第64話 魔女のおとぎ話
凛とした美しいその声色は、いつまでもハザマの耳の奥でこだまする。
視野を覆い尽くした薄紅色の旋風は、彼ひとりを取り残して消えていった。
そこは遺体安置室。
ハザマが再び目を開けた時、彼はその場を一歩も動いてはいなかった。
「にゃあ~」
ハザマの腕からするりと抜け出し、走り去る子猫。既視感を覚えたハザマがその黒い背中を目で追うと、そこにはひとりの少女の姿があった。
白いワンピースに三角帽子。
古めかしい箒に横座りになって宙に浮いていた。ウェーブがかったピンクゴールドの長い髪が、腰の下あたりで揺れている。
子猫が彼女の肩に飛び乗ると、箒は少し沈み込んだ。
「やるじゃない。自力でわたしの魔法を解除するなんて」
「それはさっき聞いたよ」
「え?」
「いや。こっちの話……」
ハザマは指を鳴らすと、どこから取り出したのか火の着いたタバコを取り出した。
清潔な死体安置室に紫煙が立ち込める。
天井付近にある火災報知機には、淡緑色をした魔法陣が取り付いていた。
彼は久しぶりの一服をくゆらすと、大きく肺を膨らませる。ニコチンが程よい酩酊感を誘ったが、ピートであった時のようにむせ返ることはない。
ハザマはくわえタバコの煙がしみないように三白眼を細めると、サクラの肩に乗る子猫を指差した。
「その猫。いい仕事してたぜ。そういうのを使い魔ってのか? お前さんの雑な計画を見事に補完してくれた」
「雑とはなによ!」
「フリッカの捜査資料やゲオルクの記憶の改ざん。まさかリアルタイムでコードを書き換えていくとはな。死んだはずの男が目の前にいれば、そりゃあ驚くぜ」
ハザマはゲオルクとの邂逅を思い出していた。
「ゲオルク・ハリスン。彼には逃げ場がなかった。わたしとアンタをロストして、監視役としての責めを『黙示録』に負わされた」
「『黙示録』……クソッタレな野郎共だ。いつか見つけてすべてを償わせてやる」
ハザマの瞳が怒りに燃える。
獅子のような蓬髪が、感情によって逆立つようだった。
しかし、
「お生憎さま。それならもう解決してるわ」
サクラはどこからか取り出した一冊の本を手にして、そう告げた。
そして彼女はその本をハザマへと放り投げる。
「っと。何だよ、この本?」
受け取った本は分厚く、まるで辞書か百科事典だ。
革の表紙に金属の留め具が付いた重厚な装丁だった。
ハザマはおもむろにページをめくると、そこには文章ではなく、無限に広がる暗黒空間の中でうごめいているコードが存在した。
まるで星々のように煌めく数列の嵐が、それこそ銀河系を形成するかの如く渦巻いているのだ。
それを目の当たりにしてなお、ハザマは我が目を疑った。
「『黙示録』よ。魔女に永遠の命を願った、愚か者達の末路」
「なんだと?」
「むかしむかし。ひとりの魔女がおりましたとさ――」
サクラは三角帽子で顔を隠して、ぽつりぽつりと語り始めた。
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