今世紀最初の魔法使い/後編

第40話 いわれなき敵意

[ 4 ]


 暗闇の通路はどこまでも続いていた。

 見えない、ということは人間の根源的な恐怖をいたく刺激するらしい。

 一足毎に反響する自らの足音にさえ、過剰な反応をしてしまう。

 圧倒的に狭い視野。ピート・サトクリフには、自身の腕にしがみついている赤毛の頭頂部を確認するのがやっとだった。

 彼らはただひたすらに、数歩先を行くランタンの光を追う。

「転ばないように注意なさい。特にそっちのお嬢ちゃん。アンタ鈍臭そうだから」

「よ、余計なお世話で、わぁ!」

「ほら、言わんこっちゃない」

 野太いがよく通るバリトンだった。

 おっかなびっくりのフリッカをからかってはクスクスと笑う。

 その男は、そう男である。彼は突然、ピートとフリッカの前に現れた。

 鼻筋の通った彫りの濃い顔立ちに、青い瞳がよく映えた。右耳には三連のピアスを開け、逆立てた紫色の短髪を含めれば二メートルはゆうに超える長身の持ち主だ。

 左腕には荒々しい龍の刺青を棲まわせている。

 彼はふたりの前に現れるなり「自分について来い」と言った。

 普段のピートであればこんな怪しい誘いに乗る訳がない。が、しかしその時は状況が些かまずかった。ハザマの診療所を出た直後、ピートら三人は廃ビルの外で待ち伏せを受けたのだった――。

 しかも相手はプロの殺し屋でもなければ、秘密結社の刺客でもない。

 近所のおっさんや、おばちゃん達だった。

 彼らは銘々その手の武器となる天秤棒や、すりこぎなどを持っており、物凄い形相でピートらを威圧してきた。

「何の御用かな。とても歓迎されているようには思えんが」

 まずは年長者であるゲオルクが穏やかな物腰で、群衆の前へと出た。するとゲオルクが前に出た分だけ彼らは後退し、その部分だけへこんだように見える。

 群衆のひとりが言った。

「お、お前ら警察だろう!」

 さらに別のひとりが叫んだ。

「先生を返せ!」

 すると群衆から「そうだ! そうだ!」という大合唱が始まった。拳を突き上げ、あらん限りの声で。しかしそこで引き下がるゲオルクでもない。彼はさらに歩みを進めて、群衆の中に割って入った。さながらモーセの十戒である。

 その豪胆さに、さしものピートも感嘆を漏らす。

「何やら誤解をなさっているようだ。我々は警察ではない。君らの言う先生というのはおそらくクロウ・ハザマ氏のことだね。我々もまた彼を探している身だ。返せと言われてもお門違いな話だよ」

「じゃあ何者だ、テメエら。この九龍でよそ者がデカい顔してんじゃねえぞ!」

「ほほう。自警団でも気取っているのか? いいだろう。かかってきたまえ」

 ゲオルクはついに群衆の中央へと入り込み、そのまま戦闘態勢をとった。人垣は二重にも三重にもある。中には腕っ節の強そうなのも何人かいるようだ。

「ゲオルク! 何しようってんですか! そんなことやってる場合じゃ」

「まあいいじゃないかピート。彼らにも言い分はある。ここはひとつ拳で語り合おうじゃないか。手を合わせねば、理解出来ないこともある」

「そんな無茶な……」

 珍しくピートが止める側だった。それを横目に不安げなフリッカが口を開いた。

「ど、どうしたんでしょうゲオルクさん。あんなキャラでしたっけ?」

「SAS(英国陸軍特殊空挺部隊)では暴徒鎮圧が主な任務だったらしいからなぁ。久しぶりにちょっと血が騒いじゃったのかも……」

「そんな理由で喧嘩始めることないじゃないですか! ちょっとピートさん、笑ってないで止めてくださいよ!」

「無理だろう。もう始めちゃってるもん」

「え? きゃあああっ」

 フリッカが振り向くと、すでに戦闘は始まっていた。

 三百六十度、全方向から一気に襲い掛かってくる暴徒をゲオルクは物ともしなかった。渾身の一撃をかわされた素人達は、次の行動に移るまでに時間がかかる。そのタイムラグを利用して、ゲオルクは次々と群衆の数を減らしていった。ある者には打撃を、ある者には投げを、そして捨て身で飛びかかって来る者には容赦なく関節を極めていった。

「すげえだろ? あれが元SAS軍曹の実力だよ」

 フリッカは目が点になっている。

 ピートもまた、自身の師が活き活きと立ち回っていることに喜びを感じていた。

 廃ビルを背にして、ちょっと俯瞰した場所から遠巻きに眺めている。

 そこにひとりの初老の男が現れた。アルコールで焼けた肌に太鼓腹。どうやらその辺にたむろしていた浮浪者のようだった。

 彼はピートを指差すと、怒りに燃えた眼差しを向けてこう叫んだ。

「酔さんのカタキだ!」

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