第41話 鬼火の手招き

 その声に反応した数名が、ゲオルクを取り巻いていた群衆を離れてピートへと近づいてくる。フリッカは訳が分からず、とにかくピートの後ろに隠れた。

「すい……なんだって?」

「うるせえ! これでも喰らえ!」

 言って初老は手にした角材を振り降ろした。ピートは自らの腕を、初老が振り下ろす腕の内側へと滑りこませた。そのまま角材の軌道を逸らしつつ、相手の脚を払って転倒させる。そこに一切の力みはなく、初老は自らの力を利用され倒された。

 よほど綺麗に技が入ったのだろう。彼は昏倒し、しばらく起き上がれなかった。

「おまえ! よくも!」

 残りの暴徒達が走り出した。凄い剣幕で迫ってくる。

 ピートはフリッカの腕を掴んでその場から一目散に逃げ出した。

「ゲオルク! 一旦引きましょう! このままじゃ埒が明かない」

「了解だ。あとで合流しよう。健闘を祈る」

 ゲオルクはその場に留まり、まだ群衆との戦闘を繰り広げている。

 一方、フリッカの手を取り走り出したピートは、入り組んだ狭い路地へと身を投じた。フリッカは時折つまずきながらも必死で彼についてゆく。だが追手の勢いが弱まることはない。どんどん差を縮められていった。

「ぴ、ピートさんっ。置いてってくださいっ。もうっわたしっダメかもっ」

「アホか。もうちょい頑張れ。ったく何だってんだ? 誰の仇だって? まったく身に覚えがねえ……」

「げお、ゲオルクさんもあんな調子だしっ。知らない間にっ殺っちゃってんじゃっ、ないんで、す、かっ!」

「物騒なこと言うんじゃねえよ! ちょっと自信が無ぇじゃねえか……」

「ほ、ほらぁ~」

「冗談だ、冗談。本気にすんな!」

 ピートが走りながら後ろを振り向いた。追手は依然、複数人いるようだ。倒すことは出来るだろうが、フリッカを守り切れるかまでは分からない。

 それにハザマがどこかに潜伏しているとしたら、この騒動を聞きつけて九龍城から脱出を図るかも知れない。時間を無駄にしたくはなかった。

「チッ! 挟み撃ちか!」

 幾度目かの角を曲がった時、彼らの前方に立ち塞がるひとりの人物がいた。

 身の丈二メートルの体躯にスリット入りのチャイナドレスを纏ったその人物は、彼らを待ち受けると低くよく通る声でこう告げた。

「来な。こっちだよ」

「なに?」

「クロウ・ハザマを追ってんだろ? こんなところで捕まって、袋叩きにされる趣味でもあんのかい?」

「おまえ――」

「早くしな。あたしの気が変わる前に」

「ピートさん……」

 フリッカが懇願にも似た弱々しい瞳をピートに向けてくる。

 もう彼女は限界だった。それはピートも分かっている。

 だがしかし、こんな分かりやすい罠に乗ったものだろうか。行く先に何が待っているのかも分からないというのに。

 巨躯の人物はニヤついている。ピートの器量を見定めているのだ。

「くっ――」

 苦々しい思いでいっぱいだった。そして背後には喧騒が迫る。

 腕にはフリッカの熱を感じ、目の前には得体の知れない何者かが。

「連れてけ。どこへなりとも」

「カワイイ顔して言うじゃない」

「そのかわり、この女には手ぇ出すんじゃねえぞ!」

「興味ないわよ。見りゃ分かんでしょ」

「言ってみただけだよ」

「どっちかってとアンタのほうに興味があるわぁ」

「ごめんなさい」

 ピートは深々とこうべを垂れて、曲がれ右をしようとする。

「冗談よ。ついてきな――」

 ピートとフリッカはその人物の言われるままに、近くにあった廃ビルの中へと身を投じた。真っ暗だった。すえた臭いと、ネズミの気配。見えないことが幸いしているが、足元にはきっと色々なものが転がっているはずだった。

 ふと、ふたりの前方に淡いオレンジの光が宿った。

 ランタンの火だ。

 かの人物が手にするそれは、まるで鬼火ウィルオウィスプのように見えた。深い迷宮と化した廃屋の集合体が延々と続いている。

 ピートらはいま、まさに九龍の腹の中にいるのだった。

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