第二十三話 狂気の狩り

 道路を走り抜ける美央と飛鳥のバイク。今二人は規定速度スレスレの猛スピードで、キサラギへと向かっていった。

 ようやく本社の中へと着くと、数多くの社員が外に出ているのが見える。皆、不安な面相で本社を見つめ、ざわめきを立てている。

 その中にいた如月や香奈達。美央達はすぐに彼女達の元へと向かっていった。


「梓さん!」

「おお美央! 電話で言った通り、小型イジンはこの本社の中にいる」


 如月から電話を通じて事態を聞かされている。

 突如として爪が割れ出し、イジンが孵化したのだ。そのイジンは特に人を襲わず本社の中に潜り込んで行方不明――全社員はやむなく退避される事となった。


 イジンの体長は約八十センチ辺り。これまでの個体より最も小型であるが、だからといって油断は禁物である。

 今にも自己進化を起こし、破壊の限りを尽くさないとは言い切れない。


「……そういえば優里は?」

「今、黒瀬二尉と戦陣改のパーツを運んでくれた男性作業員二人が中に入りました。今すぐに掃討しないと自己進化する恐れがあると……」


 美央に答えたのは香奈である。

 イジンは放っておけば自己進化し、巨大な化け物と化す。小さいうちに殺害をするのは実に理がかなっている。

 恐らく優里達は9mm拳銃を持って潜入したと思われる。前に見せてもらった事があり、しかも予備としてか二丁も担いでいる。殺傷力は十分にあり、中型辺りの獣なら脳天をやれば一撃で沈黙する事が出来る。


 だが相手はイジンである。奴に脳天……というより生命維持装置にもなりえる脳があるのかすら不明だし、拳銃ですぐに死ぬようなタマとは思えない。

 それでもこれは優里達の仕事。悔しいが、ここは彼女達に任せるしかないだろう。


『光咲一士、二階のオフィスにてイジンらしき影を発見した。これより追撃に出る』

 

 突如として香奈が持っている無線機から、不意に聞こえる優里の声。

 どうやらイジンが見つかったようだ。美央と香奈が目線を合わせた後、無線機に向かって声を掛ける香奈。


「了解。気を付けて下さい」

『りょうか……』


 バンバン!!


 鳴り響く謎の轟音。思わず美央達が驚き、目を見開いていく。

 聞く限り銃声ではない。何かが……物に叩き付けているような音だ。


『通気口の中を!? 黒瀬二尉!!』

『まだ撃つな!! 追え、追え!!』


 男性達や優里の叫び。靴音もあの轟音も聞こえ出し、独特の不協和音を作り出していく。

 息を吞む美央達。それらの不協和音と会話で一体何が起こっているのか予測出来る。恐らくイジンは通気口を使って移動し、優里達はそれを追尾している。言わば異形による逃走劇。


