第十二話 模擬戦
一つの古い家がそこにあった。
2010年代に建てられたそれは、所々にひびが入ってみずぼらしい姿になっている。それでも十分に過ごせるからか、今なお取り壊しはされていない。
2050年代の現在では、これら古い家の購入金額は安いとされている。ちゃんと電気が付くし水道から水も出るが、外装を見れば誰も住みたくないと思うだろう。はっきり言えば幽霊が出るような雰囲気がある。
ただその家に、一人の少年が住んでいた。
手入れされていないボサボサの黒髪が特徴的で、その目元は鋭い。身体つきはがっしりしており、貧弱な印象は全くない。
物が散乱した部屋の中、彼がボロボロのソファーで寝転んでいる。特にやる事もない、仕事もない。いや、つい最近までは仕事をしていたが、少しいざこざがあってすっかり退職してしまった。
今やる事は寝る事だけ。起きてから次の仕事を見つければいいだけなのだ。
「……あん?」
少年が機嫌悪そうに目を覚ました。これまたボロボロのテーブルの上に携帯端末を置いてあるのだが、それが振動音を出している。
今時誰が電話をしてくるのか。少年は舌打ちをしながら電話へと手を伸ばしていく。ただ寝ぼけた為、ソファーから転げ落ちてしまったのだが。
「
相手が誰なのか分からない。一応出るが、相手が何か変な事でも言ってきたらすぐに切ろうと思っていた。
その相手の声が、少年の耳へと伝わっていく。
『流郷飛鳥君よね?』
「はっ? んだよあんた……?」
若い女の声だった。歳はそんなに離れていないような感じにも思える。
少年――飛鳥は胡散臭そうに言い返した。
『武器製造会社キサラギに勤務する神塚美央と言います。少し話いいかしら?』
「あの会社の……? 何の用だよ……?」
『私は君が最近まで防衛軍にいたのを知っている。戦陣も使えるんだってね?』
「……それがどうしたんだよ?」
この女は何だろうか? 単なる勧誘にしては奇妙である。
電話を切ろうと思っていたが、ここまで来ると切ろうにも切れなかった。
『今は言えないけど、私が君に与える仕事は防衛軍と同じ位に危険な物なの。だけど、それ相応の報酬は与える事は出来る』
「……報酬ねぇ……」
今、飛鳥は金を必要としている。もし防衛軍と同じ位の金が手に入れるとしたら、これ程美味しい話はない。
ただし何か怪しい。
「俺を騙しているんじゃないだろうな?」
『信じる信じないのは君の自由よ。もし信じなければ切ってもいいから』
「…………」
普通、こういった詐欺は食い下がる傾向にある。
ただこの少女はそこまで執着はしてこない。それに自分から切ってもいいと言っている。
相変わらず警戒心は薄れないが、先程でもない。
『もし話に乗ってくれるなら、六日後の十一時にキサラギに来てくれる? そこで詳しい話をするから』
「……ああ」
自分から通話を切っていく。
仕事がどういった物なのか、今の飛鳥には知る由もない。ただ防衛軍と同じ位の仕事というのは気掛かりである。
「一体何なのか知んないけど……行ってみるか……」
今、やる事は特にない。
鬼が出るか蛇が出るか――行けば何もかも分かるだろう。
===
――六日後
厚い雲が空を覆っている中、一台の赤いバイクが道路を走っている。
ある場所で停車したバイクから、飛鳥が降りてきた。彼は目の前の光景を見て、ただ呟くだけである。
「ここがキサラギか……初めて見たな……」
彼の前に広がっている工場群。名前は聞いていたのだが、これ程に大きい会社とは思ってもみなかった。
ただ今は鉄柵があって入れない。そこで近くにいる警備員へと声を掛けようとするも、その足が止まった。
「ようこそ、キサラギへ」
不意に掛けられる女性の声。しかもこの声には聞き覚えがある。
飛鳥が振り向くと一人の少女がそこにいた。長い黒髪をした長身の彼女が、鉄柵のキサラギ側に立っている。
あの電話をした人に違いない――そう飛鳥の直感が働く。
「あんたがか……かみ……」
