第31話 影
「いかんいかん! ポンコツ相手に何考えてんだ!」
自制心を総動員して今朝方自分が着ていたブランケットを掛けてやった。
眼鏡をそっと外してやり、しばし顔を眺める。
そこにはまだあどけない無垢な乙女がいた。そばかすだらけの白い丸顔。
黙っていれば、そこそこカワイイのではないか?
ふとそんな気がして頭を振る。
手にした黒縁眼鏡をテーブルに置き、自分も寝室に移ろうとした時だった。
わずかに触れたマウスが反応し、ラップトップのスリープモードが解除された。出掛けに慌てたせいで電源を切り忘れていたらしい。表示されたディスプレイには『新着メールあり』の文字が。送り主は大体見当がついている。
メーラーを立ち上げると案の定、局内からのメールだった。
『任務ご苦労。マーキュリー捜査官とは無事合流出来ただろうか。優秀ではあるが、多少人格に難ありと伺っている。トラブルが無ければいいのだが』
「先に言っとけよ」
ディスプレイ相手にピートは独り言ちた。
『捜査状況は随時書面にて報告せよ。進展があることを期待する。まあマーキュリー捜査官がいれば時間の問題かと思われるが。彼女はわずか二年の間に、過去四百件分の未解決事件を真相へと導いてる。それらすべてはウィザーズ・ケース(魔法使い絡みの難事件)として片付けられ、誰も見向きもしなかった事件だ。その功績からFBI長官直々に、二度にわたって勲章が授与されている。君も大船に乗ったつもりでいたまえ』
あとはいつものようにDD対策室への罵倒の言葉で埋め尽くされていた。
ラップトップを閉じたピートは、背中で寝息を立てる赤毛を見ると、
「マジかよ……」
と、ため息をもらすように呟いた。
ひとは見かけによらないものだ――。そう結論づけたピートは、空調の風でめくれ上がったカーテンを直しに窓辺へと立った。
夜の天蓋には高く昇った三日月の姿が見える。それはまるで『魔女』の横顔のようにも見えた。
「バカバカしい」
感化されすぎるのも良くないな、と。胸中で念仏のように唱えた時だった。
ふと窓の外で何かが動いたような気がした。
それは道路を挟んだ向かい側。集合住宅の物陰からこちらを伺うひとの影だ。暗がりで背格好までは分からない。だが月明かりに照らされ、暗闇に浮かび上がるそれは医者の着るような白衣の裾である。
「ハザマ!」
反射的に身体が動いていた。
玄関を乱暴に開け、階段を駆け下り。人影のあった場所へと無心で走る。
しかしそこにはすでに誰もおらず、野良猫だけがたむろしていた。
「クソッ!」
ピートは悔しげに集合住宅の壁を叩きつける。
そこで不意に思い出した、香港刑務処の狭い取調室。あの小さなモニターカメラのレンズの光を。
「防犯カメラは!」
ピートが周囲を見渡すと、確かに防犯カメラは存在した。だがしかし、そのいずれもがダランと下を向き機能しておらず、唯一稼働中と思われる一機も、人影のいた場所はフォローしていなかった。明らかなメンテナンス不足。それすらも片田舎たる所以である。
「あの野郎。挑発してやがんのか?」
怒りで眉のあたりが激しく引きつる。
「上等だぜ――」
潮風を含んだ冷たい空気が、熱い身体にまとわりついた。
年の瀬も押し迫る十二月。
イルミネーションひとつないベッドタウンの夜は更けていく。
あるのは野良猫のさかる声と、月明かりのみ。
ピートの瞳に、復讐の炎が宿る。
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