今世紀最初の魔法使い/前編

第12話 悪夢ふたたび

 見よ。

 あの炎がごとき赤髪を。禍々しいまでの白い肌を。

 彼の者はその妖艶さをもって、我ら善良なる紳士を惑わすのである。

 人心をかき乱し、世を堕落せしむること蛇蝎のごとくなり。

 それすなわち『魔女』の所業である。

 本法廷は速やかに、彼の者を焚刑に処すべきである。

 死なば人であることを認めよう。その生命と引き換えに、騒乱の贖罪とせよ。

 死なざれば彼の者を『魔女』とし、さらなる責め苦をもって断罪すべし。



           マクスウェル・ホプキンス著『魔女裁判』より


[ 1 ]


 消毒用エタノールとタバコの臭いが鼻につく。

 そこは狭い診療室の中だった。

 硬いベッドにひび割れた壁。いつまでも片付かない机の上には、山のように盛られた吸い殻と、型の古い一台のディスプレイが置いてある。

 画面には無数の英数字が組み合わさったコードが表示され、暗闇に閉ざされた診療室をそのわずかな明かりでけなげに照らしていた。

 壁にはコルクボードが掛かっており、おびただしい数の請求書の束と何枚かのスナップ写真が無造作に貼られている。さらに視線を横に滑らせてみると、暗闇の中に浮かび上がる人影が。

 鏡だ。

 そこに映されたのは、灰色がかったストレートの髪。やや垂れたヘイゼルの瞳と、薄い唇だ。いつもの自分の顔だと彼は――ピート・サトクリフはそう思った。

 ただいつもと違っていたのは、医者が着るような白衣を身にまとっていたことだ。

 秒ともつかない微かな間に、彼の胸中は数えきれない疑問符で絡め取られた。


 いつ、どこで、いま自分は、何をしている?


 ようやく絞り出した簡潔な自問だった。だがそれすらも自らが手にする一本のナイフによって瓦解する。

 淡いディスプレイの光に照らし出された怪しい刃。悩ましげに湾曲するその身に、真っ赤な鮮血を滴らせて。

 ポトリ――と、落ちる一雫につられてピートの視線は下へと向いた。

 ちょうど自分の股の下である。

 床を真っ赤に染め上げた血の海に、ひとりの人間が倒れていた。

 体格から考えてもまず男であろう。そして軍人のような戦闘服に身を包み、顔には頭部全体を覆い隠すバラクラヴァ(目出し帽)を装着している。

 ピートは手にしたナイフと、今まさに自分がまたがっている男とを交互に見た。

 血の出どころは、どうやら喉元らしい。

 いまだ熱を帯びたままの「それ」に触れると、新たな疑問が頭をもたげる。

 俺がやったのかと。

 ピートはうつ伏せのまま横たわる「それ」を転がして、仰向けにさせた。

 そして意を決したようにバラクラヴァへと手をかけた。

 一気に、はぎ取る――。

 暗がりの中、ディスプレイの光を反射させたナイフがギラついた。その光を受けて浮かび上がったのは、喉を真一文字に切り裂かれたピート本人の顔だった。

 しばらく声もなく呆然としていると、白目を向いて絶命していたはずの「それ」が笑った。自分と同じヘイゼルの瞳で、薄い唇の口角を上げて。

 見えざる巨大な力が、ピートの喉元を掴む。

 とたんに呼吸が出来なくなり、思考が彼岸へと遠のいていく。

 次第にかすんでいくピートの世界は、音と臭いに包まれた。

 きついエタノールとタバコの臭い。それから壁を壊す音。

 最後に覚えているのは、野良猫の鳴き声だった。

 そこで「その世界」とはすべてが途切れる。そしてピートは目を覚ます――。

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