「神塚美央。まぁ、ここで話も何だし中に入ろっか」
美央が警備員に伝えると、鉄柵が自動で開いた。
それから飛鳥は彼女と共に長い道路を歩いていく。その際に彼が美央の姿を一瞥する。
黒を基調をした男らしい服装を身に纏っている。飛鳥の方は暗い緑色の服装を適当に着ているのだが、彼女はその服装がすごく似合っている。顔もそんなに悪くない。
だからと言って彼女を信じている訳ではない。未だ飛鳥の中では得体の知れない少女という扱いだ。
「流郷君、何で防衛軍をやめたの?」
不意に尋ねられて、思わず飛鳥が驚いてしまう。
しかも質問が実に痛い。あまり喋りたくなかったが、彼は観念して本当の事を伝えた。
「防衛軍の肌が合わなかったんだよ……。上官は口うるせぇし訓練はキツいし……あまりいい事はなかったな」
「ふーん、だったら何で防衛軍に?」
「……ある理由で金が欲しかった。それだけだ」
防衛軍は他の仕事よりも給料が高い。
その文句に目が眩んだ自分が馬鹿だった――そう飛鳥は後悔している。
「……流郷君」
美央が立ち止まり、飛鳥へと目を合わせる。
一体何事かと怪訝に思う飛鳥に対し、美央が真剣な眼差しを向けていた。
「この仕事は前言ったように報酬は高くするけど、それ相応に危険な仕事……下手すれば死亡する可能性があるかもしれない。そしてこの仕事に加わったら、あまりやめる事は出来ないと思う。
だから、もし気が変わったらすぐにでも帰ってもいいから。私は一切君を止めないわ」
「…………」
それ程にヤバいという事だと、美央の顔に書かれているような気がした。
飛鳥が頭の中で考える。ここで引き返せばこの事と関わる事はないだろう。ただその金が飛鳥自身を執着させる。
彼が出した答えは――
「そう言われると、なおさら引けなくなるわ」
「……上等。なら付いて来て」
悪い笑みを浮かべた美央と共に、その先へと進んでいった。
そうして見えてくるキサラギ本社。だが二人の行先はそこから外れていき、工場の中を潜り抜けていく。
ようやく外が見えてくると、飛鳥の開いた口が塞がらなくなった。
「戦陣を操縦してきた君への仕事は、これなのよ」
工場に囲まれたコンクリートの広場に、二機の巨大な人型が戦っていた。
どちらもアーマーギアで、それも同じ姿をしている。まず目に入るのが、何も塗っていないような白い丸みを帯びた装甲。
頭部には赤く光る三つのカメラアイがあるが、戦陣などとは違い、凝ったデザインはしていない。そもそもボディ全体が兵器らしくない淡白な姿なのだ。
飛鳥はこの機体を知っている――確か名前は『ボーン(骨)』だったか。訓練用アーマーギアとして有名で、防衛軍も使用している。装甲は頑丈ではない安価の装甲を使っているので、いつでも使い捨てに出来るらしい。
その機体が武器を持たず、素手で戦っている。その影響で打撃を食らった箇所が少しだけへこみ、軽い音が出てくる。
「二人とも、ちょっと中断!」
美央が叫んだ後、二機のボーンが戦闘を中断させた。
腰を屈めた後に胸部のコックピットハッチが開いていく。そこから二人の少女が降りてきた。
「やっと来たか」
飛鳥達に向かってくる二人。その男口調の少女に、飛鳥がハッとする。
彼女をよく知っていた。というより有名なので自然と覚えていたのだ。
「もしかしてあんた、黒瀬二尉か?」
「そうだが……?」
「やっぱりあの噂のヤングエリートか。何で二尉がこんな所に?」
本来敬語は使うべきだろうが、とっくにやめているので別にいいと思っている。
その飛鳥の問いに答えたのは、優里ではなく美央だった。
「彼女は私達と協力する事になったの。イジン殲滅のね」
「はっ? イジン?」
「世間でよく言われている未確認巨大生物の事。我々はそのはぐれ部隊って事よ」
美央がある方向へと指を差していく。
辿ってみると巨大な格納庫が一つ。そこから黒い機体が腰掛けているのが見えた。
何とニュースにもなっている謎の怪獣型ロボットである。飛鳥は思わず驚くも、どこか諦めの感情が芽生えた。
