第56話 ゲオルク・ハリスン
白衣の射手は動じない。
ただピートが握る拳銃を見てすでにハンマーが起きているのを確認すると、ゆっくりと暗視ゴーグルとバラクラヴァを脱ぎ始めた。
現れたのは厳格という言葉を体現したかのような武人の顔。
ゲオルク・ハリスンその人だった。
線を引いたような細い眼差しは、しかし力強くピートを見返している。
「よく気づいたな、とでも言うべきかな? 悪役としては」
「ふざけるな。ハロウィンにはちょいと遅すぎだぜ。どういうつもりだ?」
「どういうつもり、か。それを聞いてどうする。信頼していた人物の裏切りに打ちひしがれて、悲劇のヒーローでも気取るつもりかね」
「な――」
「撃て、ピート・サトクリフ! 自慢の45口径が泣くぞ!」
リビングの乾いた空気にゲオルクの喝が響き渡る。
気圧されたピートは思わず銃を構え直した。大袈裟なほどのウィーバースタンスである。ターゲットへとまっすぐ伸びた右腕が「いかにも撃つ」と物語っていた。
無論、威嚇である。
そんなことはお互い分かっていた――。
「ハナっからおかしいとは思っていたんだ」
「ほう……聞かせてもらおうか」
負け惜しみでなくピートが呟く。
別段、馬鹿にするでなくゲオルクが応じた。
「九龍城突入の際に銃をフリッカに預けたことだ。筋は通っていたが、アンタはあれしきのことで武器を手放すような男じゃない。あれは俺達に丸腰なのを印象づけるための芝居だったんだな」
ピートはゲオルクの持つ銃を見た。
「PPKにサプレッサー(減音器)か。バラせばそのゴツいブーツの中にぴったりと収まるって寸法だ。まんまと騙されたぜ。街のゴロツキ共に絡んでいったのも、わざとだな。仕方なく分断させられたように見せかけるための」
ゲオルクはやや口角を持ち上げ、驚いたような眼差しをピートに向ける。
「本当に人が変わったようだな。自分が知るピート・サトクリフは、そんな聡明な男ではなかった。しかし確かに君の言う通りだが、まだ腑に落ちんな。どうして自分に狙われていると気が付いた?」
ゲオルクの一言一句に、疑惑が確信へと変わってゆく。
彼は心中では「ウソだ」と叫びながら、小さく「臭いだよ」とゲオルクに告げた。
「白衣の男から銃撃を受けた直後、男が逃げ去ったのと反対方向からアンタは駆けつけてきた。銃を持っていないはずのアンタから、微かに硝煙の臭いがしたんだよ」
ピートは銃から片手を離して、自分の鼻先に触れた。
「あの入り組んだ廃墟をどう走ったら、あんな短時間で戻ってこれるんだと考えていたが……アンタはマグライトを持っていたな。アンタはそれを使って、廃ビルの中をショートカットしてきたんだ。暗闇を気にせず、猛ダッシュでな。どうせあの白衣もハザマの診療所から拝借してきたんだろう?」
ひと息にピートが捲し立てると、ゲオルクは小さな笑みをこぼした。
深く刻まれた眉間のしわに、ある種の諦観を滲ませつつ。
「……完璧だよピート。自分の負けだ。だが任務は遂行させてもらう」
「よせ!」
ゲオルクが手にした小口径の銃――ワルサーPPKの銃爪に指を掛ける。ピートも三度銃を構え直すと、全身に緊張をみなぎらせた。
「撃たんのかね?」
「くっ――」
「このお嬢さんが起きるまでの時間稼ぎがしたいなら諦めることだ。君が九龍城に戻ると言って出て行ったあと、気持ちを落ち着かせるサプリだと言って催眠剤を飲ませてある。ちょっとのことでは起きんよ。その時に毒殺でもしておけば、手っ取り早く済ませれたんだが、あくまでもクロウ・ハザマの犯行であることを、このアパートの防犯システムに記録させたかったのでね」
そう言ってゲオルクは天井付近にある小さな防犯カメラを見上げた。
「まあ子供だましみたいなものだが、案外これくらいが効果的でね」
「どうしてそこまで……ハザマへの復讐か? ジョンを殺したことへの……」
「ジョン? ハハハ、忘れていたよ。君に話を合わせるため感情的に振る舞ったが、浮浪者の殺害の件も含めてジョンの行動はすべて作戦のうちだ」
「浮浪者……知っていたのか……」
愕然とした表情でピートはゲオルクを見る。
彼は不敵に笑い、足元でじゃれつく子猫にふと視線を落とした。
「ピート・サトクリフ。少々キレのある男になったようだが、まだまだと言ったところか。それでは何も変わらんぞ。誰かを守るなど、とてもとても」
「それはこっちのセリフだぜゲオルク。銃を降ろせ。何があったかは知らないが、そんなポンコツひとり撃ったところで、世の中変わらんぜ」
するとゲオルクはどこか達観とした表情を浮かべ「その通りだ」と低く呻いた。
「世の中には『変わらぬこと』を望む者達もいるのだ。自らの手を汚すことなく、世界のすべてを思うがままに……」
「ゲオルク?」
「『黙示録』――それが世界に掛けられた真の『呪い』の名だ!」
そう言い放ったゲオルクは、足元にいた子猫をピート目掛けて蹴り上げた。ブーツの甲に腹を乗せ、そっと放り投げるように。
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