第58話 すべてが終わった朝

[ 6 ]


 フリッカが目覚めた時、すべては終わっていた。

 否。正確には何も解決していないのだが。

 次の朝、彼女が目を開けると、安アパートのリビングはひとで溢れていた。

 フリッカが寝ていたソファを中心として、至るところにアルファベットが書かれたタグが置かれている。あたりには制服を着た警官達が忙しく駆けまわり、ソファの背後には人型に囲われたロープがあった。

「なに……これ……」

 状況も分からず、不意に漏れた言葉だった。

 それを聞いて振り向いた私服警官らしき男が彼女に言う。

「FBIのマーキュリー捜査官ですね? サトクリフ氏からは、そのまま寝かせておいてくれ、と言付かっておりましたが……大丈夫でしたか?」

「だ、大丈夫って何がです、か?」

 すると私服警官は彼女に向かって「あなたは昨夜、殺されかかったんですよ」と。

 ことの詳細を聞き、フリッカはしばし呆然とした。

 血に染まるフロアカーペットと人型に、ゲオルクの優しい笑顔を思い浮かべて。

 ピートはやることがあると私服警官に告げ、一足先にアパートを出たらしい。

 フリッカもまた今日は、朝から事件の事情聴取が山ほどあった。

 しばらくしてアパートから出ることになるのだが、ゲオルクの事件に関して当事者がふたりとも現場から離れるという異常な事態に、不思議と地元警察からは咎められることはない。

 これもまたどこからか『圧力』が掛かっているのだろうと、フリッカは思う。

 ゲオルクの事件もまた、人知れず無かったことにされるのか――。

 数多くのウィザーズ・ケース(魔法使い絡みの難事件)を手掛けてきた彼女だからこその感慨である。

 フリッカは今、香港警務処の取調室にいた。

 捜査初日に通された狭いあの部屋である。相変わらず倉庫と見まごうばかりの乱雑さと埃っぽさに、さしものフリッカも辟易としていた。

 彼女は天井付近にある監視カメラをチラ見すると、『廃都』のことを思い出した。

「……長老さん。見てるんですかね」

 誰に言うでもなくそう呟くと、目の前に座る初老の男が「は?」と聞き返した。

「あ、すみません。こちらの話です。えーと……ハルフォード氏の部屋でクロウ・ハザマを治療したスタッフさんですよね?」

 フリッカは誤魔化すようにしてそう彼に問うた。

 彼こそが事件当夜に現場にいた医療スタッフのひとりであり、ロブから人払いを受けた人物なのである。

「ええ。確かにハルフォード室長から直接人払いを受け、部屋から出ました。その後は朝まで別室で待機しましたが、そのまま解散させられて――」

「え? や、あの~。ピートさ……サトクリフ捜査官に部屋の様子を見に行くように頼まれたんじゃ……」

「サトク……誰ですかそれは?」

 どこかで空間がグニャリと歪んだ音がした。

 フリッカの脳内でありとあらゆる可能性が浮かんでは消え、理論を組み立てては壊して再構成するということを一瞬のうちに繰り返した。

 そしてとある『仮説』が導き出され、一枚の捜査資料に視線を落とす。

 よく知ったヘイゼルの瞳と灰色がかったストレートの髪。

「ピートさん……」

 フリッカの悲痛な声は、埃舞う四角い小部屋に消えてゆく。

 少し開いたドアの隙間からは、警務処内の喧騒が流れ込んできた。

 もし『夢』の中なら覚めないで欲しいと。

 彼女はそう思わずにはいられなかった。

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