「……つまりあんた、今噂になっている怪獣型のパイロットって訳か」
「そゆこと。だからやめるなって言ったのよ」
「……マジか……」
怪獣型の事はテレビなどでよく知っている。
ただ乗っているのが、歳が離れていない少女だとは思ってもみなかった。てっきりごつい男性が乗っているとばかりに……。
「信じていない顔ね。もしよかったら証明してやろうか? 私の実力を」
美央の親指がボーンへと指さす。
女の子にこう言われては、さすがに引くに引けない。飛鳥はため息を吐きながら、羽織った緑色の上着を脱いだ。
「わーたよ……ちょっとだけな……。あんたこれ持っててくれ」
「あっ、はい……」
見ず知らずの小柄な女の子に上着を渡した後、美央と共にボーンに乗り込んでいく。
ボーンは訓練用でなおかつ装甲が薄く軽量なので、ギアインターフェイスによる人間的動作も楽にこなせる事が出来る。それに戦陣などにはあるだろう射撃武器も一切ない。
つまりパイロットの操縦技術がダイレクトに伝わる上に、実力も一目瞭然になるのだ。
『それじゃあ黒瀬さん、スタートを出して』
二機が面向かった時に、美央の声が聞こえてくる。
民間人の少女がヤングエリートに指示するとは実に面妖だが、その優里はただ開始を告げるのだった。
『では両機、始め』
直後、美央のボーンがこちらへと走ってきた。
適当に済まそう――少しやる気なさげの飛鳥がボーンの腕を振るう。だが相手のボーンが、突如として跳躍をするのだった。
「!?」
跳躍は操縦の中では一番難しいとされている技術。美央のボーンが飛鳥の頭上へと飛んでいき、背後へと着地していく。
振り返ろうとすると、すぐ目の前に来るボーン。その攻撃を両腕で受け止めると感じる重量。
ただ者ではない。あの怪獣型を操っているだけあって、相当の手練れのようだ。
「あんた……やるな……」
『ありがと。これで信じてもらえるよね?』
「……ああ、そうだな……っと!!」
蹴りを入れようとする。だがその前にボーンが下がってしまう。
気付いた事があったが、美央のボーンが猫背のようになっている。まるで獣のようなその姿勢は、前に見た怪獣型と瓜二つである。
癖が抜けていないのがよく分かる。それにあの機体のパイロットという事の証明にもなった。
「ちょっとまずいな……」
飛鳥は馬鹿ではない。動きさえ見れば、その操縦者の技術がよく分かるのだ。
これは確実に自分が負けるだろう。それ程に美央という少女は場数を踏んでいる。だからと言ってすぐに降参するのも何か微妙に嫌である。
ならばいっそ、戦って潔く負けても構わない。
『行くわよ』
美央が駆るボーンが迫って来る。そして向かってくる拳を、飛鳥は寸前で回避した。
彼もまたボーンの腕を振るう。今度は美央に当たり、少しだけ装甲をへこました。気の抜ける程の軽い音が、コックピットの集音マイクに響いていく。
それでも美央のボーンは倒れない。まるで痛みを恐れない猛獣の如く、すぐに体勢を立て直す。
刹那、飛鳥のコックピットが暗くなった。本人は驚愕するも理由は知っている。美央のボーンが頭部を掴んでいるからだ。
モニターはカメラアイと連結している。一応左右と背後のサブカメラはあるのだが、前は捕まれているのでほとんど見えない。飛鳥が半分がむしゃらで腕を振るっていたが全く手応えがなかった。
「くそっ……うわっ!?」
浮遊感が彼を襲ってくる。モニターにわずかに映る風景が反転したように思えた。
次の瞬間、ボーンに衝撃が走った。飛鳥には特に怪我はなかったが、まるで投げ飛ばされたような痛みと浮遊感による気持ち悪さが出てくる。
彼はその不快感の中で理解した。自分のボーンが背負い投げされたのを。
「こ、降参……」
もうこれ以上、戦うのは無意味である。
飛鳥が今出来るのは、自分の敗北宣言だけだった。
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