレイム。
『来いやこの野郎!! 何体でも相手にしてやるよ、オラオラァ!!』
融合体の剣を受け止め、蹴りを入れる。倒れた融合体の首元をライフルの刃で突き刺す。
動かなくなった個体を蹴り飛ばし、次の相手へ。今度は単眼を抉っていき、透明な液体を飛び散らしていく。
だがこの時、スターフレイムのパイロットは気付くのを遅れていた。背後から迫る飛行型が、生体ミサイルを放ったのを。
『しまっ!? ぐわああ!!』
ミサイルから飛び散る血しぶき。直撃は免れたが吹っ飛ばされるスターフレイム。
そこに迫って来る複数の融合体。やがて白い化け物によって機体の姿が隠され、耳障りな音を散らす。
引きちぎるかのような鈍い音だ。
『よせぇ!! やめろぉ!! うぎゃあああああああああああ!!!』
悲鳴を上げても誰も答えてくれない。白い化け物に訴えても、やめる訳がない。
都市の至る所で、そのような破壊活動を行っていた。空には飛行型融合体、陸上には人型融合体――殲滅の為に出撃した米軍アーマーギア部隊も果てしない物量に押され、そして残骸を吸収されて融合体にされてしまう。
融合体がもたらす地獄。さながら核攻撃の報復を果たすかのような蹂躙を、ある者が見下ろしていた。
高層ビルの天辺に居座る、蒼い装甲を身に纏った竜人。かつてAOSコーポレーション支社が造り上げたアーマーローグ――バハムート。
有人仕様の機体だが人は乗っていない。いや、正確には『さっきまで人が乗っていた』と言うべきか。
支社に襲撃した融合体によって、機体は奪取。それ以降、人類への最強の敵として君臨し、融合体を指揮する役割を担うようになったのだ。
バハムートには知能がある。乗っていた瀕死の『餌』や優秀なOSを取り込んだ故に、感情や記憶、知識を奪う事に成功した。
それで理解したのだ。自分達の楽園を炎を包み込んだのは、この小さく脆弱な餌共だと。自分達はただ生きていただけというのに、何故理不尽な殲滅をさせなければならないのか?
分からない。脆弱な餌が考えている事が分からない。しかし彼らが楽園を奪った事に間違いない。いつしかバハムートにある感情が芽生えてくる。
餌である生物共を滅ぼそうと願う、冷たく残酷な意思。これはそう……例えるなら、
『憎しみ』だ。
==
キサラギ社長室。
広く綺麗な場所には、美央とその仲間達、そして社長の如月がいた。その彼女達が見つめている先は、壁に掛けられた巨大なモニター。
映像にはアメリカのニュース中継が映し出されており、どうやらラスベガスを遠くから撮っているようである。繰り広げられているのは、アーマーギアと化したイジンの蹂躙。
現実とは思えない地獄絵図は、香奈達に衝撃という感情を与えていく。ただ美央は、冷たい程に冷静だった。
「イクサビト……」
映像に映っているビルに、異形の存在が居座っている。遠くてあまり把握出来ないが、それが前に一戦交えた融合個体である事が分かった。
イクサビト。かつて美央自身が命名したイジンとアーマーギアの融合体。彼らは好物である
生物から機械への転生。それは奇しくも、機械から生物に転生した雅神牙と対極を成している。同じ神塚喬彦から生まれた者同士――妙な因果がある物である。
「やった! パパと繋がったよ!」
「!」
そんな時、背後からフェイがやって来た。
携帯端末を片手に、希望に満ちた表情をしている。実は父ウィリスが巻き込まれていないかと心配していたフェイが電話をしていたのだが、混乱の影響か繋がらない状態が続いていた。
今こうしているという事は、やっと繋がったという事になる。
「無事ですか?」
「うん! それと美央と話がしたいんだって」
「私と?」
一体どんな話だろうか。美央は怪訝に思いつつも電話を取った。
「もしもし?」
『ああ神塚君、急にすまないね』
聞こえてくるウィリスの声。美央はその言葉に対して首を振る。
「いえ、大丈夫です。それよりも話というのは?」
『ああ、実はだね。米軍のある派閥がAOSコーポレーションと取引きをしていた記録があったんだ。これは君も無関係ではないと思うから一応伝えておく』
「取引き……」
美央は今すぐにスピーカーモードにした。これで香奈達にも聞こえるようにする。
『アーマーローグだ。AX―64……コードネームはバハムート。その機体が未確認巨大生物に奪取されたらしい。
近い日、そのデータをそちらに送っていくから』
「そういう事ですか……。分かりました、感謝します」
奪取。それはイジンと融合し、イクサビトへとなった証。
十中八九エミリーが奪ったデータで製造されたのだろう。それが敵に奪われたとは何たる皮肉か。
通話が終わり、フェイに携帯端末を返す美央。周りに静寂さが増し、言おうにも言えない状況になった。
「……やっぱり……こっちに来るでしょうか?」
「……!」
震えるようなこの声は、美央の隣にいる香奈だった。
日本にあのイクサビト軍団が来襲してくるのかと考えている事だろう。米軍でも敵わなかった相手になると、果たして生き残れるのかどうか怪しい。
いや、それ以前に災厄が降り注ぐだろう。これまで日本になかった、最大の災厄が。
「……さぁてね、その時にならないと分からないわ」
今の美央にはこう伝える事しか出来ない。真の意味での怪獣を操っていると言えども、彼女自身は預言者でもエスパーでもないのだ。
ただ来るのならば、雅神牙で潰すだけである。そう、一匹も残らずに……。
「……!」
そこに突然の振動音。優里のポケットからだった。
取り出される携帯端末。電話した相手へと優里が語りかけた後、不意に美央に振り向いた。
「美央、これから東京基地に行ってもらう」
「東京基地?」
東京の某地区にある防衛軍東京基地。香奈と優里が勤務している場所でもあり、イジン迎撃の要でもある。
何故そんな場所へと怪訝に思う美央に、優里が淡々に答えるのだった。
「川北司令がお前に話があるらしい」
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