第2話 ドリーミング・ドラッグ

 狭い診察室にある物。

 背もたれのない二脚の丸椅子。ちっとも片付かない机。スチール製のファイル棚にはプラスティック製の容器に入った薬品が雑然と並んでおり、その隙間を埋めるような形で強引にカルテが押し込まれていた。個人情報の保護とはまったく無縁の環境である。

 壁には何枚かの写真と鏡、それから時計がかけられていて、殺風景な室内を申し訳程度には賑やかしていた。天井からは笠をかぶった電球がぶら下がっている。この部屋唯一の照明器具だ。

 今、診察台の上には陸に打ち上げられたトドよろしく酔さんがうつ伏せになっている。当の本人は腹がつかえて苦しいのか「うぅ」と低く唸っていた。

 ハザマは手にした器具を酔さんの首筋に当て、机上のモニターとにらめっこ中だった。

 画面には英数字を組み合わせたコードが羅列されており、常人では認識不可能な速度で次々と表示されていく。ハザマは「ああ、これか」と一言つぶやき、画面のスクロールを止めた。

「見つけたよ、酔さん。アンタを苦しめてる魔法使いの正体をよ」

 モニターに表示されている文字列。それは酔さんの人生そのものである。いい時も悪い時も、失敗も成功も。そのすべての記憶は符号化され、データとしてメモリーチップに保存される。ハザマの手にする器具は『コード・スキャナー』と呼ばれる非接触型のデータ送受信器であり、酔さんの首筋に埋め込まれているメモリーチップから情報を読み取りダイレクトに画面へと映し出す。だがそれは専門家が見なければただの数列であり、さらにトップレベルの解析者でなければ正確な「意味」を見出すことは非常に困難である。

「いいかい酔さん。DD……ドリーミング・ドラッグってヤツはメモリーチップの空きトラックに本来経験したことのないニセモノの記憶データをインストールして、あたかも本当に体験したかのような錯覚を起こさせる方法だ」

 ハザマはこれまで多くの患者にそうしてきたように、酔さんにもそう説明する。

「ああ。その記憶を買った露店の兄ちゃんもそんなこと言ってたなぁ」

「まったく! 怪しい店に手ぇだしやがるぜ。元からある大事な記憶まで壊されてたらどうするつもりだったんだ」

「そんなことまで考えてなかったなぁ」

「そうまでして魔法使いになりたかったのかよ」

「……毎日つらいからね」

 うつ伏せになったままの酔さんの表情は窺い知れない。だがやけに小さく見える中年の背中がそこにはあった。働けど働けど我が暮らし楽にならず。それがスラムの現実だ。

 ハザマはやり切れない思いを胸に、頭を掻きむしった。ただでさえボサボサだった髪の毛がまるでライオンのたてがみのようである。「まあとにかくだ」と気持ちを切り替え、酔さんへの説明は続いた。

「DDでインストールされた記憶には通常アクセスが出来ない。これは未体験だからその情報までの『経路』が構築されていないからだ。そこでレム睡眠を利用して『夢を見る』という方法で、その情報へアクセスする」

「レム……なんだそりゃ?」

 怪訝な声がハゲ頭の向こう側から聞こえる。

「レム睡眠。急速眼球運動を伴う睡眠状態のこと。ようは身体は寝ているのに脳は起きてるという状態だ。DDをやる場合、この状態を強制的に維持するために薬物を使う。酔さんもこの記憶買った時にヤク打たれたろ?」

「ああ……でも一回だけだよ」

「そうだ。通常ならその一回分のトリップでDDは終了。インストールされた記憶は、ただの情報としてメモリーチップ内にとどまり続けるがアクセスは出来ない状態になる」

「で、でも俺は何度もあの夢を――」

「酒だよ」

「酒?」

 素っ頓狂のお手本みたいな声だった。身動きが取れない分、酔さんの不安な胸中がそのまま現れたみたいに。

「そう酒だ。アルコールが分解された時に発生するアセトアルデヒドの影響で、睡眠の序盤は深い睡眠状態が続くが、後半ではその反動でレム睡眠が頻発する。つまり酔さんの生活習慣だと、寝れば常にDDをやってる状態になっちまうんだよ」

「なんだよぅ。酒までダメなのかよぅ」

 情けない声を上げる酔さん。まるでこの世の終わりでも宣告されたようだ。

「だから禁酒しなくてもいいように、これから記憶洗浄するんだろうが」

 小言を言いつつ『コード・スキャナー』を酔さんの頸部に固定したハザマは、モニター画面をタッチしながらいくつかの操作を行う。指先の動きに連動して表示画面が次々と変化していった。

「じゃあ酔さん。これから悪夢の記憶を消してくから動くなよ」

 画面には膨大な文字列が表示され、その上に『Delete?』と『Storage?』のメッセージボックスがポップアップしている。ハザマは一瞬ではあるが、指先をどちらに置こうかためらった。

 しばしの逡巡。彼は『Storage?』を選択する。

 そのわずか数分後。あっという間の出来事である。

 酔さんは憑き物でも落ちたような笑顔で夜の九龍城へと消えていった。

 ハザマはひとりになった診察室で、天井を見つめている。さっきまで酔さんが寝ていた診察台には、診察料代わりにと彼が置いていった銘柄不明の酒瓶が。

 時計を見ればすでに午前三時を回っていた。

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