第9話 硬い椅子
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椅子。
腰掛けとも呼ばれるが素材・形状・サイズなどの差異はあれど、概ね尻を乗せる座面を持った脚付きの家具である。
座るための道具であるから、おもにひとを休ませるのが仕事であるはずだ。
しかしそこに一本のロープが加わるとどうだろう。いとも簡単にその常識は崩れ去り、立派な拘束器具として生まれ変わる。
目を覚ましたハザマは、結局自分が何者かに捕まったことを知った。
木製の背もたれ椅子に座らされ、手足はロープで椅子に縛り付けられている。脇腹と右足の銃創には手当が施されており流血は完全に止まっていた。また右腕には点滴バッグ、左腕には輸血バッグがそれぞれの腕に挿管されており、口元には酸素マスクがあてがわれてた。服は血まみれで処々が切られていた。応急処置の為に切り裂かれたのだろう。
トレードマークの白衣にいたっては、すでに自らがビリビリに破いてしまっている。
まだ混濁とする意識をもたげてハザマは周囲をねめつけた。すると自分のほかにまだ数名、ひとの気配がこの場には感じられる。
かなりのスペースがある部屋のようだが、人影はそんなに多くはない。まず視界に入ったのは、自分の手当をしてくれたであろう医師の背中が二名ほど。そして複雑な文字列が羅列された大きなモニター画面が四台。それをオペレートする人員が二名。モニターの置かれている長机には『コード・スキャナー』も設置されている。そこに表示されている文字列が、自分のメモリーチップから吸い出された記憶コードであることは一目瞭然であった。
しかしハザマが思うのは「どうして静止画像のまま、しかも同じ画面ばかりをいつまでも見ているのだろう」ということだった。自分ならば五分もあれば、人間ひとり分のコード解析など完了するのにと。
そして――。
うろんな瞳を彼方へと向けたハザマは、思わず自分の目を疑った。
「サクラ……なんで……」
わずか数メートルという距離。そこに車椅子に乗ったひとりの少女の姿を見た。
腰まで伸びた長い髪は緩めのウェーブを巻いた金髪で、ほのかに桜色を帯びている。どこまでも白い肌に大きな瞳。そして右目の下には小さなホクロ。
見まごうはずもない。サクラだった。着物姿ではないにせよ、神秘的な雰囲気は変わらない。だが目の前にいる彼女には表情がないではないか。何度も目にしてきたあの愛くるしさは一体どこへ行ったというのだろう。
しばし呆然とするハザマだったが、その静寂はすぐに破られた。
「やはりご存知でしたねぇ」
背後から突如として突き出された顔と声。肩口からヌッと現れ、ハザマを睨みつけるのはロバート・ハルフォードそのひとだった。
照明の落とされた部屋に煌々と灯るディスプレイ。その光を反射してロブの眼鏡が怪しく輝いている。
ロブはハザマの頭を両側から手で挟むと、強引にサクラの方へと首を向かせた。
「サクラ、とお呼びになられましたねぇ。その名を知っているということは彼女の記憶に触れたからに他なりません。だがあなた昼間は知らないと言った。これはどういうことなんでしょうねぇ」
薄笑いを浮かべるロブの詰問に、ハザマは言葉を失う。口元を覆う酸素マスクが逆に息苦しさを増長させた。
ロブはハザマの肩を掴みながら、ぐるりと椅子の周りを半周する。ようやくハザマの視界に現れた彼の痩躯は、タイトなダークスーツに包まれていた。壁一面に張られた巨大なガラス窓をバックに銀色の月に照らされて。
「改めて紹介いたしましょう、ドクター・ハザマ。いまあなたの目の前にいる可憐な少女こそが史上最後の魔法使い、アトランティスのサクラです。近代人類史の中でも彼女の功績はあまりにも偉大だ。なんとあの『メメント・システム』を作り上げた本人なのです」
「――ッ」
「ん? なんですか?」
ロブはハザマの着けている酸素マスクを乱暴に剥ぎ取ると、髪を鷲掴みにして顔を強引に上へと向かせた。血の気の引いたハザマの顔が、重力に引かれるままにだらりと垂れ下がった。
「……知ってるって言ったん、だよ」
息も絶え絶えにハザマが答えると、
「フン! 盗っ人猛々しいとはこのことですな。患者の記憶は廃棄するのが医者の義務など、よく言えたものだ!」
ロブは激高したように、掴んでいたハザマの頭を荒っぽく手放した。
「あの浮浪者から抜き取った彼女の記憶をご自分にインストールしましたね? まったく医者がDDに溺れるとは嘆かわしい」
「人殺しに言われたかねぇや」
「それはお互い様でしょう」
ロブは何処からか一本のナイフを取り出し、それをハザマの足元へと投げ突き立てる。
「ま、治外法権のゴミ溜め(九龍城)でひとが何人死のうと関心ありませんがね」
「てめぇ……」
「光明街の『ブラック・サバス』という店を知ってますね。あの場所であなたが記憶入りのメモリーチップを現金化しているという情報も掴んでいます。まあ、流石にあちらには手が出せませんが、いまのあなたには連邦法が適応される。さて……」
ズレた眼鏡を上げる仕草で、ロブは感情を抑制しているようだった。
「そこであなたに相談だ。前にも言ったがわたくしに協力すれば、連邦政府の名であなたの悪事をほぼ完全にもみ消すことが出来る。さもなくば一生牢獄暮らしとなる。あなたを法で裁くのは簡単だ。だがそれではお互いつまらんじゃないか」
「なにを言っている……」
「コードだ。コードを解析しろと言っている」
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