 無線機を囲んで見守る美央達だったが、それが一変する。


『二尉! この奥です!』

『物置き……よし、扉を開けて奴がいたら一斉射撃だ』


 物置き――確か三階にある資料や機材の置き場所だったのを、美央は覚えていた。

 無線機から聞こえてくる扉の開く音。神経質な程に慎重に開き、中を見渡していく息遣いも伝わって来る。


 そして……


『キャアアアアアアアアアア!!』

『いた! 撃て撃て!!』


 奇声、銃声――無線機越しでも耳をつんざく。

 そして、


『ぐわああ!! くそ!!』

『離れろ!! ぐあああああ!!』

「……!? 優里!? 優里!!」


 何があったのか――美央が叫んでも、彼女達の返事がなかった。

 直後、不意に切られる通信。ただ聞こえるのはノイズだけであり、状況を知る事も話す事も出来なくなってしまった。


「黒瀬二尉! 応答して下さい! 黒瀬二尉!! ……そんな……」

「…………」


 一体何が起こったのか分からない。喰われたのか、それとも生きているのか……把握が出来ない。

 美央に冷や汗が伝っていく。優里に何かあったら……もし彼女がとんでもない事になったら……そう思うと、動悸が早まってしまう。


 友を失うとは、こういう事だろうか……。


「……美央さん、あたしが中に入っていきます。すぐに戻ってきます……」


 そんな美央をよそに、香奈が携帯していた拳銃を取り出す。

 小柄な彼女だが仮にも軍人――拳銃の扱いには慣れているはずである。それでも美央に不安を募らせる。


 彼女も何かあったら……もし死んでしまったら……。


「待って、私も行く!!」

「……!?」


 美央の言葉に、香奈がハッとするように振り返ってきた。 

 香奈の目に映る、美央の覚悟を決めた表情。飛鳥と如月が驚愕の目で見るも、それを崩す事はなかった。 


「いきなり何を……相手は……!」

「分かっているわよ。生身でイジンに立ち向かうのは危険……。それでも傍から指をくわえて見ている訳にいかない。

 それに一人多くいた方がいいと思うの」

「…………」


 自分に似合わない台詞セリフだと思っている。自分自身でも馬鹿とは思っている。

 だが香奈だけでは危険な可能性がある。だからこそ一人でも多く行けば、危険性が下がるに違いない――そう美央は頑なに信じていた。


 一刻も争う事態で、互いの沈黙が空気を凍り付かせる。そしてその沈黙を破ったのは、香奈だった。


「分かりました……。付いて来て下さい。後これを……」


 香奈から予備であろう拳銃を渡される。ずっしりと感じる重みが、本物である事を示している。

 それでも美央は驚いておらず、むしろ冷静だった。使い方は知っているし、反動もある事も知っている。

 美央は一通り拳銃を調べた後、飛鳥へと振り向いた。


「君はどうする、飛鳥?」

「ああ……俺は待機している。その代わりあいつが外に出た場合に……」

「アーマイラで潰す。私もそう言おうと思っていた」


 物分かりがよくて助かるとはこの事だ。恐らく生身で行くのは嫌だと思っているとは思うが。

 早速アーマイラに乗り込もうと格納庫に急ぐ飛鳥。対し美央と香奈――二人の女戦士が本社へと走っていった。


 二人を通していく自動ドア。彼女達の靴音が、誰もいなくなったエントランスホールに反響する。

 行き先はちゃんと定めてあった。最後の通信の時に聞こえた『物置き』――その場所を知っている美央を先頭に、まずエレベーターに足を運んだ。


 エレベーターが美央達を三階へと送らせる。そしてそのドアが開いた時、ある光景が美央達の目に飛び込んだ。


「イジンの血……」


 天井にある通気口。そこから滴り落ちている、緑の粘液。

 ――イジンの血液。それが何で滴り落ちているのは分からないが、いずれにしても見ていて不快感を増す。現に香奈が苦い顔をしていた。


「……行こう」

「……はい」

 

 香奈が頷き、美央と共に走り出す。

 物置きはこの廊下の右側。そこを曲がるとやはりイジンの血が廊下中に飛び散っており、陰惨な光景を作り出している。それで美央は思った。


 確か銃撃戦は物置で行っていたはず。何故この辺で血が飛び散っているのかと――。


「黒瀬二尉! しっかり!!」

「!」


 見つけた。物置の扉前。その中を到着すると、美央は固まってしまった。

 機材と段ボールが無造作に置かれた空間。その中にうずくまる三人の人間がいた。一人目はイジンの返り血を作業服に浴びた男性。二人目は足から血を流している男性の同僚。

 そして、三人目は肩から血を流した優里。


「!? 黒瀬二尉!! 大丈夫でしょうか!!」

 

