第五十八話 野獣を殺した美女

『佐藤おおおお!!』


 新城の叫びが、戦場に木霊する。

 彼は見たのだ。佐藤の乗る戦旗が巨大イクサビトに噛み付かれたのを。そのおぞましい顎により、戦旗のボディが粉々に砕かれていったのを。


 佐藤千夏が死んだのだ。何も言い残す事も出来ないで、卑怯な手段を取るイクサビトに食い殺されて。

 そしてイクサビトが残りの戦陣を蹂躙する。まだ生きている人間を抱え込んでいるが故に、抵抗出来ずにやられていく戦陣部隊。中には覚悟を持って応戦をする戦陣もいたのだが、すぐに触手状の脚によって叩き潰されてしまった。


 護衛艦が徐々に破壊される。いとも簡単に崩れて落ちていき、所々火を噴かせて爆発していく。


「オ゛オオオオオオオンンン!!」


 爆発音と共に、轟くイクサビトの咆哮。

 あたかもそれは、蹂躙出来た事への喜びに思えてきた。


「……くっ!!」


 戦う仲間が、目の前で消えてしまった。

 フェイは顔を歪ませ、操縦桿を握り締める。佐藤とはあまり交流がなかったが、それでも胸が締め付けられてしまう。

 だがそんな悲しみも長くはなかった。護衛艦を撃沈した巨大イクサビトの瞳が、こちらとへと向くのが見える。

 

 新たな敵を、今発見したかのように。


『……撃つぞ!!』


 フェイはハッキリと聞こえた。

 新城の命令を、その命令の意味を。


「新城さん……!?」

『住民は……諦めるしかない!! 今ここであの化け物を殺すのが先決だ!!』

「でも……!!」

『黙れ!! 救助する事が不可能な以上、もうこれしかない!! 何なら俺一人でやるから、他は別個体をやれ!!』


 言いかけたフェイだったが、威圧の前ではそれ以上口に出せなかった。

 彼が駆る戦旗からのガトリングガン。ノズルを回転させ弾丸を撒き散らす様を、フェイはただ見守るしかなかった。


 顔面に命中し、怯むイクサビト。だが腹の中にいる人々が悶え苦しみ、蠢いているのが見て取れてしまった。

 顔を背けたかった。やめろと言いたかった。だが彼はフェイ達を守ろうとして、汚れ役を引き受けている。言う資格などなかったのだ。


「ア゛アアアアアアアア!!」


 人々をさらけ出している甲殻を閉ざした後、海を泳いでいくイクサビト。

 あの巨体と攻撃力、一瞬にして護衛艦を沈めた凶暴性……食い止めなければ、フェイ達がやられてしまう。

 住民を殺したくない。でも生き残りたい。しかし手を抜いたら殺されてしまう。


 どうすればいい……どうすればいい……どうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいい。

 どうすれば……


「うううううう……ウワアアアアアアアアア!!!」


 選択の余地はなかった。もう殺す事しか出来ない。


 ヤケクソだった。弾数少ない両腕の二連装キャノンを、こちらに向かって来るイクサビトへと放った。

 着弾。軽いイクサビトの悲鳴。だがダメージが住民にも及ぼしていると考えると、胸が締め付けていく。涙が溢れていく。


 その一方で、護衛艦へと這い上がっていく憎き敵。巨体に覆い被さっていた海水が漏れ、甲板を濡らす。

 腹の装甲を開け、フェイ達の前にさらけ出すという悪辣な行動も取って。


『助けて! 助けて! 助けて! 助けてよおおおお!!』

『あぐ……おご……』

『アアアアアアアア!! アアアアアア!!!』


 コックピットに響く、人々の叫び。

 おぞましくて、苦しくて、フェイは吐き気を催してしまう。これ以上聞いたら精神がどうにかなりそうで、だからこそ外部のスピーカーを落とす。


「……こいつ……」

 

 許せなかった。人々をあんな風にしたイクサビトを、あのような悪逆如き行為をする蛆虫を。

 美央の気持ちが分かる気がしてきた。目の前のウジ虫を……殺したい……ぶちのめしたい……八つ裂きにしたい!!

 

「クソが……クソったれがああああああああああああ!!」


 怨念の叫びと共に、愛機キングバックと共に、イクサビトへと駆ける。

 香奈達の制止が聞こえたような気がした。しかし興奮し、狂気を纏っているフェイには届く事はなかった。

 

