第20話 FBI捜査官
香港といえば大小二百を超える島々の集合体であり、それぞれが十八の行政区画に分かれている。主要機関の集中している香港島から国際空港のあるランタオ島へ行こうとすると、一度海底トンネルを通って九龍半島に渡り、新界地区へと出る。
そこからさらに青江島から馬湾海峡に架かる青馬大橋を経由してようやく辿り着くのだが、これはもう一昔前の話である。
いまでは香港島からランタオ島を隔てる内海を、およそ五十キロにも及ぶ巨大な橋が横断しており三十分ほどで移動することが可能になった。
香港という都市は、かつての戦乱から何度も支配者が代わり、近代になって中国から独立しアメリカを議長国とする連邦政府に加盟している。
小さな技術立国。
それが今日における香港の姿である――。
であるが故に、途上国特有の慢性的な渋滞はなかなか緩和されない。マーケットの急速な拡大にインフラが追いついていないのだ。
巨大な水上橋のど真ん中。ひとりと一匹の乗る黄色いカブトムシは、雪隠詰めを食らっていた。
腕時計をちら見するピート。どうやらギリギリになりそうだ。
旅のお供の黒猫は、助手席で暢気に丸くなっている。
「……FBI捜査官ね。いったいどんなヤツが来るんだか」
ピートの独り言に子猫が「にゃーん」と答えた。しっぽをふりふり。
「なんだよ。話し相手にでもなったつもりか?」
子猫は大きくあくびをして、もう一度シートの上で丸まった。しかし耳だけはしっかりとピートのほうを向いている。それを横目で捉えると、彼の口元はほころんだ。
「メールによるとどうやら若い女がくるらしい。随分と優秀らしいがどうだかな」
そう言うピートに対して子猫はしっぽをパタンパタンと振るだけで答えた。
「ま、グラマラスな金髪美人なら大歓迎だがね」
これには子猫も無反応。
ピートの軽口は車内に流れるハードロックに溶けていった。
ふと運転席の窓から空を見ると一機の旅客機が飛んで行くのが目に入った。大きな翼に四つのプロペラがついたターボプロップ機である。小型軽量ながらに亜音速を絞り出すガスタービンエンジンが唸りを上げながらゆっくりと高度を下げている。向かう先はピートと同じく香港国際空港だ。
目の前にはすでにランタオ島の海岸線が見えている。
ピートはそれからおよそ三十分掛けて洋上を走り切った。内陸側まで到達すれば、空港の構内まで直通出来るようになっている。ピートは再度時計をちら見して、どうやら遅刻しなくて済みそうだと胸を撫でおろした。
世界の窓口とはよく言ったもので、空港内は人種のるつぼとなっていた。
年間六千万人規模の利用者が訪れる世界でもトップクラスのターミナルである。
ロビーでは洋の東西を問わず、様々な国籍を持つ人々が行き交っていた。
ビジネス、観光、留学。
渡航の目的はそれこそ人それぞれ。すべての物語はここからはじまるのだ。
ピートは混雑もまばらになった入国ゲートで待っていた。胸元には子猫がおとなしく収まっている。車中に置いてきたつもりだったが、またしても器用に抜け出て来たのだ。ここまで来てしまっては、係員に声を掛けられるのも面倒である。
防犯用の監視カメラも構内にはそこら中にあるのだ。
ピートの取れる選択肢はそれほど多くなかった。
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