第四十九話 神の殲滅

 東京の中に流れる川があった。文明の代償と言うべきか非常に濁っており、魚も満足にはいない。

 その川がうねりを生じさせる。うねりの中央から、突如として真紅の腕が現れたのだ。

 人ではない、異形の何か。それが陸地を掴み、ゆっくりと本体を引っ張り出していく。血のような真紅の巨獣――アーマーローグの雅神牙だ。


「ウ゛ウウウウウゥゥゥゥ……」


 雅神牙が吠えている。青い三つのカメラアイで、自分がいる場所を確認している。


 燃えていた。どのビルも、どの建物も、どの道も、全部が火の海になっていた。炎から発せられる熱気は雅神牙――ひいては中にいる人間までも感じる。

 むしろ、それによって正気を取り戻した。


「……私、何でこんな所に……?」


 理解出来なかった。確か頭痛をした時に目眩を感じ、それからの記憶がない。

 その目眩が終わったら、何故かここにいる。疑問を抱く美央だったが、瞬時に悟りに近い理解を示す。

 十中八九、自分が操っている雅神牙だろう。この怪物に操られたのかもしれない。


「…………」


 それよりもこの地獄絵図……恐らくは東京で間違いないだろう。

 先程聞いた東京への攻撃。これがその光景であると知った彼女は、ゆっくりと雅神牙を歩かせていく。

 突き進んでいくと、ハッキリと分かる地獄絵図。放置されていた車から火の手が上がっており、ビルの窓は酷く割れている。


 そして道端に転ぶ、黒い焦げた物体。美央が目を凝らすと、それが何なのかよく分かった。

 死体だ。人の焼死体である。生きていたであろうこの存在は、今は魂がないただの物と化している。

 さらに見渡していくと、そのような死体がたくさんあった。どれもどういった姿をしていたのか分からなくなる程に、黒焦げとなって……。これにはさすがの美央も、ただ息を吞むしかない。

 

