エクストラ・レポート

第68話 エクストラ・レポート



 二〇一六年、一月。

 連邦領アメリカ合衆国・ニューヨーク市――。


 数年ぶりの大寒波に見舞われたマンハッタンは、白く染まっていた。

 氷点下二十度の世界では、あらゆる交通機関がストップし歩くことすらままならない。さしものニューヨーカー達もこれには辟易していた。

 道路脇のマンホールからは凍結防止用のスチームが吹き上げている。

 かすむ摩天楼。

 超高層ビルの谷間は雲海に沈む。

 凍りついた街並みは、さながら幻想的な絵画のようだった。

 ハドソン川とイースト川。東西を河川で挟まれたマンハッタン島は、さらに南端からニューヨーク湾を眺望する水辺の街である。

 本来であれば波穏やかに陽光を跳ね返す水面だが、この日の海は違った。

 凍っているのだ。

 ハドソン川にはお隣のニュージャージー州に渡っていけるほどの分厚い氷が張り、湾内では流氷が生まれている。

 あまりにも雄大で、人類の終末すら連想させる光景だ。

 それはあたかも自由の女神に至る、光の道のようにも見えた。

 ひび割れた白い大地が続く。

 暴風吹きすさぶその氷上を、ひとりの男が歩いてくる。

 長駆に黒衣を纏い、ただでさえ目つきの悪い三白眼を突風で眇めながら。

 意地でもやめないくわえタバコがフィルターあたりでもげている。

「へぁ、へぁ……へぁっくしょいっ!」

 響き渡るアラサーのくしゃみ。

 鼻水さえも瞬殺で凍る新年のニューヨークに、クロウ・ハザマは降り立った。


 ニューヨーク――とりわけマンハッタン区は連邦政府関連の施設が多く存在することで知られており、かの『アトランティスの悲劇』が起きた時には、各国の首脳が連日連夜議論を戦わせていた場としても有名である。

 またここは人類が『呪い』を克服するきっかけを作った伝説の地でもあった。

 モーニングサイド・ハイツの北側に、サクラ・パークという公園がある。

 元々はクレアモント・パークと呼ばれていたが、連邦非加盟国である日本から『メメント・システム』に関する技術供与を受けた際に、友好の証として当時のニューヨークに住む日本人会から、皇室を通して二五〇〇本もの桜が寄贈された。