 巨大イクサビトに向かう途中、通さないとばかりに二体の人型イクサビトが現れる。それらが銃撃を放った時、巨大な得物バトルアックスで受け止める。

 防御しながら接近――バトルアックスで薙ぎ払い、白い身体を海に叩き落す。そして憎き巨大イクサビトへと斧の一撃を……


「オ゛オオオオアアアアアアアアア!!」


 外部スピーカーを落としても、聞こえてくる咆哮。直後に触手状の脚に叩き付けられ、倒されてしまう。

 その際、バトルアックスが海へと放り投げられてしまった。海に沈んでいく愛用の武器を、フェイは呆然と見つめるしかない。


『フェイさん!!』


 飛鳥の声が聞こえた。直後、キングバックの背後から迫るミサイル。

 アーマーイラの物だ。糸を引きながらイクサビトに着弾し、怯ませる。同時にエグリムと戦旗がホバー移動し、イクサビトへと乗りかかろうとする。


 イクサビトが身震いで抵抗する。それでエグリムが吹き飛ばされるも、戦旗はその背中に乗る事に成功した。

 装甲の隙間を狙い、鉈の振り下ろし。溢れる緑色の鮮血と共に、イクサビトと……人々が悶えていく。フェイは堪えながらも、キングバックを立たせつつ向かった。

 倒れそうになっている背中をよじ登る事に成功。操縦桿を激しく動かし、両腕で背中を殴り付ける。

 

 何度も、何度も、何度も、何度も。


「一瞬で……一瞬で死ねええ!!」


 フェイに浮かんでくるのは、憤怒の形相。

 早めに殺し、人々を苦しみから解放させたい。その思いがキングバックに伝わり、連続の殴打を立て続けに行う。

 マニピュレーターが壊れそうになるもお構いなし。やがて装甲にヒビが入るのを見たフェイは、キングバックの右腕を圧縮させる。


「ウアアアアアアアアアア!!」


 ヒビへと目掛けて放つパイルパンチ。

 高まる破裂音。四散する装甲の破片。迸る鮮血。巨大イクサビトが断末魔の悲鳴を上げ……ゆっくりと力尽きる。

 甲板に倒れる音が、かすかにフェイの耳に届く。その彼女は鋭い眼差しでイクサビトの死骸を見つめ……表情を緩ませる。

 ――涙が、零れていった。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 乾く事のない謝罪が、口から洩れてくる。

 守るべき住民を、殺すべきではない住民を見捨てる形になった……。しかもイクサビトに攻撃したらその人々にもダメージが行く。つまりイクサビトが死んだのなら……。

 殺してしまった。自分の手で、あの人達が殺してしまったのだ。それが罪悪感という重圧となり、フェイに伸し掛かる。

 心が潰れそうで……死にたい気持ちで……。












「ア゛アアアアアアアアア!!」


 その時だった。雄たけびが聞こえたのは。

 うつむいた顔を上げると、モニターに迫る巨大な顎。そう認識するよりも早く、コックピットが激しく揺れ動く。


「ウワアアアア!?」


 火花に覆われるコックピット。響き渡っていく、硬い物が強引に押し潰したような音。

 やっと理解出来た。今、キングバックは喰われている。イクサビトはまだ生きており、長い首で背中のキングバックを咥えたのだ。


 焦りながらも、操縦桿やペダルを使って脱出を試みる。しかし強い力で咥えている為か、うんともすんともしない。

 例え両腕で殴っても、結果は同じ……。

 

『……を……離せぇ!!』


 無線から掠れた声が聞こえてくる。香奈の声だ。

 同時に聞こえてくる銃撃音。キングバックを放そうと躍起になっている仲間達のそれだと知るが、イクサビトは離す事を決してしない。


 この化け物は、キングバックを道連れに死のうとしているのだ。


「……クソ……」


 こうなると分かっていた。軍人の卵である以上、『死』が訪れると悟っていた。

 しかし悲しいかな。その死が近付くと、両親の顔が脳裏に思い浮かんでくる。そして香奈達の姿も……。


「……クソおおおおおおおお!!」


 もう脱出する事は出来ない。死から逃れる事は出来ない。

 ならば最期まで足掻こうではないか。こいつに最期の一撃を与えようではないか。


 ボロボロになっていく右腕を動かし、キングバックの腹部へと近付けさせる。そこにあるのは……この機体の動力源。

 がむしゃらな勢いで、二連装キャノンを発射。弾が尽くすまで、動力源が爆発するまで。








 ――ごめんね……パパ……ママ……皆……。 

 



 ===




 キングバックを咥えたイクサビトを、どうにかしたかった。

 機体を離そうと……フェイを助けようと。香奈は殺す勢いで、残り少ないマシンキャノンと推進式削甲弾D―01を放った。


 だがその時、感じる衝撃波と唸る爆発音。

 

 すぐに見ると、イクサビトの頭部が爆発した……いや、キングバックが爆発したのだ。その爆発が頭部を巻き込み、吹き飛ばしていく。

 何が起きた? 何故爆発した? 何でキングバックが? 様々な疑念が溢れる中、頭をなくしたイクサビトが倒れこむ。


『……フェイさん……?』


 飛鳥が声を掛ける。しかしキングバックだった黒焦げの残骸は、何も返さない。

 香奈の目が揺れ動く。その視界がイクサビトの腹へと向き、そして悟る。

 

