第21話 「マジかよ……」

「さてと……どいつだ?」

 飛行機はすでに到着している。

 入国審査の手続きや荷物の受け取りに掛かる時間などを考慮しても、そろそろ面会してもいい頃合いだった。

 しかし来ない。待てど暮らせど「それっぽい」人物が構内に現れない。

 遅れずに合流せよ、と命じておきながら捜査官の顔写真ひとつ寄越さないところに上層部の悪意が感じられるが、ピートには経験上「それっぽい」臭いを嗅ぎとる自信があった。

 それだけに不審が募る。

 もともと連邦麻薬取締局の所属する司法省と、FBIとは、いわゆる犬猿の仲だ。お互いの権益を主張するためにつまらない嫌がらせなども横行する。些細な失態をあげつらってイニシアチブを取ろうというのだ。

 合同捜査ともなれば、その辺は非常にシビアである。

 人影も次第に減ってゆく中、ピートが本部へ連絡でも入れようかと考えていると、静かになった入国ゲートから明らかに周囲から浮いた雰囲気を持つ人物が現れた。

 悪い意味で。

 全身を黒とグレーで固めたひとりの女性。フォーマルというよりもまるでどこかの事務職員のような印象を受ける。両手に大きなトランクを引きずっており、体力が無いのかどうにも足元が覚束ない様子だった。

「わっわっわっ」

 こけた。

 それはもう盛大にすっ転んだ。トランクで塞がった両手では受け身も取れず、顔面からズテーンと。女性は大きな黒縁眼鏡を掛けていたが、それが彼女の顔から飛んでピートの足元まで滑ってきた。

 ピートはそれを拾い上げると、

「マジかよ……」

 ややタレ気味なヘイゼルの瞳を眇めて、脱力した。

「め、眼鏡っ。ど、どこっ?」

 ド近眼なのか、女性は眼鏡を探して床を這いずっている。

 ピートはそんな彼女に近寄ると、拾った眼鏡を手渡した。

「アンタがFBI?」

 赤毛にそばかす。いかにも垢抜けない感じの女性だった。バサバサの髪をぞんざいに後ろで束ね、洒落っ気のかけらもない黒縁眼鏡をかけ直して。

「あ、ありがとうございます。わ、私はFBI捜査官のって……ああああっ!」

 人並みの視野を取り戻した彼女が叫ぶ。

 転んだ拍子にトランクから荷物が放り出されて周囲に散乱していたからだ。下着や日用品に混じって「極秘」と書かれた書類の束までも。

 しかもその書類束を、ピートが連れてきた子猫が踏み荒らしているのである。

「そ、それ踏まれると困るんですけどぉ~」

 半泣きになりながら散らばった荷物を拾い集める彼女。

 見るに見かねたピートがそれに倣うと、彼女は上目遣いに彼を見て。

「あの……ありがとうございます。えーと……」

「サトクリフ。ピート・サトクリフ。DD対策室の捜査官だ。アンタの相棒ってことになるんだが……」

 ピートは彼女の姿をもう一度、上から下まで舐めまわした。まるで頼りなさが服を着て歩いているようである。

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫かって何がですかっ」

「まあ色々と」

「うう……初対面なのに……」

 ヨヨヨと泣き崩れる彼女の頬を、例の子猫がぺろぺろと舐めた。「どうしてこんなところに猫が?」とでも考えているのだろう。ピートは彼女の表情からそれを読み取ると、

「あー、なんというかバカ猫がすまん。あとで飯でも奢るよ」

 バツが悪そうに耳の後ろをかいた。

「サトクリフ捜査官のネコさんでしたか。もふもふ~」

「そういうわけでもないんだが」

 聞いているんだか、いないんだか。彼女は子猫を抱き上げると、そばかすだらけの丸い頬を擦りつけた。それを見たピートは、今までの勘ぐりがバカバカしくなる。

「ピートでいい。堅苦しいのはやめておこう。えーと……」

「あ。フレデリカ・マーキュリーです。フリッカと呼んでください!」

 片手で敬礼。片手に子猫。

 せっかく拾い上げた資料の束をまたフロアにぶちまけると、「あわわ」とフリッカはまたぞろ床に這いつくばった。

 やれやれだ――。

 ピートは言葉に出来ない疲労感を味わった。

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