第38話 ハザマ診療所

 三人はとある一室の前に立った。

 ドアは開け放たれており、やはり『KEEP OUT』の文字が躍る。

 ピートは少し腹立たしげにテープを破ると、壁際にある電灯のスイッチを入れた。

 天井にある傘付き電球が点灯し、パッと部屋が明るくなる。

 そこはクロウ・ハザマの診療所である。『夢』の中で何度も見た光景だ。

 雑然とした室内には、倒されたベッドと破壊された壁がある。鉄筋さえ打ってない安普請なコンクリートは大量の湿気を吸って脆くなっている。少し触れただけでボロボロと崩れ、音もなく穴を広げていく。その先は漆黒の闇が続いていた。

 壁には時計と鏡、そして写真や領収書が雑多に貼られたコルクボードがある。

 スチール製の棚と机。机上には『メメント・システム』の診断器具やら、メモリーチップやらが未整理のまま置かれ、山盛りになった灰皿もそのままになっていた。

 そして――。

「ジョン……」

 戸口に佇むゲオルクの悲痛な声がピートの耳を打つ。

 床には人型のロープが這わされ、そこに死体があったことを示していた。

 室内はあまりにも狭い。大人が三名も入るには些か窮屈だ。

 ゲオルクは通路側のドアの前に立ち、周囲に目を配らせている。ピートとフリッカはなるべく現場を荒らさないようにして、室内に足を踏み入れた。

「ほわぁ~」

 室内を見るなりフリッカが口をあんぐりとさせた。一方、ピートは初めて来たというのに、まるで古巣に戻ってきたかのような懐かしさを覚えていた。

 フリッカがおもむろに机の引き出しを開けると丸めた白衣が出てきたが、ピートはそれすら知っていた。

 どこに何があるかは大体分かっている。『夢』の中とすべてが同じだ。

 ただひとつ違っていたのは、自分はハザマとしてここに立ち、自分は血の海となった床に転がっていたことであった。

 フリッカが忙しく棚や机の上を物色している間、ピートはタバコの吸い殻でいっぱいになった灰皿を眺めていた。そしてなにやら胸がモゾモゾする感覚を味わうと、

「すんません、ゲオルク。一本もらえますか?」

 背後に立つかつての上官に、タバコを催促した。

「ん? 別にいいが君、スモーカーだったか?」

 ゲオルクはジャケットの内ポケットからタバコの箱を取り出すと、その内の一本をピートに差し出した。

「いえ……なんとなく……」

 キンっといい音がしてゲオルクのオイルライターのフタが開く。

 ピートはライターの炎が生み出す熱と共に、焼けた葉のフレーバーを吸い込んだ。

 肺の深いところまで紫煙が流れ込み、ニコチンが脳内をノックする。

 その瞬間、程よい酩酊感がピートを襲い、ついつい煙を吐き出すタイミングを逸してしまった。

「ゴホッ、ゴホォッ!」

 むせ返るピート。その背中を呆れ顔のゲオルクがさする。

「大丈夫か? 何をやってるんだ、まったく」

「ガハッ。すんません。やっぱ慣れないことするもんじゃないっすね……」

 ピートはまだ残っているタバコを、壁に押し付け火を消した。

 少し涙目になった顔を拭い、フリッカのほうへと視線を向ける。彼女は棚にしまってあったファイル類のすべてをあっという間に目を通し、一緒に並んでいる薬品を興味深げに吟味していた。

 片手に注射器、片手にアンプル。ラベルには劇薬を示すドクロのマークが。

「ヤバめのお薬ですよね……」

「DDの様式が確立される前に使われてた劇薬だ。今時の薬よりも深いトリップを味わえるが、用量を間違えたら泡吹いて死ぬぞ」

「わわわわ……」

「野郎もDDの常習犯なんだよ。もともと人間のクズだ」

「ピートさん、ひとのこと言えないじゃないですか」

「アレは捜査の一環だと言っただろうがっ」

「なんだピート。君も常習なのか?」

 とゲオルクが蔑むような目で彼を見た。

「や、やめてくださいよ。これには深い事情が……」

「まあとりあえず、ハザマの行動原理を裏付ける証拠品として押収しておきます」

 フリッカは手にした注射器とアンプルをリュックの中に入れた。

「で、何か分かったかね。お嬢さん」

 ゲオルクはドア越しに尋ねた。

 するとフリッカは眼鏡をクイッと持ち上げて「そうですね」と小さく告げる。

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