第10話 ロバート・ハルフォード

 ロブは膨大な文字列の塊が表示されている四台のディスプレイを指し示すと、声を高ぶらせてこう続けた。

「アトランティスの情報だけを抜き出して彼女に戻せ! サクラを、サクラの意識をもう一度呼び戻すんだ!」

 するとロブは車椅子に乗るサクラをハザマの前まで押してきた。その桜色の髪を一房手に取り、自分の鼻へと近づける。溶けそうな表情をしたかと思うと、次の瞬間ハザマへと鋭い視線を投げつけた。

「DDでサクラの記憶と会ったな?」

「……ああ」

「彼女が『メメント・システム』の開発後、世界中を旅していたことを知っているか?」

「そういやそんなことも言っていたな」

 ハザマはロブの口調の変化に気付いていた。

 彼がサクラに触れる時、また彼女を語る時の表情はどこか狂気を帯びている。このどうしようもない状況で、そんなことを分析している自分が妙におかしかった。

「サクラは世界中を転々とする傍ら、才気にあふれる人材を探し求めていた。そうして出会った人間に『メメント・システム』を利用して、自らの記憶を移植していった」

「なんだと?」

「世界はあまりにも幼かった。未熟な人類に突如として授けられた叡智『メメント・システム』は、当時の社会バランスを崩しかねなかった。そこで一計を案じたサクラは、自らが持つ科学的知識、それに伴う運用方法、技術、はては理念までをも彼女の眼鏡にかなった人物たちに託していったのだ。そうして長い年月が経過した時、彼女は人格すら失っていた……彼女のなかでデータの破壊が起こったのだ……」

 ハザマは眼前のサクラを改めて見た。

 半眼を開けたままじっと虚空を見つめる彼女。生きた人形としか形容し得ないその在りように、夢で出会った彼女の面影を見つけられず動揺した。だが「魂などない」と言ってのけた彼女の言葉は、いまも耳の奥にしっかりと残っていて。

 そして僅かに感じる違和感。その正体をハザマはずっと考えていた。

「彼女が託した記憶たちは、その後時代を経て闇へと流れていった。さらに断片化されたサクラの記憶を、ひとは『魔法使いの夢』と呼んだ」

「例のDDか」

「その通り。わたくしはそれこそ何年もかけて『魔法使いの夢』を調査した。そして見つけたのだ。数年間、行方の途絶えていたサクラが生きているという可能性を。わたくしは世界中に調査員を派遣し、根気よく彼女を探した。――居た。彼女はアフリカのとある少数部族と一緒に暮らしていたのだ。一切の感情と言葉を失くし、ただ一心に機を織り続けていたよ。それはそれは痛ましい光景だった――」

 興奮のあまりロブは言葉を詰まらせた。

 なにかの禁断症状のように身体をプルプルと震わせて。

「……ロバート・ハルフォード。お前一体何者だ? なぜそこまで彼女に固執する」

「何者かだと? いいだろう。おい、お前たち――」

 ロブは人払いを始めた。医療スタッフとモニター作業員。そして隣室で待機していたサクラの身の回りの世話をしていたであろう女性数名を部屋から退室させた。

 残されたのはハザマとロブ。そしてサクラの三人だけとなる。ただでさえ広いロイヤルスイートが何倍にも感じられた。突如として開放された空間に、月明かりが不気味に差し込んでいる。

 ロブは自分が興奮していたことに気付いたのだろうか、乱れていた髪を手で撫でつけネクタイを締め直した。咳払いをひとつ挟むと、訥々と言葉を紡いでいく。

「あなたは『マンハッタン計画』というのをご存知ですか? 七十年前、とある組織を軍事的に攻略する為に立案された作戦です。その攻撃目標とはちっぽけな島でした」

「まさか……」

「察しがいいですね。そのまさかです。攻撃目標とはアトランティス。噂ほど巨大なものではありませんでした。そこで当時の連邦政府は東側諸国と結託し、原子爆弾の使用を実行したのです」

「その件は聞いたよ」

「ほぉ……ではその計画の責任者の名をご存知ですか?」

 ロブの顔が蛇のように歪んだ。

「ロバート・オッペンハイマー。科学者であり、わたくしの祖父です。わたくしの本当の名は、ロバート・オッペンハイマー三世。呪われし名を受け継ぐもの――」

「なんてこった……そんなの教科書にゃ載ってなかったぜ」

「ハハハ! それはそうでしょう。世界中が隠している歴史の闇です。『呪い』が確認された直後、祖父は責任を問われ処刑されました。そしてまだ幼かったわたくしの父親は連邦非加盟国だった日本で育てられたのです。やがてわたくしが生まれ、父は祖父の犯した過ちを忘れぬようにと息子にも同じ名前をつけました」

