第55話 月影にダンスを
箒に乗った魔法使いには三日月がよく似合う。
この日もそんな夜だった。
あたかも漆黒の天蓋に、にやりと口を開けた死神の笑顔のように。
もしくは獲物の首を狙う、暗殺者の凶刃のように――。
近づく聖夜に色めき立つ都心とは裏腹、何もない香港郊外のベッドタウンにその安アパートはあった。
鉄筋三階建ての5LDK。一階部分はガレージになっているが、今はその中にあるべき車両はない。
二階へと続く階段を駆け上がり玄関を開けると、そこは三階に向かって吹き抜けたエントランスとなっている。
そのままリビングへと歩を進める。
するとソファにはひとりの乙女が小さく寝息を立てていた。
少女と呼ぶにはすでに幼さは手放している。かと言って成熟した妖艶さを身に着けているとは言い難い。水気のないパサついた赤毛を無造作に後ろで束ね、無駄に大きいと揶揄される豊満な胸には黒い子猫を抱いていた。
そして、ここにはもうひとり。
暗闇に這いずる毒蛇の如く、音もなくソファへと近づく白衣の姿が。
バラクラヴァ(目出し帽)を被り、その上から暗視ゴーグルを装着している。一目見て分かる屈強なシルエット。盛り上がった全身の筋肉は、内側から白衣を引き裂く勢いである。
だが丸太のような太い腕から生える無骨な手が握るのは、あまりにも似つかわしくない小口径の拳銃だった。
銃本体から比すればかなり長めの銃身である。その銃口が捉えるのは、ソファで静かに横たわる真っ赤な眠り姫だ。
銃口にブレはない。ピタリと喉元につけられた照準は、トリガーが引かれることを今か今かと待っている。
酷薄な銃爪に、指が、掛けられた――。
「にゃあ」
どんなに鍛えても人間の隠形など野生の前には無力らしい。
子猫は目を覚ますとソファを飛び降り、白衣の射手へと近づいた。銃口は一旦引かれて、動きを止める。
指先に緊張が走っている。
しかし子猫は、その足元へとやって来て黒い毛並みをブーツへすり寄せるのみ。
ゴロゴロと。
小さく喉を鳴らす。
眠り姫はいまだ夢の中をさまよったままだった。銃口は再び動き出す。
その時だった。
「ライト」
次の瞬間、リビングは眩しい光に包まれた。
白衣の射手は静かに佇んでいる。銃口はフリッカへと向けたまま、ゆっくりと声のしたほうへ振り向いた。
「さすがにこの程度でハレーション起こすほどの安物は使ってねえようだな」
手にした拳銃で暗視ゴーグルを指しつつピートが言った。
「それにしても随分あっさりと誘いに乗ってくれたじゃねえか。なあ……」
一瞬、ピートはその名を呼ぶのをためらった。
事実を目の前にしてなお、まだ信じられないでいるのだ。
わずかに震える銃口を抑えるようにして絞りだす声。
「……ゲオルク」
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