 しかし死体を見ている暇はなかった。


「……何だ……?」


 感じた。まるで、獣が視界にない存在を感じ取ったような感覚。

 いや、美央が感じたのではない。雅神牙が感じたのだ。現に雅神牙が、顎部から唸り声を上げている。


「…………」


 嫌な予感しかない。それでも向かうしかないだろう。

 ペダルを踏み、雅神牙を先に進ませる美央。それに対して雅神牙は、ただ美央の操縦に従うだけ。自意識を持った生物と、人間に操られる機械の狭間に位置する存在だからか。


 業火の中で歩く真紅の荒ぶる獣。その動きが、不意に止まっていく。

 獣が見定める先にあったのは、巨大なビル――の上に佇む巨大な怪物。青い装甲に身を包まれた竜人。


「……バハムート……」


 間違いない。前にフェイの父ウィリスが報告してくれた、AOSコーポレーション製のアーマーローグ……バハムート。

 イクサビトの中で、唯一アーマーローグと融合した存在。その光輝くカメラアイが、まっすぐ地上にいる雅神牙を見つめている。


 睨み返す雅神牙。真紅を纏った獣神と蒼き装甲を纏った竜神――対局を成す二体が、業火の中で対峙する。

 美央もまた、バハムートを鋭い眼光で睨み付けていた。


「そうか……お前はあいつを殺したいのね……」


 何故雅神牙が東京ここに来たのか。その訳が分かった。

 雅神牙は、強い存在の血を求めている。その血を浴びない限り、その破壊衝動を止む事はしない。


 この化け物はバハムートを破壊したいのだ。それは獲物を狩りたいという獣の本能と酷似している。

 ならば、それをくれてやればいい。


「……行くぞ、雅神牙」

「オオオオンンン……オオオオオオオオオオオオンン!!」


 地獄に響き渡る咆哮は、新たな破壊の狼煙のろし

 雅神牙が走っていく。口から涎を垂らし、唸り声を上げながらバハムートへと向かう。その身を徹底的に八つ裂きにする為に。


 だがその時、地面を突き破って現れる影。一体だけではなく、二体、三体……数えきれない程の無数。

 飛行型イクサビトだ。四枚もあるコウモリ状の翼を生やし、菱形をした戦闘機型異形。その大群が、まっすぐに雅神牙へと向かってきたのだ。


「邪魔を……」


 バハムートの血を求めているのは雅神牙だけではない。ギアインターフェイスで繋がっている美央もまた、人ならざる破壊本能に支配されている。


 雅神牙の顎部が大きく開いた。青白い光を灯していく口内――その光が充満した時、美央の犬歯が剥き出しになる。


「するなぁあああ!!」


 青白い熱線レーザーブレス。対イジンと開発されたプラズマ兵器が、雅神牙の顎部から放たれる。

 万物を切り裂く光が、飛行型イクサビトの群れへと接近。その中の一体を、計り知れない熱量を持って切断した。


 泣き別れになり、崩れ落ちる。さらにレーザーブレスが横へと薙ぎ払われていき、数体を切り裂く。

 贓物を撒き散らす個体、機械の破片と化していく個体、熱で溶けていく個体。あらゆる死に方をしたイクサビトを前に、ただ美央は嘲笑う。


 この感じ、この衝動……実に悪くない。気持ちよさも感じてしまう。


「ウウウウウウ……オオオオオオオンン!!」


 レーザーブレスが消えた直後に発せられる、雅神牙の咆哮。それは余剰熱の煙と吐き出され、禍々しい雰囲気を漂わせる。

 未だ飛行型イクサビトは健在であった。数えきれない程の個体群が、側面からマシンキャノンを発射。弾幕を雅神牙へと襲わせる。


 刹那、雅神牙が消えた。いや、消えたのではなく、自分の身長を超える跳躍をしたのだ。その紅い巨体が、一体のイクサビトへと着地する。

 鉤爪と尻尾のテールクローを使って、一瞬にしてバラバラに引き裂いてしまう。次にもう一体へと跳躍し、肘のエルボーダガーで翼をもいでいった。


 翼をもがれた鳥は地に堕ちるしかない。錐もみしながら墜落し、ビルへと突っ込むイクサビト。一方、跳躍しながらテールクローのある尻尾を伸ばす雅神牙。

 倍以上も伸ばされた尻尾が、遠くにいるイクサビトを鷲掴み。ビルに着地した雅神牙が勢いよく振り回し、別のビルへと叩き付ける。

 壁面が崩れ落ち、爆発。中のイクサビトがどうなっているのか、火を見るよりも明らか。


 恐るべき機動性、恐るべき蹂躙。イクサビトの生き残りへと振り返っていく雅神牙は、あたかも悪鬼の如く。


「ハハ……行ける……行けるぞ……」


 美央の口角が上がる。狂気の笑みを、コックピットの中で浮かべていく。

 精神が高ぶっていくのがよく分かる。まるで獣へと退化するような感じに思えるが、別に悪い感じはしない。それに戦闘能力も気持ち上がっているような気がする。


 雅神牙が繋がるとは、人ならざる存在になってしまうという事。それを今、美央は体現している。


「!」


 生き残りの飛行型イクサビトから、ミサイルが放たれる。

 数は不明。不明な程に無数。それがいっぺんに雅神牙へと向かっていくという事は、回避出来ない事を意味している。


 ただ、何故か怯みはしなかった美央。彼女の脳裏に、何かが浮かんでいたのだ。

 例えるならば『啓示』か。そして誰が啓示したのか一目瞭然。


「……なら……」


 啓示は『イメージを考えろ』。この状況を打破出来る方法を、美央は瞑想する。

 ――イメージが湧いた。これなら行ける。


「やれぇ、雅神牙ぁ!!」

「オオオオオオオオオオオオオオンン!!」


 突如、両腕の四本爪が光った。

 鉤爪の付け根から放射される、光の筋。レーザーブレスに酷似――いやそれと同一のプラズマ熱線が、雅神牙を中心に八本放射される。


 神の光背こうはいを思わせる光を、雅神牙は大きく振り回した。ミサイルも、イクサビトも、そして周りのビルも、あらゆる万物を文字通り『断罪』する。


 火の海だった東京に、さらなる災厄が舞い込む。しかもそれを行った怪物……ひいては操っている少女は一切気にしていない。

 気にしていないというより、破壊衝動に侵されてそれどころじゃないと言うべきか。


「ハアアアアアア!!」


 飛行型イクサビトが残り十体。彼らへと光の爪を振るうも、避けられてしまう。

 その直後、全個体が分解されていく。単なる自滅か――いや違う。身体を再構成していき、飛行に適したフォルムを一から造り直そうとしている。


 その姿が少しずつ変わっていき、人型に変わっていった。その姿はイジン兵士級と言った所であるが、背部から生えた四枚の翼が天使を彷彿させる。

 遥か昔の宗教に存在する天使は、一般に知られている美しい姿とは程遠い異形の姿をしている。まさにその姿をしたイクサビトが、奇声を上げながら雅神牙へと接近。


「フン……」


 変身した所で何も意味がない。

 雅神牙が光の爪を抑えた後、ビルから跳躍。尻尾を前に出し、テールクローで掴みかかろうとする。

 しかしかわされる。左右に分かれた数体が、両手を剣に再構成。雅神牙へとすれ違いざまに斬り捨てる。


 頭部のブレードアンテナ、右肩、左肩の棘が切り取られてしまう。さらに一体によって背中を掴まれ、ビルの屋上へと叩き付けられてしまった。

 粉砕する屋上。衝撃によりどこかにぶつかってしまい、美央の額から鮮血が流れ出す。


つう……」


 痛みが伝わって来る。血の匂いも感じる。

 それでも鬼の形相で見上げる美央。上部にあるモニターに映っているイクサビトが、両手の剣が振り下ろしていく。


「離せぇ!!」


 刹那、雅神牙の背ビレとエルボーダガーが光った。

 二種類の突起物から放射される、青白いプラズマ。光の翼と呼ぶに相応しいそれが、纏わりついていたイクサビトを分解させてしまう。

 正直、この攻撃に美央は呆然とし、そして理解した。背ビレとエルボーダガーにあった無数の穴は、このプラズマを放出させる為の物であった事を。

 

 雅神牙が光の翼を強め、稲妻へと変化させていく。周囲に稲妻をばら撒く姿は、あたかも伝承に伝わる雷神。

 砕かれるビル、焼かれる地面。離れた距離にいるイクサビトが巻き込まれ、火花を散らしながら爆発する。


 だが一体だけが残ってしまい、雅神牙へと向かってしまった。対し稲妻の放出をやめ、跳躍する雅神牙。

 光の翼を抱いて、イクサビトへとすれ違う。その白い身体が閃光によって切り裂かれ、地に堕ちていった。


「…………」

 

 狩りが終わった。倒れかけているビルに着地する雅神牙。

 周りに見えるのは、光の筋によって切り裂かれたビル。そして燃え上がる火の海。先程よりも被害が拡大しており、目も当てられない。

 それでも美央は意を介さず、あるビルを一瞥した。そこにいたはずのバハムート……もう行ってしまったのか、その姿はなかった。


「……オオオオオオオンン!! オオオオオオオオオオオオオオンン!!」


 雅神牙の咆哮が轟く。それは獲物を逃がした故の、悔しさからだろうか。

 そう感じた時、美央の視界が揺れ動く。次第に視界は、闇へと変わっていくのだった。

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