第6話 サクラ

 優しい風に包まれた春の昼下がり。

 満開の桜の木の下でハザマは自分が『夢の中』にいることを自覚した。

 サワサワと小枝が揺れるたび、木漏れ日が落とした地面の影がその形を変えてゆく。

 これが本当に夢なのだろうかと見紛うばかりの臨場感。

 ハザマはなにかに押されるように、足を一歩踏み出した。

「ここは……日本、なのか?」

 淡い光のなかに広がっているのは、どこかの河原のようだった。どこまでも続いていくかのような桜並木と綺麗な小川。堤の上には屋台がならび、大人も子供もお祭り騒ぎである。ハザマは周囲の喧騒にどこか原風景を覚えながら、ひとり川岸を歩いていた。

 しばらくすると目の前に朱塗りの小橋がかかっていた。

 川面に映る緩やかなアーチが印象的で、まるで川に隔てられた両岸を神秘的な力で繋いでいるかのようにハザマには思えた。足を止め、わずかな時間その光景に見とれていると橋の向こう側から誰かがやってくる。

 緋色い詰袖、羽織を背負って。あどけき面(おもて)を白く塗り。髷にかんざし、下駄に前帯。襦袢ののぞいた胸元に、ハザマは心を奪われた。

 遊女である。彼女は周りを小さな子供たちに囲まれながら歩いていた。

 子供たちの人種は様々だった。東洋人もいれば西洋人もいる。肌や瞳の色も皆違っていたが、遊女は彼らを分け隔てなく相手していた。

 橋を渡り切ると遊女は子供たちと別れた。「さようなら」を意味する各国の言葉が、あたりにこだまする。

 すると遊女はハザマの方へと近づいてきた。ゆっくりと、しなを作りながら。

 間近で見た彼女の髪は、桜がかった明るい色で。しっかりと塗られたおしろいであったが、右目に泣きボクロがあるのを見つけた。

「君は……」

 先に声をかけたのはハザマ。彼女はうれしそうに口の端を持ち上げて。

「サクラ太夫と、呼ばれてござんす」

「……サクラ」

「あい」

 サクラはハザマを値踏みするかのようにゆっくりと彼の周りを練り歩いた。それを追うようにしてハザマの首が振れる。クスクスと口元を押さえながら笑う彼女。ハザマはどうすればいいのか分からなかった。

「聞きたいことは山程ある。そんな顔してござんすね」

「や、そうなんだけど。なにから話せばいいやら」

「ようがす。そこにお茶屋がありんす。腰据えておしゃべりいたしやしょう」

 サクラはハザマの手をとって「ささ」と土手を上がっていく。

 堤上にはたくさんの出店があった。サクラはその中に団子屋を見つけ、おもむろに縁台へと腰を掛けると抹茶を頼んだ。

「君は一体……あれはアトランティスだったのか? いや、そうじゃなくて君はいま何歳なんだ。や、女性にそれ聞くのはマズいな。えーと……」

 ハザマのたどたどしさが面白かったらしく、サクラはずっと笑っていた。口元を見せないように袂で隠し、鈴の音が鳴るようにコロコロと。

「わっちにお気遣いは無用にござんすよ。わっちはただの『記憶』でありんす。データでござんすよ」

「データ? それにしてはその……自由すぎないか、色々と?」

「旦那の『脳みそ』をちょっとお借りしてるだけでありんす。いまは旦那のメインメモリを、わっちのデータベースにお招きしているだけでござんすよ」

「それはアレか。幽霊に取り憑かれてるみたいなもんか」

「本質的に間違っておりんすが、感覚的には近いでござんす。まず世の中には『魂』なんてものは存在しないでありんすから」

「へ……?」

「どうもその辺から教会さんに睨まれたようで、魔女狩りなんてもんが始まっちまったんですけどねぇ」

「なんか凄いこと聞かされてねぇか、俺」

「そんなことより」

 と、サクラが団子を一口かじる。

「もっと聞きたいことがあるんじゃござんせんか?」

 モゴモゴと口に物を入れながらしゃべる様はまるで童女のようだったが、半ば混乱気味だったハザマの意識を立て直すには十分なセリフであった。真っ先に思い浮かんだのは酔さんの赤ら顔。

