第31話 危険な女④

 正統帝国海軍南方艦隊司令のテルゼン提督は死んだ。これで皇帝も枕を高くして眠れるだろう。

 皇帝が軍の高官を暗殺するなんて世も末だが、これで帝国の寿命は数年延びたかもしれない。逆に縮まるかもしれないが。



 なんにせよ提督が蘇生すると困るので、もう数分はこのまま絞めておく必要がある。

 だが急に会話が途切れたことで、外にいる護衛が不審に思うかもしれない。提督クラスの将校ならドアの外に護衛ぐらいいるはずだ。

 クリミネ少尉が俺たちを見て硬直しているので、俺は目線で合図を送る。



 ――喘いでくれないか?

 ――あえっ、喘ぐんですか!? 今!?

 ――偽装だよ。早く。

 ――どうやれば!?

 ――一人でするときの声でいいんじゃないか?

 ――あっ、なるほど。



 クリミネ少尉はなぜか俺に深々と一礼した後、艶めかしい声を紡ぎ出す。

「はぁんっ……んっ! やっ、やだぁっ……ひぅっ! あぁんっ……」

 へえ……そんな感じなんだ……。ありがとうございます。



 クリミネ少尉が顔を真っ赤にして俺を睨みつけているが、しばらく続けてもらわないとな。俺は効果音担当として、ベッドをギシギシ揺らしておく。

 ユギ大尉が無言のまま笑っているが、提督の首は絞めたままだ。なんだこの光景。



「見ちゃやだっ……んうぅっ! やだぁっ、恥ずかしい……」

 くねくね身悶えしつつ、妙にノリノリで喘ぐクリミネ少尉。やっぱりこの子、ただ者じゃないよ。

「あっ、だめぇっ……たすけて、ウォン様ぁっ……」

 シチュエーションまで完璧だ。さすがに準貴族のお嬢様だけあって、演劇の素養もあるらしい。

 でも即興でそこまでやれとは言ってない。



 とりあえずこれで部屋には誰も入ってこないだろう。提督の「お楽しみ」を邪魔する命知らずはいないはずだ。

 ユギ大尉は耳を澄ませていたが、やがて廊下側のドアを無造作に開けた。

「誰もいませんよ」

「あ、そうですか……」



 テルゼン提督はどうやら人払いをしていたらしい。割と神経質な性格だったようだ。「わっはっは、部下たちに見せつけてやろう!」みたいなタイプじゃなくて助かった。

 ほっとして振り返ると、クリミネ少尉が真っ赤な顔で俺を睨んでいる。



「あんあんあんあん」

「すみません、もういいです。貴官の御協力に感謝いたします」

 上官として作戦遂行上必要な行動を命じただけなので本来は謝る必要はないのだが、そこは人としてきちんと謝っておく。



 ユギ大尉が苦笑しつつ、俺たちに命じる。

「少尉は着替えてください。いざというときに泳げるよう、なるべく薄着で。中尉は死体をバルコニーから外に運んでください。今の段階で死体を発見されると警戒レベルが上がります」

「了解しました」



 儀礼大隊の職務柄、死体を担ぐのは慣れている。

 やり方は自衛隊や消防隊などと同じで、いったん抱き上げてから横向けにして両肩で担ぐ。これなら脱力してる死体でも肩から滑り落ちない。もちろんかなり不気味ではあるが、仕事柄慣れてしまった。



 バルコニーの片隅に死体を置き、腰のベルトにユギ大尉の飾り帯を結ぶ。丈夫な布なので死体ひとつぐらいは吊せるだろう。

 バルコニーの手すりに帯を結びつけ、一気に下に落ちないように長さを調整する。人間が落ちる音というのはかなり大きいので、落とさないように気をつける。



「手際が良いですね、中尉」

「こないだクリミネ少尉を吊しましたから」

「仲が良さそうで羨ましいです」

 どういう会話だ。



 テルゼン提督の死体をそっと下ろすと、地面近くでうまく宙吊りになる。やはり人間、なんでも経験しておくもんだな。人間を吊すのが巧くなった。

 ユギ大尉がバルコニーの手すりにヒラリと乗る。



「私が下りて死体を回収します。あなたたちはその後に飾り帯で下りてください」

 人間二人分の体重を吊すほどの強度はないので、死体を下ろしてから俺たちが続く形になりそうだ。

 ユギ大尉はチャイナドレスの裾を翻して音もなく着地し、慣れた手つきで死体を担ぐ。俺たちも後に続いた。



 テルゼン提督の死体は外の茂みに隠す。日中に捜索されればすぐに見つかってしまうだろうが、今は夜だ。ランタン程度の灯火じゃ見つけようがない。

 クリミネ少尉がぼそりと言う。



「海に沈めちゃうのはダメなんですか?」

 俺は死体を隠しながら答える。

「途中で見つかる危険があるし、死体が海流に流されると面倒なことになる。それに」

「それに?」



 興味津々のクリミネ少尉に、俺は笑いかけた。

「死体が腐敗すると膨れ上がって浮いてくるんだよ。多少の重りじゃ効果がない」

「なんで知ってるんですか、そんなこと……」

 腐敗ガスで膨張したゾンビが海を渡って感染を広げていくゲームがあったので。もちろん前世の話だ。



 周囲を警戒中のユギ大尉がささやく。

「海岸の辺りが騒がしいですね」

 言われてみると、確かに人の声が聞こえてくる。なんだか切羽詰まった感じだ。



 クリミネ少尉が恐る恐る言う。

「まさかテルゼン提督を殺したのがバレたんじゃ……」

 俺は首を横に振る。

「それなら建物の方が騒がしくなるはずだ。ボートを発見されたのかもしれませんね」

「だとすると、退路を断たれたことになります」



 ユギ大尉は考え込む様子を見せた。

「狭い島ですし、どう隠したところで提督の死体はすぐに発見されます。もちろん私たちもです」

 土地鑑のない孤島での潜伏は無理がある。



 かといって泳いで脱出するなんてとてもじゃないができない。ここは海流が強いし、陸地まではそこそこ距離がある。着衣での遠泳は現実的じゃないだろう。

「強行突破しますか?」

「そうですね。暗殺任務は達成していますし、後は私たちが脱出できればそれで構いません」



 ユギ大尉は鉄扇をしまうと、結っていた髪から紅玉髄の簪(かんざし)を抜いた。本体部分は極太の針になっている。これも暗器か。

「湾内の手漕ぎボートを奪取して脱出してください。もしもの場合は、私がここに留まって敵を引きつけます」

「ダメですよ、中隊長殿!?」



 クリミネ少尉が慌ててユギ大尉の手を握りしめる。

「私を助けに来た中隊長殿を死なせる訳にはいきません」

「ですが、あなたでは陽動にもならないでしょう?」

 それはそうだ。



 しゅんとなってしまったクリミネ少尉の肩をポンと叩き、俺は笑いかける。

「小官に考えがあります。分の悪い賭けですが、中隊長殿が死地を切り拓くのは賭けに負けた後でも構いませんよ」

 するとユギ大尉がクスッと笑う。



「また何か、面白いことを考えたようですね?」

「ええ、割と。あ、その紅玉髄とてもいいですね」

「え、ええ。ありがとうございます」

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