第54話 合流

「怪我はないか?」

 震える彼女の身体を支えながらも、周囲への警戒は怠らない。

 フリッカはピートのジャケットをきつく握りしめた。

「い、い、いまのはっ」

 やっとのことで口を開くと、汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をピートに向けた。彼はそれらを指で軽く拭ってやると、吐き捨てるように「ハザマの野郎だ」と答えた。

「やっぱり九龍城に戻っていやがった。あのカマ公、適当なこと言いやがって!」

「わ、わたしたちっ、う、撃たれた、んです、かっ?」

「ああ。どうやらそうらしい。弾痕からするとかなりの小口径だが……」

 最初に撃ち込まれたポイントを思い返すとピートはゾッとした。

 ピートの鼻先。それはフリッカが転ばなければ、彼女の頸部に命中していたはずである。大動脈の通っている部位だ。たとえ小口径であろうとも当たれば致命傷となりうる。つまり――。

 フリッカを狙った?

 なぜ?

 いくつもの疑問が頭をもたげるが、ひとつとして回答が返って来ない。今のピートにはただ、フリッカの肩を抱きしめてやることしか出来なかった。

「ピート! どこだ!」

 ゲオルクの声だ。まだ姿は見えないが、どうやら近くまで来ているらしい。

「ゲオルク! 襲撃アサルトです! 警戒してください!」

 しばらくしてゲオルクは、ほふく前進をしながらふたりの前に現れた。丁度、彼らが銃撃を受けた真逆の方向からである。その先をまっすぐ行けば、ハザマの診療所まではもうすぐだった。

「ふたりとも無事のようだな。賊は?」

「取り逃がしました。ハザマです。ハザマのヤツが――」

 ピートは言葉を飲み込んだ。

 一度痙攣にも似た仕草を見せたが、すぐに体勢を落ち着かせた。

「どうした? 何があった?」

 ゲオルクが気遣うように視線を向けるが、「大丈夫です」と一言呟いたピートは彼と目線を合わせようとはしなかった。

「お嬢さん。銃を返してもらおうかな。そろそろ拘ってもいられんらしい」

「あ、はいっ」

 フリッカは慌ててリュックを差し出した。

 ゲオルクはジッパーを開けると、おもむろに二丁の拳銃を取り出した。一丁は自らの懐へとしまい込み、もう一丁をピートへ手渡す。

「どうも……」

 ピートは愛銃を受け取ると、外してあったマガジンを挿入した。

「さて。これからどうするね?」

 ゲオルクは落ち着いたトーンでそう尋ねた。

 ピートはしばしの沈黙を友とした。一度フリッカのほうへと目線を移し、改めてゲオルクの顔を見る。黙っていれば少し怒っているのではないかと思われがちな、厳格な表情である。だが最前線ともなれば、これほど頼もしい男もいない。

「一度、引き上げましょう」

「ほう……いいのか?」

「ええ。まずはこのポンコツをアパートに置いてきて。そのあと再度、俺だけで九龍城に戻ってきます」

「単独でか? 自分も同行したほうが良くないか?」

「大丈夫です。それよりもゲオルクはアパートの周辺を警護してくれませんか。こいつに何かあったらFBIがうるさいんでね」

 そう言ってピートはフリッカのことを親指で差した。

 どこかで野良犬が鳴いている。乾いたビル風に乗って、遠吠えはどこまでも鳴り響いた。気がつけば三日月が九龍城の高い壁をよじ登っている。

 あたりには死の匂いだけが漂っていた。

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