「魔法使いって何だ?」

「またストレートなご質問でありんすね」

「ここ最近の俺的ホットワードだ。それのせいで友人がひとり死んだ。それから連邦政府が君を狙っている」

「ほほぅ」

「ほほぅ、じゃなくてよ。ロバート・ハルフォードって名前に覚えは無ぇか?」

「さぁ」

 とくに動揺するでもなくサクラは茶をすすった。胸元から懐紙を出して茶碗のふちをキュッと拭くと、彼女はハザマの目をじっと見つめた。

「まずは魔法のお話からでござんすかね。旦那の思う魔法とはなんざんしょ」

「あ? や、何かこう……不思議な超自然的で非科学的なエネルギーがどーんって」

「ま、おっしゃることは分かりんす。じゃあ魔力とは?」

「魔力? じゃあそのエネルギーそのものってことになるのかな?」

 うーむと唸るハザマの姿を見て、サクラはすこし顔をほころばせる。まるで出来の悪い生徒でも見るかのように。

「たとえを変えなんしょう。かけっこで一等を獲るにゃどうすれば?」

「そりゃあ毎日練習して、血の滲むような努力がいるんじゃないか」

「じゃあ世界一になるには?」

「……才能がいる、かな」

「そう。まずは才能がいる。まあこれはひとによって向き不向きがあるって程度にお考えくんなんし。そして知識と技術。つまり理(ことわり)を得ること。努力が才能を凌駕することもありんすが、それは根本的に質の違う話でありんす」

「すると魔力は才能だと?」

「言い換えればすべての才能が魔力でありんす。ゆえに他人をねたみ、憧れる」

「ああ……」

「魔法使いの才能、それは『知覚』でありんす」

「知覚?」

「この世界が『異なる法則性を持った複数の空間が重なりあって出来ている』と考えたことはおありでござんすか?」

「は?」

 我ながらマヌケな声が出たとハザマは思った。

 しかしサクラは真顔でこう告げる。

「通常人の知覚では、この世界は『たまたま三次元空間』になっていてそれを基準に物理法則なんかも導き出されてござんすが、わっちらは知覚に制限がない。だから『常識の外側』にある理を学ぶことが出来るってわけでありんす」

 常識の外側――ハザマはその言葉を口に出さずに何度か反芻した。

「才能と知識が生み出す技術。君らにとっちゃ魔法はデタラメな力じゃないってことか」

「あい。だから研究の果てに知っちまうんですよ、魔法使いは。この世の理ってヤツを」

「理……魂は本当に存在しないのか?」

 風が吹いた。

 桜の花びらが優雅に舞う。少女の瞳はゆっくりと閉じられ、そして浅く開いた。

「ひとは自分が理解できないものを排除しようとする。これは本能でありんすから、それは責められない。だからわっちらは島に引きこもったんでござんすがねぇ」

「アトランティスのことだな」

「まあそれも結局ちょっかい出されて終わりましたがね」

「ちょっかい? 事故だったんじゃないのか、あの大爆発」

「戦争に煮詰まった東西の首脳が結託して、とりあえず存在するだけでも脅威になる連中を消しとこうって話になったんでしょうねぇ。ろくに制御も出来やしない原爆まで作り上げて」

「お、おい待てよ! それって歴史が捏造されてるってことじゃないか!」

「まさに爆弾発言でありんす」

「洒落てる場合かよ! じゃあこの『呪い』ってのは……」

「島に張ってあった防御障壁のエネルギーと核反応が干渉しちまった結果でありんす。世界規模で毒をバラ撒いて、脳機能の一部を完全に『世界』から吹き飛ばしちまったんでござんすよ」

「ちょっと言ってる意味がまだうまく理解できないんだが、結局治療法はないのか?」

「いまんところはね。だから代用品にと思って『メメント・システム』をこさえたって寸法でござんすよ」

「誰が?」

「わっちが」

「は?」

 すでにマヌケな声を上げるだけの機械と化したハザマが少女を見つめる。

 サクラはいつの間にか重ねていた団子の皿を、四枚目にしようかというところだった。彼女は新しい団子を一本つまみ、河原で水遊びをしてはしゃぐ子供たちを見ていた。

「わっちは童(わらべ)が好きでねぇ」

 ため息をつくようにしてサクラが言った。

「あの島の人間は長生きだから、なかなか子(やや)をもうけようとしやせん。わっちは童に会う為に、昔からちょいちょい外の世界を旅しておりやした。ちょうどその頃でありんす。島に原爆が落とされたのは」

