第36話 干渉された世界

 宙を舞う爆竹を追って空を見れば、道路を挟んだ建物の間に無数のロープが這わされているのが目に入った。そこには風にそよぐ洗濯物がひらひらと舞い、幾重にもわたって干されている真っ白なシーツなどは、まるで王宮の一室を思わせた。

「クリスマスかぁ。ねえねえピートさん。サンタクロースの正体って魔法使いだと思いませんか?」

 屈託のない笑顔で見つめてくる黒縁眼鏡に、ピートも思わず笑みがこぼれる。

「ほんと、お前さんの頭の中は平和だねぇ」

「どういう意味ですかっ」

「そのまんまの意味だよ」

「もぉ~」

 ふたりのじゃれ合いはまた轟音によって消されていった。

 天高く投じられた爆竹。そのはるか上空をゆく一台の旅客機が、九龍城の真上を通過していく。震える民家の窓ガラスと、ガスタービンエンジンの騒音が轟いた。

 香港国際空港がランタオ島に新設されてなお、九龍城周辺にある啓徳空港からは中国への内陸便が離発着していた。

 いわゆる「香港アプローチ」と称される九龍城の建物ギリギリと飛んでいくテクニックは、いまなお世界中のパイロット達の鬼門とされている。

「魔法使いか……」

 飛行機を見上げたゲオルクが不意にそう口にした。

「ゲオルク?」

 ピートが怪訝そうに彼の名を呼ぶと、ゲオルクはその場にしばし留まりタバコに火を点けた。

「むかし自分らが子供の頃。少年雑誌のグラビアなんかで、未来予想図みたいものが描かれていた。車は宙を浮いてビルの谷間を繋ぐ透明なトンネルの中を走り、ジェット推進の超音速旅客機が世界中を飛び交う、そんな未来を」

 紫煙をくゆらせ一呼吸置くと、ゲオルクはもう一度語り始める。

「確か『アポロ計画』と言ったか。人類は本気で月に行こうとしていた時期もあったそうだ。信じられるか? あの月にだぞ?」

「結局計画は中止されたんでしたっけ」

 フリッカが合いの手を入れる。

「そうだ。魔法使いがこの世界からいなくなったあと、我々は一体どれだけ進化したと言うのだろうな。ITの分野はこの十年で飛躍的に進歩したが、いまだ石油燃料にエネルギーの多くを依存している。先進諸国では電気自動車への移行を推奨しているが、結局発電には石油を使う。このまま我々は石油の枯渇を待つだけなのかね」

「どうしたんですか、急に」

 ピートだ。

 彼はこんな饒舌なゲオルクを今まで見たことがなかった。

「いや。きのうのお嬢さんの『仮説』に触発されたのかな。もしこの世界を陰から牛耳っている連中がいるとして……このあまりにもチグハグな進化を遂げた世の中をどう思っているのかなとね。もしかすると我々は、本当に誰かに制御されているのかもしれん。そう考えると、どうにもやり切れない気持ちになってな」

「やめてくださいよ、あなたまでこのポンコツみたいなことを」

「ポンコツ言うなっ」

 ゲオルクは指に挟んだタバコを軽く弾いて灰を飛ばすと、もう片方の手で顔を拭った。冬場とはいえ香港の十二月はそこまで冷えることはない。夜ならいざ知らず、日中に歩き回ればそれなりに汗もかく。

 タバコを吸うゲオルクの横顔を、ピートは不思議な感情で眺めていた。

 それが口寂しさだと気づいたのはもう少しあとのことである。

「SASを除隊した自分は、戦争をビジネスとした。世界中の紛争地帯に兵を送り、争いの終結に尽力している。だが戦争は一向になくならない。なぜだ? そう思った時、もしかすると巨大な何かがこの世界には干渉しているんじゃないのか……とな」

「『黙示録』……ですね」

 フリッカは言った。

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