 その後、正式に改名され現在に至る。

 満開の時期ともなれば、日系人達がこぞってお花見にやってくるのだが、それにはまだしばらく春の訪れを待つ必要があるようだ。

 その園内の片隅にひっそりと立つ、小さな診療所があった。

 看板も、診療時間を告知する掲示板すらない。

 ともすればただのセンスのいい一軒家にも見えてしまう。

 レンガ造りの壁に赤い屋根。

 玄関口は大きなアーチ状になっている。

 しかしながらそれらすべては現在、強烈な冷え込みにより氷漬けとなっていた。

 あらゆる軒からツツラが垂れ下がり、一見すると前衛的なアートのようだ。

 そしてその中にはひとりの医療スタッフと、ひとりの患者がいた。

 室内では大型の薪ストーブがたかれており、程よい室温となっている。若い医療スタッフなどは作業机に突っ伏し、気持ちよさそうに夢の世界をさまよっていた。

 そんなところへクロウ・ハザマは突如として現れた。

 真っ白な部屋。

 幅広のパーティションを隔てたベッドにはひとりの男が眠っている。

 枕元には様々な医療機器と『メメント・システム』を観測する装置があり、男の首筋には環状の『コード・スキャナー』が装着されていた。

 やや垂れさがった目元と銀色の髪が印象的な、鼻筋の通った綺麗な顔立ちだ。

 だが男の『メメント・システム』を観測している画面には「no signal」と表示されており、彼はただ浅い呼吸を繰り返すのみであった。

 そんな彼の額にハザマは、おもむろに手をかざす。

 すると淡い緑の光を放つ小さな魔法陣が出現し、ハザマの手の甲で回転し始めた。

 魔法陣は数を増やし、幾重にも重なった。そしてどんどん回転速度を増していく。

 さっきまで「no signal」を表示していたモニター画面には、物凄い速さでスクロールしていく英数字の羅列が現れた。

 それからおよそ五分ほどで、モニター画面は自動的に暗転した。

 ハザマが男の額から手を放すと、彼はゆっくりと目を覚ましていった。

「よおロブ。新年おめでとう」

 まだおぼろげな瞳でハザマを見返したロバート・ハルフォードは、驚愕とも歓喜ともつかない表情をした。

 そしてゆっくりと上体を起こして、深く深呼吸をする。

「……あれから何日が経った?」

「一ヶ月だ。もう二〇一六年だぜ」

「そうか……」

 感慨深げにそう呟くと、ロブは枕元をまさぐった。

 するとハザマが「これをお探しかな?」と言い、虚空から銀縁眼鏡を取り出した。

 眼鏡を手渡されたロブは苦笑する。

「便利だな」

「日毎に芸が増えてくるぜ。何ならドンペリでも出そうか?」

「ハッハッハ。結構。フフ……」

「なんだよ?」

「いや。君とこんな穏やか気持ちで会話出来る日が来るとはね」

 ロブは自嘲気味に首を振ると、眼鏡を掛けた。

「記憶の海に揉まれて、ちっとは真人間になれたんじゃねえのか?」

「そうかも知れん。ハザマ。あの世界は一体何だ? 意識を失う直前。わたくしはここではないどこかへと行っていた気がする……」

「――知覚の地平線とでも言おうかな。普段、君らが感じることの出来ない、この世の理(ことわり)が支配する場所だ。そこには形や現象はなく、ただコードのみが存在する」

「コード……?」

「ありていに言えば情報だ。いまここに実体として存在する俺達も、そこではただの情報として漂っているだけだ。たまたま上手いこと『そう見える』ってのが、この世界の真実だよ」

「なんだそのシェフの気まぐれサラダみたいな真実は」

「お。上手いこと言うね」

「まったく君達、魔法使いという奴は……」

 馬鹿にするでもなくロブは、かぶりを振った。

「サクラ……」

「あん?」

「サクラはどうした。彼女は……」

 やせ細った身体にムチを打つように。

 ロブは身を乗り出し、よろめいた。腕に射した点滴のチューブが、その動きに呼応し儚く揺れる。

 ハザマは彼の上体を支えつつ、腕時計を視野の端に捉えた。

「あー。もうちょっと時間が掛かるかな」

「時間?」

「まあそんなことよりもアイツからの伝言だ。すべては終わった、とよ」

「すべて……ま、まさかっ」

「そのまさかだ。『黙示録』はもういない」

 するとロブは、まるで糸の切れたマリオネットのようにベッドへと身を沈めた。

 達観とした瞳で天井を見上げつつ、眉間に刻んだシワひとつで胸裡にある複雑な心情を表している。儀式のような沈黙の時間がしばし続き、彼はハザマを呼んだ。

「大統領選の状況はどうなっている?」

「ああ……まだスーパー・チューズデー前だが、クラプトン候補が優勢だ」

「そうか」

 ロブは瞳を閉じ、全身を脱力させる。口元には自嘲ともつかない小さな笑みをこぼしている。

「わたくしのパトロンは彼だ」

「は?」

「言ったろう。アトランティスの力でもって、わたくしには大統領にしたい人物がいると。それがアイザック・クラプトン上院議員だ」

「ほぉ……お前さんの協力者は『黙示録』のほうだと思っていたぜ」

「逆だよ。わたくしは生まれた時から『黙示録』に監視されて育った。母親などはそれに耐え切れずに自らの命を断ったほどだ。わたくしの中に彼らへの復讐心が芽生えたのは必然だった」

「そうだったのか……」

「ああ。わたくしは『黙示録』に近づくため連邦政府の法執行機関を渡り歩いた。そのうちに元司法省の長官だったクラプトンと出会い、やはり『黙示録』の存在に気づきそれを打倒しようと野望を抱いていることを知った。その頃、わたくしは『魔法使いの夢』の記憶データを収集し始め、サクラ復活の可能性を模索していた」

 目覚めたばかりでまだ本調子ではないロブの身体は、彼に息をつかせた。

 浅い呼吸をヒューヒューと漏らし、頸部に装着したままだった『コード・スキャナー』も外す。

「わたくしは呪われた素性を明かし、彼に持ちかけたのだ。魔女を復活させ、この世を統べる闇の眷属を滅ぼさないか……とね」

「闇の眷属……『黙示録』のことか」

「そうだ。当時はそう呼ばれてはいなかった。ただ漠然と『何か』がいると感じていた。だが彼は……クラプトンはわたくしを信用しなかった。当然だ。わたくしこそが人類を『呪い』に導いた男の末裔なのだから。だが……」

「アンタはサクラを見つけた」

 ロブは弱々しく首肯すると、言葉を続けた。

「ようやくお互いの利害関係が一致したことを受け、彼は元司法省の長官という立場を利用しDD対策室を創設した。おかげで局内では煙たがられてね。各部署の要らない人材を回されては、体のいい首切り役をやらされていたものだよ」

