第39話 亡霊街道④
ユオ・ネヴィルネルといえば、俺がカヴァラフ地方での任務で処刑した(ということになっている)人物だ。
本物は三十年以上前に処刑されているらしいので、もちろん今回のも偽物だろう。
ビュホー軍医はクシャクシャに折り畳まれた命令書をポケットから出した。機密書類の取り扱いがメチャクチャだ。
「この政治犯は意外にも若い女性なんだ。茶色または黒の髪で中肉中背。年齢は10代後半から30代前半と推定されるそうだよ」
「ほぼ何も書かれていないに等しいですね」
その年齢だとやはり偽物だろう。
だいたいその記述だとビュホー軍医もクリミネ少尉も該当してしまう。本気で逮捕する気があるのかすら疑わしい。
「他に何かないんですか?」
するとビュホー軍医はクシャクシャの紙をもう一度眺める。
「何かあったような気がするねえ。ああそうそう、脇腹に古い刀傷があるんだった」
「少し意味のある情報が出てきましたけど、検問でいちいち服を脱がせて調べるんですか?」
ビュホー軍医は肩をすくめてみせる。
「めんどくさいよねえ。僕ぁそこまでするほど給料もらっちゃいないからさ、やるとしても『脇腹に刀傷ある?』って聞くだけだよ」
「それ、逃亡犯に『傷跡を隠せば逃げられるよ』って教えてるようなもんですよね」
お医者さんに警察みたいな仕事をさせてもうまくいかないよな。俺も首切り役人であって、警察の仕事はできないんだけど。
これはますます放っておけない感じになってきたので、とりあえず検問を強化することにする。
検問所に入ると下士官たちが俺を見て一斉に敬礼する。みんな顔見知りだからな。
「大隊長命令により、臨時で小官が指揮を執る。状況を報告してくれ」
すると最古参の中年下士官が即答する。元々は歴戦の戦列歩兵で、銃殺の執行では必ず選抜される人だ。命中率の低いマスケット銃でも正確に心臓を撃ち抜く。
「今朝からここで検問を行っておりますが、未だに政治犯は発見できておりません」
「ありがとう。慣れない任務で大変だと思うが、もうしばらく頼む」
俺がそう告げると、下士官たちがどことなくホッとした顔をしている。
「フォンクト中尉殿なら安心だな」
「ああ、助かったぜ」
おっ、もしかして俺って人望ある?
「多少サボってても何も言われないだろうし」
「何かあったら責任取ってくれるし」
微妙な評価されてるな、俺。
まあ軍人としてはあんまり出来が良くないから仕方がない。
俺は腕組みして文句を言う。
「そういうことは士官に聞こえないように言うものだぞ、諸君」
「はっ、失礼しました」
みんなビシッと敬礼しているが、なんとなく空気が緩んでしまった感じで大変良くない。
第二中隊で人員が不足しても俺が呼ばれない訳がなんとなく理解できた。
「差し出がましいことしちゃったかな……」
独り言をつぶやきつつ、ふと考える。
うちの大隊長なら、ビュホー軍医に検問所の指揮ができないことは理解している。わかった上で命じているのだとしたら、ここはあまりきっちりやらない方がいいのだろうか。
だとすると、ますます差し出がましいことをしてしまったかもしれない。
判断に迷うところだが、もし俺が「ユオ・ネヴィルネル」を逮捕したとしても、嫌疑不十分で保釈してしまうことはできる。記録を何も残さなければいい。
自分から面倒事に首を突っ込んで勝手に悩んでバカみたいだ。
そこにクリミネ少尉が戻ってきた。
「近くに宿場町がありますので、馬車と騎兵はそちらで待機してもらうことにしました」
「悪いな」
「本当ですよ!」
休暇を潰されたのでクリミネ少尉はお怒りだ。
さすがに今回の件は俺もどうかと思うので、そこは謝っておく。
「埋め合わせの埋め合わせをするから……」
「本当ですね? それはもう、すっごいことを要求しますよ?」
なんか怖いんだが。
「あの……具体的にどんなことをさせるつもりなんだ?」
「言える訳ないでしょう。仕事中ですよ?」
言えないようなことをさせるつもりなんだ……。恐ろしい部下を持ってしまった。
俺はしょんぼりしつつ、とりあえず仕事に専念することにした。
「ええと、クリミネ少尉は女性の身体検査を頼む。脇腹に古い刀傷がある若い女性らしい」
「わかりました。なんでついた傷なんでしょうね?」
そこは俺も気になっていたので、少し考えこむ。
「そうだな。背中なら賊にでも襲われたのかと思うが、脇腹ってことは腕を挙げてる時についた傷だろうし」
