第39話 容疑者の背中

「性格的にはかなり粗暴なんですが、他人の世話を焼くのが好きみたいで、その辺に関して言えば結構マメな感じのひとですね。基本的に優しいひとです」

「優しいだぁ? あの人殺しがか」

「ええ。だって見てくださいこのカルテ。今時手書きですよ? それも一枚や二枚じゃない。多分、この界隈の住人さんすべての分あります。もしかすると浮浪者や、ヤクザ屋さんのもあるかもしれない」

「それがどうした。奴にしてみりゃ仕事だろうが」

「でもどうやらお金もらってないみたいなんですよ」

「あ?」

 フリッカは壁にかかるコルクボードを指差して言った。

「領収書はこんなにあるのに、請求書の控えとか一枚も無いんです。そもそも金銭のやり取りをした痕跡がないんですよねぇ」

「モグリの医者がそんなもん残すかよ。それに記憶データの横流しのほうで稼いでるんなら、診療代なんてクソみてぇなもんじゃねえか」

「まあ……そうなんですけど。あとコレ。カルテにひとりひとりの特徴とか、その日会ったときの様子とか記入されてるんです。このおばあさんなんか、リウマチの症状が軽くなったみたいで良かったって書いてある」

「しかし、どうしてそんな男が犯罪などに手を……人間分からんものだな」

「彼は戦場で軍医の経験があると聞いています。もしかすると彼もまた、多くの患者と同じくPTSD(心的外傷後ストレス障害)だったのかも知れません」

 フリッカの視線はコルクボードに貼られたスナップ写真へと注がれた。

 そこにはかなり背の高い友人と、ツーショットで写る坊主頭のハザマがいた。

「心の傷を癒やすためにDDに溺れ、次第にDDを買うために記憶データを横流しするようになったんだと思います。何というか。彼も戦争の犠牲者なんですね」

「ふむ……」

「だからって同情の余地はないだろう? それを許したらこの世は犯罪者で溢れかえるぜ」

「確かにな。それにジョンへの仕打ちはとても看過できるものではない」

 三人は床に描かれた人型のロープを見つめた。

「室長の件の落とし前もな」

 ピートはひとり気を吐いた。

「あとは『サクラ』さんも救出してあげないと。ひとりでは何も出来ない状態だとすると、想像するだに怖いことになります」

「逃走中の人質にでもするつもりだったか? 何にせよ考えの浅い男だ」

「あれ?」

 フリッカは顎に人差し指を当て、小首を傾げた。

「どうした」

 ピートの問いにフリッカは物憂げにこう聞き返した。

「一命を取り留めたとはいえ、ハザマは重症だったんですよね?」

「そうだ。三発の弾丸を全身に受け、かなりの血液を失っていたはずだ」

 これにはゲオルクが即座に答えた。

「そんな状態でハザマは、常に車いすが必要な『サクラ』を連れて逃げた。しかも肝心の車いすはホテルに残されたまま。しかも誰にも見つからずにって……」

 黒縁眼鏡のレンズが白熱球の光を反射し、怪しく輝く。

「そんなことが本当に可能なの?」

「おい。いまさら何言ってんだ。それを今調べてんじゃねえか」

「そうじゃないんです。わたし何かを見落としているのかも。もしかして『サクラ』さんはもう復活しているのかしら……」

「まだそんなこと言ってんのか。魔法使いなんざもうこの世にいねえんだよ」

「『魔法使いの夢』はどう説明するんですか。あれは彼女の記憶そのものですよ」

「ばぁか。あれは全部ニセモノだ。『コード・スキャナー』を装着した役者が、映画を撮るみたいにして芝居をするんだ。リアルタイム・スキャンなら、特定の記憶を抽出することは可能なんだよ」

「そ、そうなんですか? でもハルフォード氏のこだわりようは……」

「それだけタチの悪いシロモノなんだよ、あのDDは。そんだけのことだ」

「でもぉ」

 フリッカは明らかに納得していなかった。

 だがピートは腕時計に視線を落とすと、彼女の言葉を遮るようにして告げる。

「それより見るもん見たんなら、さっさと次に行くぞ。これからハザマが立ち寄りそうなところをシラミ潰しに調べにゃならんのだからな」

「立ち寄りそうなところ?」

「酒場に飯屋、それから風俗。まずは光明街の『ブラック・サバス』って店からだ。室長の話じゃ、記憶データの取引現場だったんだと」

 そう言うとピートはフリッカの返事も待たずに診療所をあとにした。

 不機嫌そうな足音が通路に反響している。

「どうかな、お嬢さん。行けそうかい?」

 ゲオルクが優しく声をかける。

 フリッカはさらに重さを増したリュックを背負い直すと、明るく返事をした。

「はい。データは十分採れましたので、あとは手持ちの資料と照らし合わせて本格的なプロファイリングを」

「おい、ポンコツ! 早くしろよ! マグライトは軍曹殿しか持ってねえんだ!」

「わ、わかりましたよぉ!」

 フリッカは部屋を出る前に、床に向かって十字を切った。

 それはジョン・ドゥへのささやかな追悼。側にいたゲオルクも彼女にならった。

 赤毛の乙女が壁のスイッチを切ると、部屋の明かりがやんわりと消えた。

 やがてあたりは闇に閉ざされる。

 彼らはハザマの診療所をあとにした。ゲオルクが持つマグライトの光を頼りに、すえた臭いのする通路を舞い戻っていった。


                   今世紀最初の魔法使い/前編・了

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