 ハザマはピート・サトクリフのことを思い出した。

 まあ今回首を切ったのは、俺ですけどね……と、絶対言えば受けると思っても口に出せないこともあるなと胸中でその言葉を噛み潰した。

「しかし彼とは最後の最後まで、そりが合わなかったものだ。まあ原因は、わたくしが核兵器による彼らへの報復に拘ったせいだったのだが……」

「東側の勢力がどうのとか言ってなかったか?」

「国内の世論を味方にするにはそのパフォーマンスが必要だった。まずはサクラを復活させ、コントロール可能な核兵器を生み出すことが、結果としてクラプトンを大統領へと押し上げる力になる、と思い込んでいたんだ……」

「ロブ?」

「狂気にとらわれていた。わたくしはただ、サクラに会いたい一心ですべての道徳観を置き去りにしてきてしまったのだ。それが今なら分かる。これが真理に触れたということの恩恵かな……」

「……気がついてよかったじゃねえか。そいつを知らずに死んでく奴も世の中には腐るほどいるぜ」

「フフフ……犯罪者に道徳を教えられようとはな」

「世の中ままならんものさ。さてと……そろそろかな?」

 そう言ってハザマは、もう一度腕時計に目を向けた。

 ロブが訝しんでいると、ハザマは彼にベッドから降りるようにと指示した。

 点滴スタンドを松葉づえ代わりにして、ロブは細くなった自らの脚で床に降り立った。一ヶ月のベッド生活が彼の筋力を著しく奪っている。最初の数秒間は、立つことさえままならなかった。

「そういうもんさ。これからリハビリをすればいい」

「くっ……医者のようなことを……」

「一応、医者なんですけどね」

 まるで生まれたての子鹿のようなロブを支えて、ハザマは彼を診療室の外へと誘導する。この部屋の唯一の医療スタッフはいまだ夢の中だ。気持ちよさそうにヨダレを垂らしている。

 ふたりは彼の前を平然と通過して、ドアの前へと立つ。

 ハザマは、ロブに一度目配せするとゆっくりとドアを開けた。

 そこにはロバート・ハルフォードが『夢』にまで見た光景が広がっていた――。


 視界一面の桜吹雪が舞っている。

 見渡す限りの薄紅色の世界である。

 まだ一月も半ば、ましてや大寒波に見舞われたマンハッタンに、満開の桜が咲いていた。木々は生い茂り、芝生も青々と輝いている。

 ロブは、声を失っていた。

「ああ……あああ……」

 嗚咽とも感嘆ともつかない震えた吐息が、胸の奥から込み上げる。

 桜の下には、ひとりの少女の姿があった。

「おーい! ジュニア~! ロバート坊や~!」

 長いピンクゴールドの髪を左右に揺らし、千切れんばかりに手を振って。

 サクラは、あの頃のままの姿で、声で、笑顔で。

 ロブを迎えてくれた――。


「ちょっと! 待ちくたびれたわよ!」

 ハザマを見るなり彼女はそう叫んだ。

 彼は悪びれもせずにタバコをくわえて、ロブを支えながら桜の樹の下へとやってくる。ロブの顔は、実年齢のそれではなく少年の面影をより強めていた。

「氷溶かすのに時間が掛かるっつったのお前だろうが!」

「う、うるさいわね。まさかこんなに寒いとは思わなかったからちょっと大袈裟に見積もったの!」

「だから雑なんだよ、お前さんは」

「なにをーっ!」

「あ、あの……」

 そのやりとりをしばらく放心状態で眺めていたロブが、ようやくのことで一言絞り出した。すでに体力の限界。息も絶え絶えである。

「あ、悪い悪い」

 ハザマは医者の顔を取り戻すと、ロブをゆっくりと地面へと座らせてやった。

 青々とした芝生には、溶け残った氷の粒が散りばめられている。サクラ・パークの上空だけにポッカリと空いた蒼天が、優しい太陽の光を連れてきた。

「サクラ……あの……」

「ジュニア。大きくなったわね」

「サク……」

 言葉が胸に詰まって何も言えない。ロブには万感の思いがある。

「でもねえジュニア。動けない少女相手にハァハァするのはいただけないわぁ。お母さんそれだけがちょっと心配」

 ロブは顔から芝生へと突っ伏した。

「ロブぅ!!」

 ハザマは慌てた。

 急いで脈を取り、心臓マッサージを繰り返している。

 彼が意識を取り戻したのはそれから数秒後。

 体力が回復して無事退院し、本当の桜の時期に三人でお花見をしたのは、また別のお話である――。



             エクストラ・レポート 了

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コード・スキャナーズ 真野てん @heberex

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