 自嘲とも威圧ともつかない暴力的な笑い声。

 怒気をはらんだ感情が、ロブの口腔を赤く焼いた。

 ハザマは視界の隅にサクラをとらえると、やっとのことで言葉を紡いだ。

「それとサクラとどう繋がる?」

「時は流れてわたくしにも思春期が訪れます。そこで彼女に出会ったのです。そう、このサクラに」

 ロブは恍惚とした表情でサクラを見た。

「わたくしの父親もまたサクラに才能を見出された人間のひとりでした。短い期間でしたが共に暮らした思い出は、わたくしにとって永遠のものとなりました。だが別れの時は唐突に訪れたのです。サクラは別れの言葉も告げずに行ってしまった。そして数年後、やっとのことで探し出したというのに、ボクのことさえ忘れてしまって」

「ボク?」

「だからボクにとっては一族の汚名をそそぐことなんかよりも、もう一度彼女に名前を呼んでもらうことの方が大切なんだ。アトランティスの技術の解析なんて所詮二の次に過ぎない」

「アトランティスの……技術……」

「より優秀な核兵器の製造。勿論、今度の標的は東側諸国だがね」

 無邪気だったロブの表情は、打って変わって毒蛇のそれになった。アトランティスのかけた『呪い』を原罪と呼ぶならば、ロブの一族は間違いなく蛇であろう。原爆という禁断の果実を人類に与えてしまった蛇。ハザマは言葉も出なかった。

「さあドクター・ハザマ。君になら出来るのだろう? この膨大なデータの中から一瞬にしてサクラの記憶を読み取ることが。通常の専門医ではダメだ。時間が掛かり過ぎる。それでは次期大統領選に間に合わないのでね。わたくしのパトロンにはもう時間がない」

「核の脅威をちらつかせて、他の候補者を黙らせるつもりか?」

「ご想像にお任せするよ」

 くくく、とロブは低く笑った。

「で、どうなんだ? やるのか! やらないのか!」

 刹那の逡巡。ハザマは瞳を閉じる。

 そして静かに語り出した。

「あまり意識したことは無かったが、そうか俺のやってたことは特殊だったのか。確かに学生時代から周りのヤツがやけに診断に時間掛けてるから、ただ自分が雑なんだとばかり思ってたんだが……そうか、これが『知覚』を広げろってことなのか。サクラよ、いまやっと分かったぜ」

 瞳を開けるとそこには美しい少女の顔があった。相変わらずの無表情だが、いまのハザマにはすこし微笑んでいるようにも思えた。

「なんだ? サクラがどうした!」

「なあハルフォードさんよ。もういいじゃねえか。そろそろサクラを解放してやろうぜ。こんなちっぽけな世界に縛り付けておくような野暮は、今日限りでしまいにしよう」

「はあ? なにを言ってるんだ君は? ボクはサクラを孤独の苦しみから救い出そうとしてるんじゃないか」

「サクラは孤独なんかじゃないぜ。この世と、この世じゃないすべてと繋がっている。見えるんだ。いまの俺にはすべてが……あの赤い線の外側がよ」

「いい加減にしたまえ。無駄口が過ぎる――」

 ロブはおもむろに腰を折ると、ハザマの足元に刺さっていたナイフを抜いた。それを逆手に持ち直し、頭の上まで大きく振り上げた。

「もう一度だけ聞こう。彼女に記憶を戻せ」

「サクラはよ」

 ハザマは彼女の瞳を見つめて口の端を上げた。

「てめぇのことなんざ知らねぇってよ、ハルフォード捜――」

 ドンと音がした。

 その瞬間、自分の胸にナイフが突き刺さっているのをハザマは知った。

 ロブは突き立てたナイフを乱暴に引き抜くと、もう一度頭上に高く振り上げた。鮮血が飛び散り、辺りを染めていく。至近距離に居たサクラの白肌にも容赦なくかかった。

 二度、三度、四度。

 ロブは続け様にハザマの胸を刺す。肋骨が折れて皮膚を突き破り、ナイフを振るうたびに肉片がバラまかれた。それでもロブは腕を止めない。すでにハザマは絶命している。口からは血の泡が吹き出ており、白目を剥いて天を仰いでいた。もはや見る影もない。誰の目から見てもやり過ぎだった。

「だからロブと呼べとあれほど……」

 その独白を最後に腕を止めた。ナイフはハザマの胸元に深々と突き立っている。血まみれだ。ハザマは椅子の上に載せられた、血の色をした人間以外のなにかと化していた。

 それを見たロブはあらためて自身もまた血まみれであることを認識した。眉根を寄せてネクタイを外した。

「ああ……サクラ……」

 ようやくサクラも血まみれであることに気付いたロブは、車椅子を押してベッドルームへと移動する。彼女をそっとカウチへと移すと、血で汚れてしまったスーツをすべて脱ぎ捨てた。一糸まとわぬ姿となって、愛しいサクラにしがみつく。

 そんな状態の彼が気づくはずもない。

 壁も隔てぬ隣室で、ひとつの奇跡が起ころうとしていることに。

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