第63話 復活

 心臓の高鳴りと共に、彼の中ですべての歯車が噛み合う音がした。

 全身から吹き出す淡緑色の光がやがてコードと化して魔法陣を構成してゆく。

 幾重にも折り重なった魔法陣が、彼の肉体を壊し、解析し、組み直していった。あたかも死体安置室を局地的なハリケーンが襲っているかのようである。

 しばらくしてコードの暴風が過ぎ去った。

 そこに残されたのは、ひとりの白衣を着た男――クロウ・ハザマの姿だった。

 ステンレス製の保冷室に映した自らの体躯は、紛れもなく自分である。

 ハザマはまだ覚め切らない『夢』を見ているようで、我が身を訝しんだ。

 手は動く、脚もある。

 天然パーマの黒髪も、目つきの悪い三白眼もそのままだった。

 ようやく納得して視線を「彼」へと向ける。

 禿頭も、突き出た腹も、在りし日のままだった。

「酔さん。待たせたね……」

 ハザマは独り言ちると、彼の頬をなでた。

 するとどこから入り込んだのか。一匹の子猫が酔さんの胸の上へと飛び乗った。

「にゃあん」

 尻尾を真っ直ぐに立てて、ひどく甘えた声で鳴く。

 ハザマは子猫を抱き上げると、ゆっくりと瞳を閉じた。

「サクラ……どこにいる?」

 次に瞳を開けた瞬間。そこは桜の花びらの舞う美しい草原だった。

 子猫はハザマの腕からするりと抜け出すと、一目散にどこかへと走り去った。その背中を目で追うと、そこには豪奢な前帯を纏った綺羅びやかな遊女が立っている。

「サクラ太夫……」

 ため息をつくようにその名を呼ぶと、彼女はいつの間にかハザマの周りをくるりと歩いていた。どこかひとを値踏みするように、しかし優しく睨めつけて。

 肩にはあの子猫がお行儀よく乗っている。

 それもまた絵になる光景だ。

「お久しぶりでありんす……」

「ああ」

「まさかご自分で魔法をお解きになりなんすとは。大した御仁でありんすなぁ」

 袂で口を隠し、フフフと笑う。

 艶やかな薄紅色の髷がふわりと揺れた。

「君が出てきたということは……ここは『夢』の中か?」

 別段、驚くでもなくハザマが問うと、彼女は小さく「へぇ」と答えた。

「わっちの『分身』が来る前に、ちょいと誤解をといておきたくて……」

「誤解? ああ……リミッターの話かい?」

「さいでありんす。もうお気づきでありんしたか」

 肩に乗った子猫の喉を、白魚のような指がもてあそぶ。

 長いまつげの下では、憂いを帯びた大きな瞳がそっと伏せられていた。

「君があんなことをするとは思えない。『メメント・システム』のリミッターは、例の『黙示録』とかいうイカれた連中が勝手に組み込んだものなんだろう? 奴らは人間の能力に上限を設けて、魔法使いが誕生しないように抑制を図ったんだ」

「……どうやらそのようでありんすね。『メメント・システム』が世界的に普及したあと、ちょっとの戯れは大目に見てきんしたが……まさかここまでとは」

「君は『夢』の中でしか動けないし……現実のサクラは長い休眠状態に入っていたからね。それに……」

 ハザマはサクラの手をとって、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。

 いつもの三白眼もその時ばかりは穏やかだった。

「俺のリミッターを解除してくれたのは君じゃないか。『知覚を広げろ』と。おかげで何とか生き返ることが出来た。まあもう一度やれと言われても、今は無理だがね」

 言ってハザマは苦笑した。

「それが旦那の才能でありんす」

 サクラはハザマの手に、自らの手を重ねた。

 胸元で繋がったふたりの体温は、春の日差しのように暖かだった。

「サヴァン症候群。しばしばその異常性だけが指摘され、かつては『魔女狩り』の対象とされてきんした。でも……間に合ってよかった」

 その時、桜吹雪が舞い込んだ。

 ハザマの鼓膜を一陣の風が撫でていった。サクラが何かを言っている。その愛らしい唇が、健やかな色香を乗せて微笑んだ。

「さぁ……わっちの出番はここまででありんす」

「サクラ?」

 繋がれたふたりの手は彼女の目線の高さへと掲げられる。

 猛烈な桜吹雪に視界を奪われたハザマには、彼女の笑顔と、自分達の手だけが見えている。まるでそれが世界のすべてであるかのように――。

「それでは旦那……おさらばえ」

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