 悲鳴を上げずに動かなくなってしまった人々。つまりこの人達は……フェイは、もう……。


「……う……ううう……ウオオオオオオオオオオ!!!」


 悲しみの咆哮が、エグリムのコックピットに響き渡る。その中で交わる、コックピットを叩き付ける拳の音。

 大切な仲間を見殺しにしてしまった。人々を救う事が出来なかった。何も出来ない自分を、ただ呪うしかない。


 何が防衛軍だ。何が人々から化け物を守るだ。こんな事なら、死んだ方がマシだ。


「ううう……ううう……」


 涙を零す場合じゃないのに、それでも止められない。

 優里も、フェイも、佐藤も、たくさんの仲間が死んでいく。平和を勝ち取る為の戦いのはずなのに、何でこうなるのか。


 何故イクサビトが、この時でも襲い掛かろうとするのか。


「……クソ……クソ……」


 滲んだ視界でも分かる、周りに群がったイクサビト。

 まるで香奈に悲しませる余裕を与えないかのように、まるで絶望をさらに与えようとするかのように。右手の剣を光らせ、こちらへとにじり寄る化け物ども。


 憎い、憎い、憎い、憎い。イクサビトは全部――皆殺し!!


「お前らなんて、死んでしまえええええええええ!!」




 ===




 大破された護衛艦が一隻存在している。

 所々火を漏らしており、甲板には大量のイクサビトと戦陣の残骸で覆い尽されている。艦橋の窓が割られており、その中に見える肉塊へと成り果てた船員達。


 無人となった護衛艦。その上で、獣同士の熾烈な戦いが始まっていた。


「オオオオオオオオンンン!!」


 背ビレから噴出するプラズマの光。そのプラズマを抱えたままか、四足歩行で疾走する雅神牙。

 青いカメラアイ――の奥に隠れている禍々しい瞳が見る先には、イクサビト側のアーマーローグであるバハムート。


 バハムートの両腕には二丁の40mmマシンライフル。巨大な鉤爪『デストロイクロー』と独立したマニピュレーターは、神牙とは違って武器を握る事が出来る。

 銃口から屹立きつりつするマズルフラッシュ。迫り来る銃弾が、雅神牙の装甲に無数の穴を開けられ、剥がされる。

 奥から見えるのは、異形の青黒い体表。


「くそっ!!」


 雅神牙の中にいる美央の悪態。彼女がペダルと操縦桿を無理やりに動かし、雅神牙をジグザグ移動していく。

 元巨大機械とは思えない思えない機動性。そのままマシンライフルを撃ち続けるバハムートへと接近し、背部のプラズマを振るう。

 左腕のマシンライフル一丁を溶解し、爆破。怯んだバハムートに、尻尾のテールクローを向かわせる。


「オオオオオオンン!!」


 バハムートからの雄叫びが聞こえた刹那、テールクローが弾かれてしまった。

 左腕のデストロイクロー。クローを弾いたのはその巨大な鉤爪であり、隙を入れずに雅神牙の頭部へと突き立てる。

 

 ワンセコンドの瞬間。雅神牙と繋がった美央は、獣如き反応速度で頭部を逸らす。

 回避――は出来なかった。クローが雅神牙の右頭部を抉り、ばら撒かれる装甲。奥に隠れていた生物的な右目が、執着するようにバハムートを睨んでいく。


 デストロイクローを掴む雅神牙。そのまま追撃をかまそうと操縦桿を動かす美央。




 ――ヨコセ……。




「なっ……」


 声が聞こえた。人と思えない、念話のような声。

 一瞬の隙が、バハムートに好機チャンスを与えてしまったようだ。機械の腕が雅神牙を掴み、放り投げる。


 思いがけない力が、雅神牙をかなりの距離へと吹っ飛ばさせていく。先にあるのは、近くにあった海底油田――イクサビトの巣窟。

 鉄骨に当たり、巻き込まれる雅神牙。鉄骨の山に埋もれる怪物だが、すぐにそれを跳ねのけ、立ち上がる。


 眼前には、いつの間にかあのバハムートが立っていた。


「……こいつの言葉か……」


 やっと分かった。先程の言葉は、このバハムート自身の物だ。

 十中八九、奴は雅神牙を欲しているだろう。何もかも取り込むイクサビトが、この人智を超えた力に興味を湧かないはずがない。

 

 美央の口角が上がっていく。雅神牙に取り込まれた身故、狂気の思考が彼女を襲う。


「……そんなに欲しいのなら……くれてやるよ……お前がバラバラになる程の暴力をな」


 破壊。イクサビトに与えるのは、それだけでも十分。他は必要ない。

 雅神牙も同じのはず。今まさに、刺々しい牙を覗かせながらバハムートに唸り声を上げている。


 美央と雅神牙の狩りは、まだ終わらない。

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