第27話 『仮説』

 ピートの表情が狩人のそれになる。

 子猫はその変化に敏感に反応し、毛を少し逆立てた。

「そういうことです。それから『サクラ』さんもまた同様で、どこにも出国していないようです。まあ密出国の可能性も否定できませんが」

「『サクラ』……あのお嬢ちゃんか」

 ふたりの会話のペースについてゆけず押し黙っていたゲオルクが、ひさしぶりに重い口を開けた。するとフリッカが「お会いしたことは?」と聞いた。

「何回かな。美しい少女だったが……なんというか……」

 ゲオルクが慎重に言葉を選んでいると、再びピートが割って入った。

「ようはハザマの野郎が『サクラ』を誘拐して、香港を逃げまわってるって話だ」

 彼の胸中に渦巻くのは怒りと使命感だ。

 持て余した感情を右の拳に宿し、パシンと左掌に叩きつけた。

「そんなに単純なことでしょうか?」

 意外なことに、フリッカがピートの短絡を指摘する。

「他になにがあるよ?」

「そこでさっきの『仮説』が登場です!」

 フリッカは、ほぼ中身を全部ぶちまけ尽くしたトランクの中から、一冊の本を取り出すと「じゃーん」という掛け声と共に、男ふたりに見せつけた。

 それは絵本だった。

 表紙には、長い赤毛に三角帽子を被った老婆が描かれていた。手には背丈ほどの大きな箒を持ち、醜い顔をクシャクシャにして雄叫びをあげている。

 絵柄も子供向けでデフォルメに過ぎるが、それが「魔女」であることは誰の目にも明らかだった。

 フリッカは絵本を抱えてニコニコとしている。

「それがなにか?」

 ゲオルクが絞り出したのは、当然といえば当然の質問だった。

 ピートもあえて口には出さないが怪訝そうな表情である。

「『赤い魔女の森』です。この絵本は中世の魔女狩りをベースにした物語で、このお話に登場するリンダという魔女は実在した女性がモデルとされています」

 するとフリッカは興奮気味に『サクラ』の顔写真を出して、絵本と並べた。

「似てませんか?」

 その真剣な眼差しは、男ふたりを静かに威圧する。

「似てるったって……髪の色だけじゃねえか。それに『サクラ』の髪はここまで赤くないだろう。どっちかといえばお前さんの髪色のほうが近い気がするが?」

「やっぱりそう思います?」

 と、パサついた自らの赤毛を軽く撫でると嬉しそうな顔をした。

「まあそんなことは些細なことで」

「些細かよ」

「中世に書かれた『魔女裁判』という本の中で、リンダという赤毛の女性が焚刑に処されるシーンがあります。死ねば人間。死なざれば魔女だと」

「随分な理屈だな」

「作中でリンダは生きたまま火にかけられ、衆人環視のもと絶命します。でも」

 黒縁眼鏡が怪しく光る。

「もし生きていたら?」

 そう口にするフリッカの表情は、さながら魔女のようだった。

 高潮した丸い頬が、不気味な笑みを浮かべる。

「リンダが『サクラ』だと?」

 ピートの問いかけにフリッカは軽く微笑むだけで。

「そしてここからが『仮説』です。もし彼女が本物の魔女だとしたら。彼女の障害の原因がハルフォード氏と同じようにメモリーチップの機能不全だったとしたら。クロウ・ハザマがサヴァンで、記憶データの編集が可能だとしたら。ハルフォード氏の目的とは。『魔法使いの夢』とは。そして本件の情報を外部に漏らしたくない『圧力』の正体とは」

 彼女は息の続く限り一気に捲し立てると、大きく深呼吸をした。

「『黙示録アポカリプス』というのをご存知ですか?」

「あ?」

「世界のすべてを陰で牛耳っていると噂される組織の名で、魔法使い達とは古くから敵対関係にあったと言われています」

「おいおい」

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