第49話 アトランティスの悲劇

[ 5 ]


 野良犬の遠吠えが耳朶を打ち、星明かりがふたりの影を地面に映す。

 いまだ宵のうち。

 夕飯時の余韻を残す九龍城は、世界でも有数の人口過密度を誇るかのように壁状の集合住宅地を窓いっぱいの明かりで着飾っていた。

 地上に戻ったピートとフリッカは『廃都』での出来事そのものが、まるで『夢』であったかのように冷めていた。身を寄せ合い、人通りも少なくなったどこかの裏路地を歩いている。

「……これからどうしましょうか」

「どうしようったってなぁ」

 ただでさえ足元の悪い裏路地である。ピートの腕にしっかりとしがみつくフリッカは、まるで引きずられるようにして力なく歩く。またピートの切り返しにもいつもの冴えがなく、どこか上の空であった――。


「『サクラ』からは手を引け」


 長老の拡張デバイスを自称する双子の少女は彼らにそう告げた。

 表情を変えぬまま、ただ淡々と。

 どういう意味だとピートが問うと、そのままの意味だと彼女らは言う。

「お主らの手に追える相手ではない」

「あやつとはいずれワシが決着をつけよう。今はまだ泳がせておくのだ」

 陰陽の化身が如く振る舞う彼女らは、再び虚空へと手を伸ばす。

 室内にはもう一度光の幕が誕生し、ピートとフリッカを身構えさせた。トリックの明かされた手品だとしても、びっくりすることには変わりない。

 今度の光の幕はかなりの大きさだった。壁一面と同じくらいのサイズ感があり、表示された内容も文字ではなく映像である。

 そこにはモノクロの記録映像が映し出されていた。この世界に住まうものならば、誰しも一度は目にしたことのある――。

「『アトランティスの悲劇』……」

 フリッカが息を凍らせた。

 漆黒の闇の中を飛行する一機の偵察艇からの撮影である。何もない海洋上に、突如として閃光が走った。まるで昼間のような明るさで照らされる海の上に、ほんの一瞬だけ小さな島が映る。

 だがその瞬間、島は巨大なキノコ雲に覆われてしまう。

 一体何キロ離れているのだろうか。映像からそれを読み取ることは難しい。

 しかしその歴史的瞬間を映した画面は、フレームの端に見切れている主翼と共に大きく震えていた。

 天を衝くような巨大なエネルギー。

 観るものに戦慄を与える光景であることは間違いない。

「少し昔話をしよう」

 繰り返される爆発のシーンを背景に白い少女は言った。

「かつてワシは連邦政府の命令で核エネルギーの研究をしておった。もう七十年以上も昔のことだが、今でもはっきりと思い出せる。『サクラ』はその時、現れた」

「『その研究はいずれ世界を滅ぼすだろう。今のうちに手を引け』と告げにな」

「ワシは急に恐ろしくなって研究から身を引いた。もちろん連邦政府からはおわれる立場となったが、不思議と後悔はなかった。そして一九四五年の夏――」

「ワシの研究を引き継いだひとりの科学者が核分裂反応を利用した爆弾を作り、それをアトランティスへと投下した。『サクラ』の予言は的中し、世界は『呪い』で覆われてしまった」

 ホログラムディスプレイが暗転し、今度は当時のニュース映像へと切り替わる。

 泣き叫ぶ幼児を抱く世界中の母親と、各国の首脳が議論するシーンとが交互に映し出された。

「次に『サクラ』と出会ったのは、その翌年のことだった。ワシは連邦政府に呼び戻され彼女が開発したという『メメント・システム』の臨床実験に参加したのだ。それは見事なものだった。今もってこのシステムを超えるものはこの世に存在しない」

 黒の少女が無感動にそう告げると、衝撃の事実の連続に圧倒されていたピートが、やっとのことで一言絞り出した。

「ちょ、ちょっと待てお前ら。一体どこまでが本当で、どこがホラだ。胡散臭いにもほどがあるぞ」

 しかし彼女らは取り立てて感情的になることもなく「すべて本当のことだ」とステレオでのたまった。

「まあ気持ちは分かるけどね」

 部屋の隅でオジーが苦笑した。

 ピートの隣では、フリッカが目を爛々とさせている。

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