第57話 死神の微笑み
スローモーションに放物線を描いた子猫は、ピートの視界を一瞬塞いで飛来する。
刹那に見切れたフリッカの、赤毛に近づく銃身を。
ピートは狙い、銃爪を引く。
引き切りの軽いシングルアクションのトリガープルを感じつつ、45口径の銃弾が生み出すマズルジャンプをしっかりと両手で受け止める。
耳をつんざく銃声と、火薬の臭いがリビングを満たしてゆく。
排出された薬莢が音もなくカーペットの上に落下するのと、子猫がピートの胸元でトラップされたのとがほぼ同時だった。
至近距離からの発砲により、右の前腕を破壊されたゲオルクがソファの後ろに倒れていた。激しい出血を抑えるようにして身を縮ませている。
「ゲオルク!」
ピートは子猫を床に降ろしてゲオルクのもとへと駆け寄った。
催眠剤の効果によりフリッカはいまだ眠りの世界をさまよっている。足元にはゲオルクの銃が転がり、彼の鮮血を浴びてドス黒く染まっていた。
ピートはゲオルクを抱き起こすと、止血のため彼の肩口を強く押さえた。
「ゲオルクしっかりしろ! すぐ医者を呼ぶ」
空いた手でスマホを取り出すピートだったが、それをゲオルクは跳ね除けた。
「やめろ……このままで、いい……」
「ゲオルク!」
「自分は……『黙示録』の指示によりずっと『サクラ』とロバート・ハルフォードを監視していた……」
「なに?」
「だがあの事件が起こり待機命令が出たあと……事件を調査しにくるFBI捜査官を暗殺するよう命じられた……。彼らにとってこの事件は、表には出せない部類のものだったらしいな……」
「だからってフリッカを……。いや、アンタほどの男がこんな……」
「自分を買いかぶるなピート。君が思っているよりもずっと卑しい男だ……」
次第に青ざめてゆくゲオルクの表情に、自嘲とも取れる笑みがこぼれた。
「なあピート……こんなことがずっと続くのかなぁ……」
「ゲオルク! 意識をしっかり持て!」
「我々は所詮……誰かに飼われているだけの、そんざ、い……」
突如ゲオルクの様子が急変する。
目は大きく見開かれ上を向き、身体中が弛緩してゆく。
そして――だらしなく開いた口からは真っ白い泡が吹き出されていた。ゲオルクの名を呼び、激しく身体を揺するピート。しかし彼がそれ以上、ピートの呼び掛けに応えることはなかった。
丸太のように太い彼の腕がダラリと伸びきり、床を打つ。するといつの間にか手にしていたある物が転がり落ちた。
注射器だ。
それを目にした瞬間、ピートの背筋は凍りつく。彼はまだ体温の残ったゲオルクが着ている、白衣をまさぐった。やはりそれはあった。
見覚えのあるドクロマークのラベルが貼られたアンプルだ。
ハザマの診療所からフリッカが持ち帰った劇薬である。
「ゲオルク……最初からそのつもりで……」
どこまでが彼の思惑だったのか、それはもう誰にも分からない。
ピートはゲオルクの瞳をそっと閉じさせ、断末魔の形相を消してやった。そこにはただ安らかに眠るひとりの武人の姿があった。
空調に揺れるカーテンの隙間から三日月がのぞいている。
まるで夜空に浮かぶ、死神の微笑みのように。
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