第33話 潜入
門をくぐってまず目についたのは、酒場の看板であった。切れかけたネオンサインや電飾付きの置き看板。狭い通路の両側にひしめき合う大量の店舗には、まだ陽の高い時間だというのに客が群がっていた。
行き交う通行人の間を縫うようにして、三人はさらに奥へと歩を進める。
すると次第に歩行者の量は少なくなり、売春宿の数が酒場のそれを上回った。
電飾の色にも変化があり、ピンクや紫といったビビッドな配色が目立つようになってきた。足元には大量のビラが。そして壁一面を覆う裸婦の写真を見て、さすがのフリッカもここがどういう場所なのかを悟った。
ピートの腕にしっかりとしがみつき、顔を真っ赤にして俯きがちに歩く。
彼らはさらに奥へと進んだ。
今までとは違い殺風景なところへ出た。彼らの他には誰もいない。
生活感の感じられない、いかにも廃墟といった区画だ。ゲオルクの説明によれば、ここが本来の九龍城の外縁部なのだそうだ。
比較的しっかりとした造りの鉄筋コンクリートの壁が並び、通路も極端に少ない。
ここより外側は清朝中国政府樹立以前の内戦で流れこんだ難民が、バラックを建て勝手に住み着いたエリアであり、比較的近代に誕生した繁華街なのだ。
それ以前の建物や施設はこの半壊した壁の向こう側にあり、いわば緩衝地帯。
つまり――。
「ここから先が本番だ。鬼と邪が住まう香港の魔都」
「九龍城……」
ゲオルクの名調子にフリッカが応える。
「準備はいいか、ピート?」
「ええ」
男ふたりは互いに自分の得物を取り出した。手早く装弾と、動作に不良が無いかをチェックすると銃口を下げて突入に備えた。
「
ピートの構える拳銃を見ると、ゲオルクは興味深げにそう尋ねた。
「ええ……9ミリじゃいざって時に火力が足りませんから」
「ほう。君がストッピングパワーの信奉者とは知らなかったな」
「そういうわけじゃないっすけど。……もう誰も失いたくないんで」
「なるほど。それも成長と見るべきか。射撃時以外でトリガーに指をかける癖も治ったようだしな」
ゲオルクの指摘に、ピートはくすぐったそうに微笑んだ。
「色々とバカでしたね。自分勝手で目立ちたがり屋で。ジョンは俺のそんな性格を分かっててあの時、代わってくれたんでしょうね」
「そう思うか?」
「はい」
「ならば自分も、彼の意思を継ぐとしよう。君とお嬢さんのことは必ず守る」
「頼りにしてますよ。軍曹殿」
無骨な男同士が背中で笑い合う。
その足取りには、はっきりとした決意が現れていた。
「では突入といこうか」
ドスの利いたゲオルクの声が閑散とした壁の森に響き渡った。
「待ってください!」
不意にかけられたフリッカの呼び止めに、ふたりは振り向く。
最高潮に高まっていた士気を害され、ピートは明らかに不満気である。
「なんだよポンコツ! いま忙しいんだ。あとにしろ、あとに」
「あとじゃダメです。今すぐその銃、置いてきてください」
「は?」
「それが嫌ならわたしが預かります。ほら、このリュックに入れてください」
フリッカは背負っていたリュックのジッパーを開け、ふたりの前に突き出した。
「ほら早く!」
「なに言ってんだテメェ」
ピートは静かに威圧した。
だがフリッカも、それしきのことでは引かない。
「わたし達はこれから、ひとを探しに行くだけです。人探しにそんな物騒なモノは必要ありません」
「あ? チンピラやゴロツキ共がウヨウヨしてる中を丸腰で歩けってか? 自殺行為だろ、そんなもん」
「こちらに敵意がなければ、相手だって絡んできませんよ。ヤクザ屋さんだって、暇じゃないんだから」
「……つまり君はこう言いたいわけか。無用な争いは避けろ、と」
「はい。この壁の向こうには一般の人だって住んでます。子供やお年寄りもいるんです。万が一でも誤って傷つけてしまったりなんかしたら、それこそ取り返しがつかなくなるんですよ」
「ぐ……ぽ、ポンコツのクセにまともなこと言いやがって」
「だから、はい。早くしまって」
フリッカはさらにリュックを突き出した。ピートは困惑とも逡巡ともつかないような顔をしている。
するとゲオルクが鼻から息を抜いて、口元を緩ませた。
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