第五十五話 夢の中で

 イクサビトと化したアーマーローグ――バハムートは思う。


 何故、我々というのが生まれたのだろうか。はるか以前は、視界はおろか自我もなかった状態……言わば闇の中にいた。自分は何者なのか、何故いるのか、そういった考えは決してなかった。

 それなのに、ある日を境して生物として活動している。考える知能を獲得し、動ける身体も持っている。そして小さくやかましい生物と、自分達と共生する者で構成された像を捕食している。


 何者かの影響か? それも神の悪戯か? 同胞はらからの中で特に知能があるバハムートでも、その答えは見出す事は出来ない。

 いや、今はどうでもいいのかもしれない。バハムートの目的は、ここに来るであろう『真紅の獣』である。

 一目を見た時から、あの獣から言い知れない何かを感じ取った。自分達と同じような存在なのに、どこか違う。まるで別次元にいるかのようだ。


 それに同胞を殲滅したあの力。その際に撤退を余儀なくされたが、同時に大きな衝撃を与えてくれたのだ。


 あの力は、バハムート側に授けられた祝福だと。


 欲しい……あの獣の力が欲しい……。何としてでも、自分達の一部にしたい。

 だからこそバハムートは待つ。この広い水の中で、同胞と共に来るのを待つ。


 そしてあの忌々しい小さな生物。あの生物に与えるのは、




 滅亡だ。




 ===




 ――ここはどこだろうか。


 美央は最初、その場所を把握する事が出来なかった。それを知る為に、呆然とした表情で辺りを見回していく。

 まず自分がいるのは道路。そして目の前にある、黒い屋根が特徴的な一軒家。


「……ここは……」


 やっと分かった。ここは、幼少の頃に住んでいた自分の家。


 あの日、イジンが誕生してしまったあの日を境に、美央は如月家族に引き取られ、空き家になったのである。

 それが何故目の前に現れた? 何の為に自分はここに立っているのか? 疑問が多々あるも、その家へと向かっていく美央。


 鉄柵をゆっくりと開けていった。広い庭の中を挙動不審に歩いていきながら、玄関へと進んでいく。


「おとうさんのうそつき!!」


 響き渡る、幼い少女の声。それは一階の広い窓から聞こえた。

 窓に近付いて中を覗いていくと、見えてくる居間らしき空間。そこに長い黒髪と白い洋服が特徴的な、一人の幼女が立っていた。

 

