第30話 フリッカの魔女
ピートはここ最近、ことある毎に自分と周囲の環境とにズレが生じ始めているのを感じていた。またその原因にも心当たりはあった。
ふとソファへと向かうと、テーブルの前で固まっているフリッカを見つけた。彼女は机上にある『コード・スキャナー』と、瓶入りのカラフルな錠剤とを睨みつけて重い口を開く。
「ピートさん。これ……DDですよね」
彼は答えない。
濃いモカの香りだけが、フリッカの感覚を刺激している。
「わたしはドラッグなんてやりたいひとは勝手にやればいいと思ってます。身を滅ぼすのも、破産するのだってそのひとの自由。でも……それを取り締まる側の人間が手を染めてしまうのはどうかと思います。そんなの……卑怯です」
珍しくフリッカの顔から笑みが消えていた。
深い悲しみと、ピートに対する失望の念がはっきりと見て取れた。しかし、
「捜査の一環だよ」
ピートは眉ひとつ動かさずにそう答えた。
「なにが捜査ですか! 罪を犯しているのはあなたのほうです!」
するとピートは机上に散乱するメモリーチップをひとつ拾い上げると、右の拳にきつく握りこんだ。そして怒気を抑えつけるようにして声を絞り出す。
「ハザマの記憶データだ」
「え……?」
「こいつはホテルに残されていた唯一の遺留品だ。現場が撤収される前に、技師に頼み込んでデータをコピーしてもらった。もちろん丸々のデータじゃデカ過ぎるから断片的なもんだが、それでも奴が最後に何をしたかが分かればと思ってな」
「ピートさん……そんな無茶を……」
「無茶でも何でも手掛かりが無ぇんだ。ジョンや室長に報いるためにも、多少の危険は覚悟のうえだ。……まあボチボチその影響は出始めちゃいるが……」
尻窄みになるピートの声。
「それってどういう意味ですか?」
訝しるフリッカがいくら尋ねても、ピートはもうそれ以上は答えなかった。
「とにかく勝手にその辺のモノ弄るんじゃねえぞ。泊まりたいならルールを守れ」
眉間のシワをさらに深くし、冷めかけたコーヒーを一気にあおった。
すると――。
「じゃあ今度はわたしがお話します」
「あ?」
「あれはわたしが小さな小さな頃でした。当時のわたしはイジメられっ子でした。この赤毛のせいで昔から、魔女だ魔女だとからかわれてました」
突然始まったフリッカの昔話。
暗くなった雰囲気を変えるため、気を使わせてしまったかな――。
ピートは声無くそう呟いて、彼女の話に耳を傾ける。
空になったマグカップはテーブルの上に置いた。
「ある時、本当に辛くなって。死んじゃおうと思ったんです。高い木に登って、このまま落ちようって。次の朝、ぐちゃぐちゃになったわたしの死体を見て、イジメっ子たちが少しでも嫌な気持ちになればいいなって」
フリッカは一度言葉を切って鼻をすすった。目には小さな雫が浮かんでいる。
「でも……後ろから声がしたんです。『それでいいの?』って」
空調の風が強く吹いた。窓辺のカーテンがめくれると、そこにはまだ昇り切らない三日月が現れる。
フリッカは懐から、一枚の写真を出した。それは昼間に捜査資料として見せられた淡い桜色の髪を持つ少女だ。
「振り返ったらこのひとがいたんです。あの時はわたしよりもずっとお姉さんで。三角帽子を被って、箒に乗って。飛んでるんですよ? 信じられます?」
フリッカは『サクラ』の写真を胸に当てて、そのままソファへと倒れこんだ。
「次の日、気がついたらわたしは木の下で眠っていました……」
呼吸が浅くなる。
「わたし……もう一度……あのひとに……あい……た……」
「おい? ポンコツ?」
慌てて駆け寄るピートだったが、静かに寝息を立てる彼女を見てひと息ついた。
どうやら疲れて眠ってしまったらしいと分かると、胸の前に組んだ写真を持ったままの手をどけてやった。
「……無駄にデカいな……意外にも」
普段、猫背で歩いていることの多いフリッカは、自らの攻撃的なボディをあまり主張しない。ピートは思わず生唾を飲み込んだ。が、
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