「ということは?」
俺は首を傾げつつも答える。
「斬り合いでもしたのかな……」
「女性が?」
「うちの中隊長みたいな人かもしれない」
とたんにクリミネ少尉が怯えた顔をする。
「そんな怖い人の身体検査するんですか?」
「軍人が何を言ってるんだ」
俺たちは給料のために敵の銃弾に向かって突撃することもあるんだから、そこは覚悟を決めてほしい。いや、気持ちはわかるんだが。
俺は近くで休憩している戦列歩兵たちをちらりと見た。みんな白髪混じりの老兵で、腰を下ろして煙草をふかしていた。
「何か荒っぽいことになっても、あの兵士たちがいる」
「大丈夫なんですかね」
「あの歳まで兵士として生き残った連中だ。少なくとも貴官よりは腕が立つ」
もう近世なので戦争の頻度はぐっと減っており、彼らが戦場で撃ち合った回数は片手で数えられる範囲だろうが、そこは言わないでおく。少なくともプロの戦士であることに間違いはない。
「じゃあ該当する人物を見つけたら俺に報告してくれ」
「わかりました。中尉殿は何をするんですか?」
「検問待ちの列を見てくる」
俺は制帽を目深に被り直すと、フッと笑った。
「こういうのは検問待ちの様子を見た方が早いんだ。隠したいものがあるヤツは、検問待ちの間に隠そうとするからな」
「ああ、さっきの私たちみたいに?」
「そうだね」
せっかくベテラン士官っぽくキメてみせたのに、余計な一言で台無しになった。この子は本当に一言多いな。
俺は溜め息をつきつつ、休憩中の兵士たちに声をかけた。
「少し散歩したい気分の者、銃を持って二名ついてきてくれ。検問待ちの列を巡察する」
「んじゃ俺が」
「お前が行くなら俺も行くか」
中高年の兵士が二人、よっこいしょと立ち上がった。誰も来てくれなかったらどうしようかと思った。なんせ別の中隊に所属する兵士たちだから、命令するにも気を遣う。
柵の外に出ると、さっきよりも検問待ちの列が増えていた。
街道を行く旅人たちは早朝に出発し、日没までに宿に入る。今はちょうど昼前で、街道筋ではラッシュアワーになる。そのせいで処理が追い付いていないようだ。
「まずいな。ここで足止めさせていると旅人たちの予定が狂う」
俺がそう呟くと、ベテラン兵士の片方がのんびりと口を開いた。
「しょうがねえですよ。軍隊じゃ日常茶飯事だ」
「それはそうなんだが、彼らは軍人じゃないからな。素直に待つとも思えん。そのうち検問所を迂回して藪の中に入る連中が出てくるぞ。危険だ」
街道から外れると狼や熊が出る。日中はあまり出没しない山賊の類いも、街道から離れた場所ではいつ遭遇するかわからない。
となると、検問を適当に済ませていたビュホー軍医の判断は最善だったと言える。おそらく彼女はそこまで深く考えていないだろうが、彼女をここに送り込んだ第二中隊長はそれを期待していたのだろう。
やっぱり俺が首を突っ込むべきじゃなかったな。
そんなことを考えながら行列を見て回っていると、やっぱりみんなコソコソと荷物を隠したり顔を隠したりしている。
誰しも後ろめたい秘密は持っているものだから、検問となると不安になるのだろう。
俺たちに向けられる視線の多くは、どこか怯えたものだった。
「参ったな」
こんなところで素人が検問をやったところで、旅人たちの不満や不安が積み重なるだけだ。彼らはこの検問所を抜けた後、これを方々で言いふらすだろう。
『帝国軍の検問で待たされてさんざんな目に遭った』と。
「良くないなあ……」
俺は溜め息をつきつつ、行列の最後尾までざっと見てから引き返す。
検問所に戻ると、俺は下士官たちに指示をした。
「行列が延びてきている。捜しているのは若い女性だ。それ以外は変装していないかだけ確認して素通りさせていい」
「はっ」
命令書にはユオ・ネヴィルネルの支援者も捕らえるように書かれていたが、ここは無視する。現実的じゃない。
これで少しは行列が短くなるかなと思っていると、どこかの騎馬伝令が駆け込んできた。
「儀礼大隊本部より伝令! フォンクト中尉殿とクリミネ少尉殿はおられますか!?」
「フォンクトは俺だ、どうした?」
すると伝令は下馬して敬礼し、命令書を手渡してきた。
「ただちにここを出立し、ペンデルタイン要塞に入るようにとの大隊長命令です! 詳細はこちらに!」
なんだなんだ?
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