第37話 ゲオルクの憂鬱

「はは……自分はそこまでロマンチストになれないが、あるいは――」

 自嘲気味にゲオルクが笑うと、ピートはわざとらしく片眉を釣り上げ言った。

「上等ですよ。もしそれが真実だとしても、片っ端から潰してやりましょうよ」

「ピート……」

「『黙示録』だか何だか知らねえが、そんな厨ニくせぇ奴らは俺が倒します。もちろんハザマの野郎もね」

「……そうだな。行動がすべてだ。不平不満をもらしていても何も始まらん。まさか君から教えられるとはな」

「どういう意味です、どういうっ」

「そのままの意味じゃないです?」

 フリッカが舌を出した。

 してやったりといった表情である。

「こいつ――」

 ピートは目の前の丸い頬を殴りたい衝動にかられたが、さすがに自重した。

 再び歩き出した一行は、やがてさびれたアーケード街にたどり着く。

 背の低い雑居ビルが軒を連ね、非常識な増改築が繰り返されたあとが如実に表れている。建物というよりも、まるで戦艦の檣楼や艦橋のようだった。

 その中に一件、入り口を『KEEP OUT』とプリントされた黄色いテープで封鎖されている廃ビルがあった。

「着いたようだな」

 ゲオルクが重苦しい口調で呟いた。

 無理もない。彼にとっては部下の殺害現場である。普通であれば正気を保っているのも苦痛だろう。しかしプロとしての矜持が彼にそれをさせなかった。

 あたりはそろそろ夕暮れの雰囲気を醸していた。

 高層建築物の乱立する九龍城の空は圧倒的に狭い。ビルの屋上に切り取られたカミソリの刃のような細い蒼穹にはすでに太陽の姿はなく、気の早い住まいではもう照明が点灯し始めている。

 まばらに明るい集合住宅の窓ガラス達が、どこか懐かしいアナログゲームのドット絵を連想させた。

 ピート達は無言で『KEEP OUT』のテープをくぐる。

 そこには外の光も入らない、薄暗く長い通路が続いている。

 ゲオルクが手持ちのマグライトを点灯させると、物陰でたむろしていた野良猫達が蜘蛛の子散らすように逃げていった。

 ひび割れたコンクリートの壁からは水が滲み出ており、床周辺に溜まって淀んでいた。空間全体を満たすすえた臭いに、フリッカが不快感をあらわにしている。自分の体臭にすら鈍感な彼女がこの顔である。相当なものだ。

 天井からは切れかけた蛍光灯がぶら下がっている。二階へ上がる階段もあるが、今にも崩れてきそうだった。

 ひとが住んでいる気配はない。先程の会話からも明らかだが、彼らも最初からここにハザマがいるとは考えていなかった。

「消毒液の匂い?」

 フリッカが気づいた。

 廃屋を奥へと進むと、徐々に悪臭から解放されゆく。代わりに漂い始めるのは、淡いエタノールの匂い。

 ピートにはその匂いに覚えがあった。正確には実体験ではないのだが。

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