「……私……」


 間違いない。自分自身……神塚美央の、幼少時の姿。

 彼女が顔を赤くして泣き腫らしている。そして小さい口から怒りの言葉を放ち、美しい瞳で睨み付けている。


 視線の先を辿ると、長身の男性が立っていた。黒い背広を身に付け、短い髪をした壮年の男性。

 美央は知っている。知らないはずがない。


「……父さん……」


 神塚喬彦。美央の実の父親であり、生物学の権威。そしてイジンが誕生させた全ての元凶。

 幼い美央に対して困り顔をする彼。腰を屈め、娘の視線へと合わせた。


「ごめんな美央……急に仕事が入ってしまってな……」

「そんなにおしごとがだいじなの!? 私、ゆうえんちに行きたかったのに……!!」

「本当にごめん。次の日曜日には……」

「いいよもう!! 早く行ってよ!! おとうさんなんかだいっきらい!!」


 嗚咽を漏らしつつ、恨みの言葉を放つ美央。

 そんなのを言っていた事があった――今の美央がうっすらと思い出した時、幼い彼女に駆け付けた者がいた。


「こら、美央! 父さんにそんな事を言うんじゃない!!」


 幼い美央よりも背の高い、茶髪ショートの少女。あれは高校生時の如月梓。

 彼女が美央をなだめようとしている。しかし美央の方は、そう簡単に引き下がらなかった。


「だっておとうさん、約束をやぶったんだよ!! そんなのゆるせない!!」

「それはそうだが……でもお父さんは君の事を……」

「知らないもん!! とにかく出ていってよ!! 顔も見たくもない!!」


 ──あの頃は、結構荒れていたのかもしれない。

 約束を破り、遊びに付き合ってくれない父。美央は彼に対し、拭えない憎悪をしていたのかもしれない。


 やがて喬彦が諦めるように居間を出ていく。姿が見えなくなった後、如月が美央へと屈んでいく。


「君の気持ちは分かる……しかし今のは……」

「………………」


 幼い美央は何も答えない。顔をうつむかせ、涙を流すだけ。

 何故答えなかったのか、それを今の美央は分かっている。というより嫌でも頭の中に残っていると言うべきか。


 あの時、自分が悪いと思っていた。


 父は明るい未来に繋がる仕事をしている。だから約束を守れない時もある。それをちゃんと理解していたのだ。

 しかし憎悪した。自分に振り向いてくれない父を、研究ばかりする父を許せなかった。そしてイジン誕生のあの日──憎悪は決定的となった。


 怒りや憎しみを通り越して、『無』となる。父に対して何も思わず、ただつまらない物として見ていく。もうそこには親子の絆など一片もない。


 神塚喬彦という男は、美央の父親でも何でもなかった。


「ああ、私だ。今そちらに向かう」


 玄関の扉が開かれる。神塚喬彦が出てきたのだ。

 彼が携帯端末を片手に、神妙に電話をしている。

 

「ああ、遅れてすまない。すぐにアルファ細胞実験を執り行う。ああ……娘を怒らせてしまってな……本当に私は最低の父親だよ」


 表情に悲しさが出てくる。娘を大事にする事が出来ない、父親としての後悔。

 美央は庭に立ったまま、その話を聞いている。能面にも見た、何も感じていない表情で。


「……ああ、この研究が成功して娘を振り返せるさ。もうそれしかない……というよりそれしか考えられないからな……」


 ――それしか考えられない。

 美央は、自分の脳裏にひずみが生じたのを感じた。脳に電流が走った痛みと言っていいか。

 彼の言葉がそうさせたのだろうか。自身でもよく分かっていないが、それでも思う。


 忌々しいと。


「それではすぐに行く。待っててくれ」


 通話を着る神塚喬彦が、車に乗ろうとしていく。

 その彼を止めたのが、


「貴方という人ほど、愚かな人間はいないね」


 他ならぬ、娘である神塚美央だった。


「! ……美央か?」


 さっきまで話していた娘が大きくなった挙句、汚物を見るような眼光で睨み付ける。

 神塚喬彦が動揺するのも無理はない。それでも美央は、見下した表情で語る。


「あなたは本当に馬鹿だ……娘をダシにして研究に没頭し……その影響で災厄イジンを生み出してしまった……。

 娘を振り返せる為の研究? そんな事されても、私は嬉しくも何ともなかった……」

「……それは分かっているさ……」


 神塚喬彦の口から漏れる、枯れそうな声。

 美央の眉間が、僅かながらも動いていく。


「母さんが亡くなって……それでも母さんが残したお前と深めようと思った……。それでも仕事の影響でままならず、お前を孤独にしてしまった……。

 分かっていたさ。私には……父親の資格がなかったと……。だからこの研究は、人生最後の賭けだったのだ……」

「……」

 

 ――分かっている。そんな事は分かっている。

 彼が娘と一緒にいたかったのに、周囲がそれを許してくれない。そして両者の間に溝が入り、ついには修復不可能な事態に陥ってしまった。


 イジン誕生。それが溝を決定的にさせた原因である。そして美央は、そのイジンを一匹残らず潰す事になったのだ。

 目の前にいる父親によって……。


「……それで振り返ると思ったら……大間違いなのよ……」


 胸の中が込み上げてくる。

 よく分からないこの気持ち……それでも抑えきれない。抑えきれなかった。


「私は普通の家庭を望んでいた……普通の家族を望んでいた……それなのに……あなたが残したツケの尻拭いをする事になった……。

 何が父親の資格よ。何が人生の最後の賭けよ。そんな事を考えている暇があったら……もっと歩み寄りをすればよかったのよ……」

「……美央……」


 研究をダシに、絆を深めたくなかった。それ以外にも、方法がいくらでもあったのではないのか。

 そう思いたかった。研究という逃げをしないで、真っ向からそうして欲しかった。そうすれば違う未来が待っていたのかもしれないのだ。


 幸福に暮らす、家族としての未来が……。


「……もういい……これ以上の話は無用だわ……」


 何もかも吹っ切れた。美央はハッキリと自分の意志を語る。

 闇のように深い、禍々しいその意志を。


「私は、この身をもってあなたの遺産を潰す。死んであなたの元へと向かう。

 そして……あなたをぶん殴る……」




 ===




『美央、美央!』

「……!」

 