 香奈が物置の中へと駆け込んでいき、優里へと歩み寄る。

 今、彼女は比較的無事である男性に介抱されている。自身の肩を必死に握り、額から汗を流している姿が、どれ程激痛なのか容易に知れる。


 だからこそ、美央は衝撃的だった。


「…………」


 友達がやられそうになった。イジンが……あの薄汚い化け物が、優里を殺そうとした。


 ふつふつと何かが湧いてくる。何なのか美央自身でも分からない。それでも、そのふつふつが止まらない。

 一刻も早くイジンを見つけ、八つ裂きにしたい。


 ――ガタッ。


「……ッ」


 背後から音が聞こえた。振り返ると、別の扉がある。

 美央はそこへと向かった。だが確かめようとか何があったのかという理性で動いた訳ではない。それは本能のように、物音に引き寄せられたような仕草である。


「……美央さん?」


 香奈が付いて行く。それでも美央は返事をしない。

 彼女が扉を開けると、優里達がいる所と同じ物置が広がっている。山積みにされた段ボール――それが部屋全体を覆って、独特な空間を作り出している。


 美央は辺りを見回していた。段ボールを一つ一つ調べ、異変がないか確認をしている。

 その際の瞳が、まるで飢えた獣のように……。


「キャアアアアアアアアアア!!」

「!?」


 横の段ボールの山が、突然崩れていった。そこから現れる歪な影。

 イジンとの戦闘で身に付けた反射神経の賜物――激突する前に倒れながら回避する美央。その影は彼女の上を飛び越え、別の段ボールの山に伸し掛かった。


 そして赤い光を向けるのだった。


「……ア゛アァ…………ア゛アァアア……」


 まるで醜いオタマジャクシのような化け物が、美央達を睨んでいる。

 頭部にある鋭い牙が生えた顎に赤い四つ目。白と黒が混じったような体色を持つ、滑りを伴った身体。その身体から脚と思われる四つの突起物が生えており、後部からは尾ひれか尻尾のような物もある。


 イジン。その個体が口や目から、毒々しい緑色の血液を垂れ流している。

 生まれたばかりで脆弱だからか。それとも生理現象からか。いずれにしてもおぞましいこの上ない。


「イジン……!! 気を付けて下さい!!」


 香奈が叫んだ後、美央へと向かおうとした。

 だが彼女が来る前に、美央が拳銃を掲げる。そして、


 発砲した。


「ギャアアアア!!」


 イジンがのたうち回っている。銃弾が片目に着弾し、それを潰したからだ。暴れるごとに血液が至る所にばらまかれる。

 あまり痛々しい光景の中、美央は何発も撃っていった。二発、三発、四発……その都度に暗い部屋に輝くマズルフラッシュが、美央の目に焼き付いていく。


「美央さん!?」


 香奈に声を掛けられるも、美央の耳には入っていなかった。

 ただ彼女は銃を撃ちまくる。その個体が死ぬまで……そしてそのイジンに苦しみを与える為に。


 それはまるで、虫を嬲り殺す善悪なき子供の如き。


「ガアアア!!」


 突如として、イジンが血まみれのまま向かってくる。

 さすがの美央も、これには避けずにはいられなかった。香奈も避けていくと、イジンがその間を潜り抜けていく。


 まるでそれは恐怖するように、悲鳴を上げて逃げてしまった。


「……っ!」


 真っ先に走っていく美央。その背後で怪訝な表情を見せる香奈が後を追うが、美央は決して彼女の速度に合わせようとしなかった。

 イジンが曲がり角に曲がっていく。美央達もまた曲がっていくも、何とイジンの姿がなかった。

 消えてしまったのか――いや、壁にある排気口から血が流れている。またもやそこに逃げ込んでしまったようだ。


「チッ……どこに……」


 思わず舌打ちをする美央だったが、その彼女の元に何かが聞こえてくる。

 天井を駆け上がる音――それも近い。しかも後ろからだった。


「! 香奈!!」


 振り返った先にいたのは、香奈とその上にある通気口の網。

 網が突如として落ち、現れるイジン。このままでは香奈が潰れてしまう――美央は一心不乱に走り出し、香奈を抱きながら滑っていく。

 彼女がいた場所に落下するイジン。その個体に、後からやって来た男性軍人の発砲がほとばしる。皮膚を突き破られ、悲鳴を上げるイジン。

 だがイジンはくたばらず、その異形の脚で美央達に向かう。奇声を上げて口を開ける化け物に、美央は近くに置かれた消火器を握った。


「うらああ!!」


 強打。イジンの首が捻っていく。

 すかさずもう一回。今度から口から肉片を吐き出していく。そして三発目を、美央は振りかぶる。


 誰にも分からないよう、残虐な笑みを浮かべたまま。


「はあ!!」


 三発目の強打が、その異形の身体を吹っ飛ばす。壁に叩き付けられ、苦痛の上げる声を上げるイジン。

 だがその時、その目が窓へと向く。何をしですかと思えば、何と突き破って外に出てしまった。

 まずい。あのイジンをそのまま放っておけば、強力な個体へと進化する可能性もある。美央はそれを逃がすつもりはなかった。


「飛鳥あぁ!!」


 窓へと顔を出し、高らかに叫ぶ。

 刹那、ビルの陰から現れる翡翠色の巨大昆虫――アーマイラ。その機体が海へと逃げようとするイジンを捉え、細い右腕を伸ばす。

 先端の鉤爪が、何の前触れもなく射出された。それは元からあった機能であり、鉤爪には太いワイヤーが繋がれている。 


 そのワイヤーに繋がれた電磁鋭爪が、真っ直ぐに逃走するイジンへと向かうのだった。

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