「だから君だけ生き残った……」

 サクラはすこし自嘲気味に笑うと言葉を続けた。

「原爆投下後に生まれてくる新生児には、等しく先天的な脳機能不全が現れた。これはわっちらにしても不測の事態でありんす。異変に気づいたのはその年の暮れ。なかなか言葉を覚えない童が増えたことがきっかけでありんした」

「それで『メメント・システム』が生まれたのか」

「あい。いまの時代ですらオーバースペックな代物でやんす。周りを納得させるのは至難の業でやんしたが、日本の天子さんにご助力賜りなんとか世界に普及いたしやした」

「そうだったのか。だがなぜ日本だったんだ。助力を得るならもっと大きな国だろう」

 するとサクラは困ったような表情をハザマに向けた。

「さすがにこの騒動の原因を作った国には話を持ちかけらんないでありんす」

「ああ……そりゃそうか」

「当時の日本はほぼ鎖国に近い状態で、数少ない連邦非加盟国で非戦国家でござんした。それにわっちは歴代の天子さんにも顔が利いたんでね」

「ほんとに何歳なんだよ」

「それは聞かない約束でありんす。ま、それで色々とあってその後世界を転々とまたたび暮らしをしたんでやんすが……」

「どうした?」

「それ以上の記憶がいまのわっちにはございやせん」

「また難しいことを言い出したな」

「別に難しいことじゃありやせんよ。いまのわっちは何らかの理由で分断された記憶の一部なんでやんす。だからデータにないことはトンと存じやせん」

「そうか。君はDDとして出回っていたデータだ。つまりどこかで本体から切り離された記憶ってわけだな。ということはいま流行ってるとかいうDDの正体は、細切れになった君の記憶かその劣化コピー」

「まあそんなとこでござんしょう。そんなことよりも」

「ん?」

「ちょいと旦那を試してようございますか?」

 そう言うとサクラは胸の前で両手を開くしぐさをした。すると空中に半透明な光の幕が突如として現れる。すこし青みがかったA4サイズほどのホログラムディスプレイだ。画面には無数の文字列が表示されており、同じようなものが合計三面。ふわふわとサクラの掌上に浮かんでいた。

「これは記憶のコード?」

「ご名答。さて問題でありんす。この三つのデータ、何に見えなんし?」

 サクラがいたずらっぽくそう問うと、ハザマは間髪入れずにこう答える。

「右からイヌ、サル、……なんだこりゃ孔雀か?」

「キジでやんす。日本の童話に出てくる有名な動物でありんすよ」

「ああ、なんだっけ? なんとか太郎」

「桃太郎でありんす」

「そう、それそれ」

 サクラが口元を袂で隠してクスクスと笑っている。

「仕方ねえだろ。俺は日系クオーターなんだから」

 言い訳がましくハザマが眉根を寄せると、サクラは指先で笑い涙をヒョイとすくい。

「違いますよ旦那。旦那はご自分の『魔力』にお気づきでやんすか?」

「魔力? さっきの才能って話か?」

「いまや世界中に『メメント・システム』は普及し、符号化した『ひとの記憶』を解析することは時間さえかければ誰にでも出来るようになりなんした。でも、それをたった一瞬目にしただけで可能にするのは……」

「どうかしたのか?」

 突然サクラは押し黙った。先ほどまでの陽気さはどこかへ消えてしまったように、顔に無表情を張り付かせて。

「ちょいとおしゃべりが長すぎたようでありんす」

 サクラは隣に座るハザマに向き直ると、そっと彼の肩に手を当てた。

「薬の効果もそろそろ切れる頃。いまから旦那を覚醒させるでありんす。くれぐれもお気をつけなんし――」

「お、おい! なに言ってんだよ! まだ聞きたいことが山ほど」

「おさらばえ」

 ポンとサクラが肩を押す。縁台に座ったままハザマの身体は後ろへと倒れこんだ。すると突然、周囲は闇に包まれて。

 白衣の男は奈落の底へと溶けていった。

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