 不意に聞こえるノック音が、美央の目を覚ましていく。

 視界に広がるのは、計器に囲まれたコックピット。モニターを消しているので外の風景が見れず、薄暗い空間となっている。


 そのコックピットハッチを、ある者が叩いてるようだ。すぐにハッチを開けると、その者の姿が見えてくる。


「……ああ……フェイさん……」


 フェイ・オルセン。美央が乗っている雅神牙へと、はしごを使って登ってきたようだ。

 

 彼女の奥には星が輝く夜空。そして雅神牙の下には、灰色をした平たい地面が広がっている。

 実は地面は甲板――それも巨大な護衛艦の甲板であり、雅神牙の他にもアーマーローグ三機、戦陣など、あらゆるアーマーギアが並び座っている。

 

『いずも型護衛艦』。主にヘリコプター搭載の海軍護衛艦だが、今はアーマギアを載せる為の作業が行われている。ヘリコプターを使い、ゆっくりと戦陣を甲板に降ろしていく――その繰り返しである。

 もちろんと言うべきか、美央が乗っている艦だけではなく、複数の護衛艦が海に浮かんでいる。関東の勢力をほぼ集めた故に、そのアーマギアの数は計り知れない。


 作業は防衛軍で行っているので、美央達は手出ししようがない。なので各自の搭乗機体の整備を行っていたが、美央だけはコックピットの中でうたた寝をしてしまったのだ。


「寝てたんだ。大丈夫? 疲れてない?」

「ええ……こいつの中、結構温かいんで……。一応生物ですしね……」


 冬がもたらす外の寒さと違い、雅神牙の中は温かい。

 だからこそ眠ってしまったのだろう。この怪物が、美央自身を蝕んでいるのにも関わらず……。


「美央……何か変な夢でも見たの?」


 突然、フェイがそんな事を言う。

 心配の表情を浮かべるのだから、思わず何事と思ってしまう。


「……えっ? 何でですか?」

「いやね…………泣いているよ?」

「……はっ?」


 意外な言葉だった。すぐに自分の頬を触れると、感じる生暖かさ。

 涙である。寝ている間に流していただろう涙の滝が、美央の頬を伝っていたのだ。


「……本当だ……何でだろう……夢のせいかしら?」

「夢?」

「あっ……別に……」


 もしかしたらのせいなのかもしれない。しかし口にするのもはばかれるので、伝えるつもりはない。

 すぐに涙を拭っていく。それはあたかも、過去から断ち切るかのように……。


「……ところでどうしたんですか? 何か整備で分からない事でも?」

 

 何かしら理由があってこっちに来たはずだ。

 尋ねる美央に対して、フェイは表情を一変させた。それは何もかも覚悟をした、決意の表れだった。


「私、受け止めるよ」

「……受け止める?」

「うん、さっきまで美央が死んじゃうとかでくよくよしてさ……。そんな事になったらどうしようとか、そんな事にならないでほしいとか、あの病院の中でいつも思っていた。

 でも、それが美央の覚悟なんだって分かってきたんだ。だからさ、私は美央の行く末を……受け止めるよ」

「…………」


 フェイにこう言われるとは、思ってもみなかった。

 仲間が死んでいくのを見守る。そんな事など、美央ですら耐え難い物なのだ。それをフェイは、覚悟をもって見守ると言っている。


 一見すると見限るような台詞かもしれない。しかしこれはフェイなりの優しさだと、美央は感じた。


「……ありがとうございます……」

「……ううん、礼なんて……」


 フェイはただ首を振るだけ。母性のある微笑みを浮かべながら。


 そんな時、作業音が消えた事に美央は気付く。それはフェイも同様か、互いに周りを見渡していく。

 そして港に向かって一列に並ぶ、防衛軍軍人の姿が見えた。


「これより我々は出発する……一同、敬礼!!」


 列の正面に立つのは、未確認巨大生物討伐隊指揮官――岸田進。


 太い右腕で素早く敬礼した。その彼も見習って、香奈や新城達、そして他の軍人が同様にしていく。

 直後に甲板が動き出した。いずも型護衛艦がゆっくりと、広い海を航行していく。


「……いよいよですね」

「うん……」


 美央はやっと理解した。

 ようやく、イクサビトの本拠地へと向かっていくのだ。これから先、数多くの犠牲が出る事になるだろう。

 それでも彼女達は行く。一刻も早く、あの化け物どもを滅亡させる為に。

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