第43話 サヴァン症候群

「もともとクロウがDDにハマっていったのは、軍医としてのストレスを緩和されるためよ。毎日のように同じ民族同士が殺し合う戦場で、彼は兵士達の記憶洗浄を行った。クロウは天才過ぎたのよ。膨大なコードを一目するだけで、記された内容すべてを解読してゆく。加えて数列に関しての記憶力も異常で、一度見たコードは忘れないと言ってたわ……」

「サヴァン症候群……」

「彼は薬を使おうと、酒を飲もうと、毎晩のように『悪夢』に襲われた。そして昼間は残酷な記憶を見せられる。だからクロウはより強力な誘導剤を使って、強制的に見たい記憶データだけを夢見るようになった。それがDDと呼ばれるようになったのはここ最近の話よ」

「……じゃあ診療所にあった、あの薬って」

 フリッカは背負っていたリュックを胸の前に持ってきていた。ピートに抱きかかえられた彼女は、リュックに中にあるドクロマークのアンプルに思いを馳せる。

「へっ。泣かせるじゃねえか。それで同情でも買おうってのかい?」

「随分と噛みつくじゃない。ノンケのヒステリーは見苦しいわね」

「ふざけるな! こっちは人ひとり殺されてんだ。さっさと野郎に会わせろ!」

「お気の毒さま。でもね。それは自業自得というものよ」

「何だとぉ?」

「クロウに殺られたアンタのお仲間。その前日にウチらのダチを殺してんのよ」

「な――」

「あら、知らなかったぁ? 聖人君子みたいな説教しといて笑わせるわね」

 ピートはその場に立ち尽くした。

「ピートさん……」

 フリッカが心配そうに声をかけるが返事はない。

 いま彼の耳の奥に響くのは、ついさっき襲いかかってきた初老の男の言葉だった。

「それで仇か。俺をジョンと間違えてやがるんだ。奴とは背格好が似てたから……」

「ま、それもこの九龍じゃ日常茶飯事。いちいち目くじら立ててらんないけどね」

 オジーはピートがまた歩き出すのを待って、ランタンを闇の向こうへと掲げた。

「そろそろ着くわ。しっかりついて来て」

「どこに……向かってるんですか?」

 そうフリッカが問うと、オジーは「それは着いてのお楽しみ」と微笑した。

「ここよ」

 しばらくしてオジーは立ち止まり、そう告げた。

 ランタンの火が照らし出すのは、巨大な鋼鉄の壁だった。

「何も無ぇじゃねえか」

 久しぶりに口を開いたピートが悪態をつくと、オジーは無言でランタンを掲げる位置を下げた。彼の腹のあたりは通常人の胸元くらいに相当する。

 そこには頑丈そうな金属製のボックスが設置されており、中にはテンキーと十五センチ角ほどのパネルがあった。オジーは手早く何桁かの数字を打ち込むと、パネルに右手の指先を五本とも押し付けた。

 すると小さなディスプレイには『UNLOCK』の文字が浮かぶ。

 次の瞬間、その場にいた三人を激しい揺れが襲う。

「きゃあああっ」

 ピートの首にしがみつくフリッカの腕にも、さらなる力が込められた。

 オジーは微動だにせず不敵な笑みをこぼしており、ピートは、ただ呆然と状況をやり過ごすことに務めていた。

 しばらくして揺れが収まると、今度は眼前にある鋼鉄の壁が動いた。

 彼らが立っている場所を境にして、両側へとスライドしていく。

 重々しく軋りを上げて動く鉄の扉。

 そこに現れ出たのは広大な闇の都市だった。

「九龍城の地下にこんな場所が……」

 ピートは抱きかかえていたフリッカを地面に下ろすと、やっとのことで言葉を絞り出した。扉の向こう側に広がるのは、常闇に浮かび上がる無数の照明の光。まるで地面に星空を描いたような光景だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る